第36話 見慣れた天井
「……」
気がつけば見慣れた天井。
濃緑色の液体越しに見る飾り気のないタイル張り。現れては消える気泡の断続。
基地。第六研究室の、検査用維持槽。
「気が付かれましたか」
耳ではない骨を震えさせる振動。それがスーチの声で語りかけてくる。答えようと発した声は、しかし薬液に撹拌し泡となって弾ける。
「各部の再生は順調です。今開けます」
そうだ。負けてしまった。
試合に負けても勝負で勝っていた、目的を遂行し続けてきた組織にとっての、完全な敗北。
何一つも成果を得られなかった。
ー
「いやしかし無茶をしたねぇ。右腕なんざケロイド化したせいで再生が不可能になってたから、態々削らにゃあならんかったよー」
腕一つすら再生し得る、俺の身体を構成する変異遺伝子の基礎、ヒトデの細胞。それも半端な状態変化で固定されてしまえば再生は不可能だと言う事か。
維持層の周囲でログの整理にかかる四名。ベティは簡単な報告とばかりにその内容の一部を教えてくれる。自らガソリンに突っ込み爆発炎上させた右腕。炎に晒した事で溶解液は無効化出来たものの、炎症の合併症により再生が妨げられた。ケロイドは自然治癒されないからだ。
「まぁでも内臓くらいなら生命維持さえしっかりすりゃ再生は可能だし、まったく便利な身体だよ」
「痛い事には変わりないですけどね」
「あー、まぁ、実際ショック状態だったしねー」
「……揚羽は?」
「同様。回収済み。多分もう治療も修復も完了してるんじゃないかな?
ああ、そうそう、んで、目が覚めたら集まるようにってフレイ様が」
「今すぐ?」
「うん、報告してあるからそうだろうね」
「分かった」
結局フレイは現場に現れなかった。いや、俺と揚羽を回収した者が居るならば、それがフレイだったのだろう。だが間に合わなかった事に違いはなく、サクラはまんまと敵の手に渡ってしまった訳だ。
フレイの遅刻を責めたい所ではあるが、しかし誰よりも花としてのサクラに意義を見出していたのもフレイである。凡そ理由も無いと言う事は無いだろう。
ー
俺の居た第六研究室は中央休憩室の背中に位置する。ぐるりと囲うように配する通路を回り入り口に差し掛かると、其処には待ちかねたと言わんがばかり、壁に背を預け腕を組む揚羽の姿。
ブレイブ・ジャッジに敗れたとの話であったが、無事で何よりだと胸を撫で下ろす。卓越した技術につい忘れがちであるが、揚羽はナノマシン群体の左腕を除けば生身である。
「ご無事で」
軽い挨拶をかける。
とは言え今まで上手く敗走出来ていた為、逆に完全敗北の後だと正直掛ける言葉に困るのは事実であった。俺がミスる事はあっても、揚羽がしくじる事など今までなかたのだ。心なしかその表情は硬い。
「……いいか、サクラの事は触れるな」
「揚羽っ」
普段のあっけらかんとした態度は影を潜め、俺の姿を認めた揚羽はただ一言忠告すると中央休憩室のドアを潜った。
どう言う意味だ。触れるな? 話題に出すな? サクラを助けるんじゃないのか?
カッとなり叫び、追いかける。
「揃ったね、病み上がりの所すまない。次の作戦だ」
全天モニタとなった室内で、フレイは俺を認めるや性急に切り出した。
語られた内容は、まったくただの怪人起動実験と変わらない内容で、サクラの名前も花の存在も、一切が無かったかの様に触れられる事は無かった。
「また今回は同調率を下げ人間の理性を残した状態での投入となる。無論催眠を施し扱い安くはするが、不測の事態として完全に敵対化する可能性を留意してくれ」
「その場合は処分で?」
「うん。そのように」
「ちょ、ちょっと……」
投入されるのはgh型。過去異常を認められた類人猿タイプ。外気に触れた途端に細胞の崩壊を始め暴走し、敵よりも味方に多大な害を齎した失敗作だ。俺がこうなった原因と言える、忌まわしい存在。
「更に前回お前たちの留守中に発生した実験に於いて、新たに確認された敵性体、これの介入も考えられる」
「緑のブレイブだな」
「うん。確認出来たのは僅かな間であったが、その威力はブレイブジャッジに劣らず強力だ」
「フレイっ、サク――ぐっ!?」
まるきりイジメの様なあからさまな話の運び。我慢出来ずに口を開くが、その瞬間俺の身体は言い様のない圧に晒され、全身麻酔宜しく言葉一つ発することが出来ない。
フレイの技だ。心臓を鷲掴みにされたような閉塞感。鼓動を無理やり押さえつけられる息苦しさ。脳裏に差し込まれる言い様のない感情、思考。
他者の思考を流し込まれるというのは、思うよりも気持ちが悪い。
思いは言葉ではない。シナプス回路を縱橫と流れる光の奔流。言葉に形作るでもなければそれは、脳みその中でルービックキューブを繰り返すように淡々と、しかし整然でありながら思考は試行の連続。伝えようとしない限りそれは、氾濫する川に巻き込まれたのと同様、暴れる水流に揉まれるだけ。
これは自身にしたってそうだ。ただ、その流れを知ってるかどうか。どう泳げば良いか知ってるかの違いなのだ。
「が……ぐ……」
思わずその場で膝を付き、混乱する頭を押さえる。そんな事をしてもどうにもならないのだが、そうせずには居られない。
「まだ本調子では無いようだね。揚羽、連れていってやってくれ」
「了解した」
暗闇に瞬くように垣間見える。それは感情の一片であり、言葉の断片。
何倍にも早送りしたテープみたいに壊れた音が流れる。
ただ、その中に、一瞬だけサクラの名を聞いた気がしたのは、ただ単に混ざり込んだ俺の思考のせいだったのだろうか。
ーー
「触れるなったろうがこのおバカ」
脅威の速さで第六研究室の検査室へとんぼ返りし、揚羽は、未だ震えるようにフレイの思考が残響する頭部に、軽い拳を振るった。
「でも、どうして……」
「んだ。嫌にサクラに拘るな。興味無いって顔してたクセに。ロリコンかぁ?」
「そんなんじゃっ」
「まぁ聞け。今の俺たちは本部の連中に目をつけられている。さっきの部屋もモニタされていた訳だ」
通常業務に戻り研究員の四人は隣室である。診察台に座る俺の眼前、腕組みで仁王立ちする揚羽は顔を寄せ、潜める声でそれを語りだした。
正直野郎の顔が寄ってくるなんざ御免であるが、事態が事態、何より頭部をガッチリと抑え込まれ、逃げる事が出来ないでいる。
「連中の言い分はつまり本部の指揮権に入れって事だ。フレイの進める生体怪人の有効性を疑問視している訳だな。今度の作戦はそれに対するパフォーマンスの意味もある」
「……ですが以前言ってたようにウチの怪人じゃ本部のソレに比べるまでもないって」
「まぁ戦力としてはな。だが一応今の俺たちのボスはフレイだ。そのフレイがやるって言うんだからまず従わないとなるめえ?
ただ何も勝つ必要は無い訳だ。有用であると答えを見せるだけで、とりあえずの体面は整えられる」
最もではある。俺の給与は少なくともフレイの管理下だ。
さもなくば身勝手な給与未払いとかは出来ないであろう。
そして本部がフレイの生体怪人を否定すると言う事は、つまり半怪人の俺もまた無用と判断されるだろう。組織への忠誠もなく、怪人としての力もなく、はたまた組織にとって有用な技術を持つ訳でもないのだから。
「答えというならば、それこそ花こそがフレイの求めていた答えなんじゃっ」
「ん、それなんだが……どうもフレイはまだサクラの存在を秘密にしておきたいみたいでな。今、基地にゃ本部の使者が来ていて、そいつの目をだまくらかす為にも、表立ってサクラについて触れる訳にゃいかんのさ」
「いつまでです? その間、サクラはどうなりますっ」
「一応監視班が追っているし、警視庁に居るツテも頼んではある。イザとなれば救出には向かう」
「……分かり、ました」
「本当に大丈夫かよ? 拘り方が尋常じゃねぇぞ? 本当に患ってねぇだろうな、ロリコン」
「そうじゃなくて……」
そう、違う。多分、目の前で連れ去られたって失敗が引っかかってるのだ。あの場には俺しか居なかった。責任は俺のものだ。
死にかけた。サクラを無力化する手はあれしか思いつかなかった。ジャッジも現れ、とても俺の手に追えるものではなかっただろう。
けれどこれは俺の負けで、サクラを連れ去られたのは俺の力不足。もっと上手く出来たかもしれない。サクラを説得出来たかもしれない。そんな思いがぐるぐるぐるぐる回って、払おうとも消えてくれないのだ。
失敗が怖いのだ。
責められるのが嫌なのだ。
何より、自分の無力を自覚するのが辛いのだ。
「くそ、それにしたって何でこんなタイミングで内部対立みたいな事をっ」
「いや、それ事態は以前からあったのさ。所謂方向性の違いってヤツだな」
「……悪の組織なのに、ですか」
「ウチは宗教は利用しちゃ居るが、宗教って訳じゃないからな。絶対的な唯一無二の偶像なんざおったってちゃいないのさ。どころか寄り合い所帯に近い。それはフレイだってそうだ。実質ウチ等は派閥争いの真っ只中って訳だな」
正直予想の外ではあった。少なくとも同じ方向を向いているものと。
だが俺はフレイの口から組織の真の目的に関しては聞かされていない。一度だけ訪ねた事はあったが、いつものニンマリ笑いで世界征服と逸らかすばかりであった。
「兎も角、本部と真っ向から対立する訳にもいかねぇ。資金源だからな」
「あれ……余所から資金提供受けてた気が……」
「基地再建で予算ふっ飛ばしたのは確かだからな」
予算……悪の組織なのに予算。
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