新たな出発
今思えばマークの半生は罪の意識との戦いだった。
マークはカナダに生まれた。両親はともにスポーツを愛する夫妻。母はバレーボール、父は野球の地元クラブに参加していた。マークはフットボールや野球の少年クラブに入ることを期待されていた。
だが、彼はスポーツが好きではなかった。それはチームで何かを成し遂げるという意思にかけていたからだと思う。
マークは一人でいたかった、本を読んだりゲームをしたりしている方が誰かと衝突する心配もなくのんびり暮らせたからだ。最初のうちはそれでも何かをマークに期待していたんだろうか、両親はいずれスポーツの良さに気付くだろうと彼の様子を伺っているようだった。
7歳の時、彼らに二人目の子が生まれるまでは。
弟は彼と違って一歳になる前にハイハイを卒業した。
それがスポーツマンの頭角を表していたかのように、三歳になる頃には地元では有名なサッカー小僧になった。小学校ではサッカー、中学校では野球。今は高校から始めたフットボールをやっている。
そんな兄と弟がいて、スポーツマンの両親が後者を目にかけないわけがないだろう。
両親の期待とは違った方向に育ったマークの存在は少しずつ彼らの中で小さくなっていった。いつ頃からだろうか、マークが自分を嫌うようになったのは。
彼は両親が期待の眼差しで見る弟に対してコンプレックスを抱き、いつしかそれは時たま発作的な酷い自己嫌悪癖を持たせた。
コンプレックスを払いのけたかった高校生のマークは、勉強と化学部としての活動に勤しんだ。それでも負い目を完全に消すことはできなかったのだ。
そして両親から逃げるように、奨学金を使ってイギリスの経済大学に入学した。そこで優秀な学生になることで仮初めの自信をつけ、コンプレックスは幾分か克服できたように思えた。
両親が米国への旅行中に吸血鬼に襲われ死亡した事実を聞かされたのは、そんな留学中のことだった。
急いで故郷に戻った頃には、彼らの葬儀が始まっていた。すすり泣く両親の兄妹、そして傍にぼんやりと佇む弟。
両親から逃げていたマークに、後ろ指を指すような親族の視線。
弟の元へ歩み寄った。彼は生気を失ったような目で、曇り空を見上げているのだった。
なんと声をかければいいのかわからなかった。
最後の瞬間に側にいれなかったこと、両親を避けていたこと。自責の念が唇に重くのしかかり、御言葉が口から出てこなかったのだ。
『兄さん……僕は悔しい。兄さんもそうだろう?』
弟が口を開いた。ずっと空を見ている、マークとは目を合わせる気がないようだった。
『……そうだ』
『父さんと母さんのことどう思う? 自分のことをどう思う?』
突然そんな問いを投げかけられ、マークはまたも口を閉じてしまった。
考える、今の自分はどう思っているのか。
複雑な感情の中から何を汲みだせば、弟に正解と言われるのか?
『正面からあの人たちと向き合えなかった自分が、情けない。側にいて守ってやれなかったことが、申し訳ない』
『……じゃあさ、そう思っているならさ。行動して見せてよ。もうこんな形で……悲しい思いをする人を一人でも増やさないようにしてよ』
マークはゆっくりと頷いた。
今の自分にできることとは、こんな悲しいことが起きることを防ぐことだ。
そして人々のそばにいて、寄り添い、守ることだ。
『約束する。僕は悲しみの種を摘むことで償うよ。この罪を』
そうしてマークは、ヴァンパイアハンターになったのだ。
♢
「AVW、「ロドリゲスの使用人」……だって?」
そのことはマークの既存の価値観を根本から破壊するようなものだった。人型のAVWなんて聞いたことがない。というよりAVWは人の生活に関わりの深い道具からデザインされているものだから、その中に人間をかたどったものがあるとは思えない。
「信じられない」
「まぎれもない事実だ。これだから人間などという下等生物は……」
だが、一方でこのAVWが十器だというのも納得できるような気がしていた。自分の意思で行動するAVW。これならたとえ保有者の身動きが取れなくても、AVWを向かわせるだけでいい。優れた機能だ。
その時モンローが階段を上がってマーク達のいる最上階へとやってきた。
「こ、これは……」
モンローはマーク達の前に転がる吸血鬼の死骸を見て、顔をしかめた。首元にぽっかりと穴を開けられたそれを指差してモンローは言った。
「レイモンド、また殺したのか? それもこんな酷いやり方で」
「当たり前だ。これが一番手っ取り早い。それに、俺がやっていなければこの雑魚は死んでいた」
マークは否定できなかった。正直最後の一発が「ロドリゲスの使用人」によって阻止されていなかったとしたら、命を落としていてもおかしくなかった。紫色に腫れた唇をマークは噛み締めた。
「ミスターモンロー、これは一重に僕の実力不足です」
「マーク君……、いいやそれでもやり方ってものがある。レイモンド、反省しなさい。今回はやりすぎだ」
「ハン、反省? 笑わせるなモンロー、こいつの言っている通りだ。こいつは弱い、だからこれは手遅れにならないための処置だ。昨晩だって、俺が虫取り網型の頬袋を掻っ捌いていなければ、消化されていたぞ。全く、これだから下等生物はーー」
やはり、昨日マークを助けたのはこのAVWだったのか。
「もういい……下がっていろ」
モンローは「ロドリゲスの使用人」の現実態(エネルゲイア)化を解いた。使用人の体は光の粒子と化し、そのまま空中で散り散りになって消えた。
「マーク君、君は自分をあまり責めないでいい。あの男はいつも口が悪いんだよ」
「ミスターモンローのお気遣いは嬉しいですが。使用人の言う通りです。僕は未熟だ。このままじゃいつまでたっても一人前になれやしない。ミスターモンロー、僕はどうすればいいんですか?」
マークは嘆きたい気持ちでモンローを見つめた。AVWを上手く扱えないまま没収され、今回の件でも無事に少女を助けたものはいいものの自身は大きな痛手を負った。
「AVWを失って初めて自分の至らなさに気づきました。自分が大した実力もないのに奢っていたこと、AVWを持っていることに自惚れて自身の努力を忘れていたこと。僕はもう一度ゼロからやり直したい、今のままではダメなんです!」
マークの真意を図っているのかモンローは探るような目つきでこちらを見ていた。でも、僕の気持ちは本物だ。これは過剰な自己嫌悪ではない、自分自身を見つめ直した結果思ったことだ。
「僕を叩き直して下さい……ミスターモンロー」
モンローは二つの大きな黒目でマークを見つめているだけだった。
どれくらいの時間だっただろうか、マークにはその間の沈黙がとても長い時間のように思えた。やがて、ゆっくりとモンローが口を開いた。
「研修という形になるが、私の元で一緒に仕事をするというのはどうだ?」
「ミスターモンロー!」
「ただし、だ」
モンローは浮いたマークの口に手を当てて塞いだ。
「仕事は厳しいぞ。私には合衆国中からヘルプの要請が来る。彼らでは手に負えないほどの任務だ。戦いは熾烈を極める。それでもいいかね?」
マークは一瞬顔を綻ばせると、すぐに表情を引き締めた。
「はい!」
その時モンローの背中が光を放ち、ロドリゲスの使用人が再び姿を現した。彼の冷たい目つきがマークを少しばかり硬直させる。
「足手まといになれば、モンローと違って俺は容赦なく見捨てるからな」
「構わない。でも、僕は君からも強さの秘密を見つけたいんだ。」
マークのまっすぐな瞳に、使用人は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ハン。勝手にしろ」
アパレルショップのフロアに電子音が鳴り響いた。モンローがポケットから取り出した携帯電話が音の主だったようで、彼は断りを入れてから電話に出た。
「もしもし」
八分ほどの長い通話だった。
「はぁ……へぇ……なるほど……わかった」
モンローが電話を切った
「どうしたんですか?」
「早速任務が入った。私は次の現場へ行かなければならない」
「えーっと、さっきの話は?」
モンローはよほど暇がないのか答えもせず足早に走り去った。マークは呆気にとられてその場から動けなかった。
しばらくしてモンローが不思議そうな顔でもう一度階段を駆け上がってくる。
「どうした、ついてこないのかね?」
「え?」
「研修はすでに始まっているのだよ」
だんだんとフェニックスの街が小さくなって行く。その様子をマークはちらちらと後部座席の車窓から見ていた。
「父さん、母さん。僕はこの人の元でもっと強くなります」
☆不定期開催豆知識
アリゾナ大学があり学術都市としての側面が強いツーソンでは毎年ツーソンミネラルショーという世界最大級の鉱物見本市が開催されます。ボウリング玉よりふた回り以上大きい水晶球や、人間よりでかいローズクォーツの単結晶、どでかい貝の化石などが見られるようです。
次回からはヴェッキーたちの話に戻ります。いよいよ目的地ロサンゼルスに到着した一行はヨハン捜索のための確かな情報を手にします。西海岸でも個性豊かな吸血鬼やヴァンパイアハンターが登場しますのでお楽しみに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます