アシモフの氷室 2

「この街に来てから、何かがおかしいと思わねぇか?」


「修理工が無能だとか?」


 違う、とヴェッキーはミリアーナを否定した。

 すでに三人がキングマンに滞在し始めて三日目になっていた。未だクーパーの修理は進まず、取り掛かるまでにあと二つの案件を消化しないといけないらしい。


「いいか、キングマンに来てから時間が経つのが速すぎる。現にミリアーナの車の修理は異常なほどにまで時間がかかってるし、もっと顕著なのは……」


 ヴェッキーはサンドウィッチショップの二階窓から空を見やった。店に入った頃には空の真上にあった太陽は、いつのまにか傾きかけてオレンジ色の光を放ち始めていた。


「こんな風に、日がすぐに暮れちまうことだ」


「なるほど……そう言われればそうだね」マルタウスが頷いた。


「実はキングマンに来て二日目の昼、オレはマルタウスを狙うヴァンパイアハンターを見た」


 マルタウスが口に含んでいたオレンジジュースを気管につまらせ、思わず咳き込んだ。


「なんだって、僕を狙っている?美しさが身を滅ぼすとは、なんて悲しいことだ! 一体どこの……|お嬢さん(シニョリーナ)なんだ⁉」


「オッサンだよ」


 思わず舞い上がっていたマルタウスは、急に死んだような目をした。


 そして何事もなかったかのように席に座りなおした。


「ーー。うん……その……話を聞こうじゃないか、話をね」


 ヴェッキーはハンバーガーチェーンで出会った、ねずみ色のパーカーを着た男のことをミリアーナとマルタウスに話した。二人とも彼の仄めかす結論に同意しているようだった。


「ヴェッキー……つまりアンタはこの状況がヴァンパイアハンターのせいだと言いたいわけ?」


「そうだ。オレが見たヴァンパイアハンター、奴のAVWが恐らくキングマンの時間感覚を狂わせてる。これじゃオレ達はノロマのゾウガメになったようなもんだ。このままじゃいつまでたっても修理工の仕事が進まねぇ、つまりはオレ達はキングマンから出られねぇんだぞ」


 困り果てた三人は口を閉じてそれぞれ考え事をしていた。この状況をいかに打破すれば良いのか。束の間の沈黙をマルタウスの「あっ思い出した!」という声が切り裂く。


「実はねヴェッキー……僕は君たちに会う数日前からウィリアムズの路上で寝泊まりしていたんだけれど、その時から僕を見つめる怪しい影の存在には気づいていたんだよ」


「ちょっと、なんでそんな大事なこと言わなかったのよ! それってアンタをこの街に連れてきたせいで、アタシの車の修理が遅れて、関わらなくていい厄介ごとにも巻き込まれてるってことじゃない!」


 ミリアーナはサンドイッチの尖っている部分を向かい合って座っているマルタウスに突きつける。


「ヴェッキー!やっぱりコイツを車に乗せたのは間違いだったわ。……ハァ、なんでこんなことに」


 マルタウスが「まぁまぁ」とミリアーナをなだめ、彼が手をつけていなかったサンドイッチをミリアーナに差し出す。


「そういうセリフはアンタがいうもんじゃないでしょっ!」


「ミリアーナ、今はこれで我慢して欲しいんだ」


 彼はミリアーナとヴェッキーの方に向き直って、口角をあげて見せた。


「二人にはとても申し訳ないと思っている。それは嘘じゃないよ」


 マルタウスがポケットから銀色の小瓶を取り出す。それは以前彼がヴェッキーとの戦闘において使用したものだ。中にはおそらくマルタウスの武器となる水が入っているのだろう。


「だから、僕が決着をつける。僕はこれ以上君達をこの件に巻き込みたくないんだ」


 そういった彼の藍紫色の瞳には、ままならない決意が感じられた。ここ数日おちゃらけるたびに、ミリアーナの怒りを買っていた男とは思えない。ヴェッキーは失礼だが、マルタウスが初めてまともなことを言っているなと思った。


「その代わり僕がこの状況を打破した暁には……正式に君達の仲間に入れて欲しい。駄目かな?」


 とある夕暮れの田舎道。

「夜道のドライブはやはり集中力が下がるわい」


 最近薄くなった縮れ髪を覆うためにパーカーのフードを目深にかぶって、カール・ジョンソンはアリゾナ州都フェニックスから、ピックアップトラックで再度キングマンへ引き返し始めた所だった。その荷台には黒色のアタッシュケースが転がされている。


 墓標の十字架のように規則正しく続く電柱が幾度も後ろへ通り過ぎてゆく。

 うっすらと紫がかった地平線の向こうからやってくる対向車のヘッドライトが点きはじめた。

 ジョンソンは浅い夜の中を3時間以上走らないといけない事に対してモチベーションが下がりそうになっていた。


 彼は休暇中だったため金髪の男吸血鬼を捕らえるための道具をフェニックスの自宅に置いたままだったのだ。

 だが、このビッグチャンスをものにしないわけにはいかない。何よりウィリアムズで見かけたとき、人を襲いかねないオーラを放っていた吸血病患者を、野放しにしておくのは正直気分が悪い。それでわざわざ自宅に引き返し、それを取りに帰っていた。


 自宅から持ち帰ったのはエイドスアブソーバーという器具。

 五〇センチ大の注射器型のものと、ダーツ型に軽量化されたものがある。


 これで形相エネルギーを吸い出すことで、暴れ出した吸血病患者を大きな外傷を加えないままに鎮静できる優れものだ。


 こういった器具類を持ち合わせていなくても、いつでも使用可能なのAVW(Anti-Vampire Weapon)の長所である。ジョンソンは金髪の男吸血鬼をキングマンの街に縛り付けておくために、AVWを発動させたまま、ダウンタウンにあるモーテルの一室に放置してきた。


 21世紀に入ってまもなく開発された吸血鬼専用武器、AVW。


 それぞれのモデルとなっているのは現代以前から生活環境に関わる道具類だ。

 各道具のモチーフに基づいたAVWのデザインはいわば範型であり本質、つまりは形相なのだ。デザインは形相エネルギーとして、質量エネルギーを容れる鋳型のような役割を果たす。そこに保持者自身の質量エネルギーを流し込むことで事象を現実態(エネルゲイア)化させる。


 このように、デザインの範型という形相エネルギーさえあれば、いつでもどこでも実体化できるのがAVWの特徴だ。


 そしてその形相エネルギーさえも保持者の背面に描かれた独自の幾何学模様情報、通称『焼紋印(やきもんいん)』の形にして閉じ込めているので移動時の心配は不要。


 まとめれば緊急時に自身の質量エネルギーを背中に流し込むだけで現れる武器、それがAVWだ。


 デザインを質量エネルギーによって実体化させられるようにする技術は非常に高度なため量産が難しい。故に一部の選ばれたヴァンパイアハンターにしか支給されていないことも事実ではある。


 ジョンソンのAVWは「アシモフの氷室ひむろ」。一辺1.5メートル立方体で、白銀のフォルムをしている。装飾がシンプルなのはAVWの宿命だが、氷室は更にその形状すらも極限に単純化させられている。


 そのシンプルさこそが氷室のデザインが機能性に重点化されている証拠であり、それはジョンソンの誇りでもある。そして現在はキングマンのダウンタウンにて絶賛稼働中だ。

「今に奴は目まぐるしく過ぎ去る時間の中で喘いでいるはずだ!」

 「アシモフの氷室」の効果は、直接対象に攻撃するものではない。

 古来氷室とは密閉された室内に氷や雪を溜め込むことで、食物を貯蔵するための施設だった。物の時間の流れはその中でのみゆっくりとなる。このことから人類は悪くなりやすい食べ物や熱に弱い食べ物、そして貴重な氷などを氷室の中に貯めてきた。


 ジョンソンの「アシモフの氷室」も同様に、稼働中に周囲の生物の体内時計を遅らせる。氷室の影響下にあるものからすれば自分たちだけが世界から遅れていくので、逆に時間がものすごく速く過ぎていくように感じるのだ。


 都合のいいことにこのAVW、ジョンソン自身は影響を受けないようにデザインされている。よって使用者と被使用者の間には時間の感じ方にズレが生じる。

 彼は長らく氷室の効果によって動きの鈍くなった吸血鬼を捕獲する、という戦法をとってきた。

 今回もウィリアムズで見つけた金髪の男吸血鬼の近くに氷室を設置し、のろまになった金髪の吸血鬼を炙り出し、エイドスアブソーバーを使用する。それがジョンソンの計画だった。


「このアリゾナ州でワシほど苦労なく、吸血鬼を捕獲できるヴァンパイアハンターはいないだろうなぁ〜」


 ジョンソンは左手で口ひげを撫でさすりながら取らぬ狸の皮算用で自己陶酔しているところだった。

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