戦闘員の日常 1

この美しいゴミ溜めのような

第1話 帰ってきた悪の組織


 街が眠ろうかという程の夜中。


 地上では帰り惜しむ千鳥足の群れが流れてゆき、片田舎のこの街は、今ゆっくりとまぶたを降ろそうとしていた。


 地上八階のどこにでもあるテナントビル。

 その屋上、地上を見下ろす影があった。

「……」

 屋上の一段高いふちに立ち、吹く夜風に衣服を揺らす。

 

 周囲のビルは既に消灯し、その者は今にも闇に溶け込まんかのようだった。

「少し、いいかな」

 問いかける声に、縁に立つ影は一瞬身体を震わせた。


 また風が吹き、雲に遮られていた月が顔を覗かせる。


 屋上の縁に立つのはグレーのスーツに身を包む、若い女性であった。

「……っ」

 肩をすくませ振り返る。遠目にはその表情はうかがい知れなかった。


「いや失敬。何、少し話をさせてくれないかと思ってね」

 演技掛かった口調、月明かりの下、姿を表すのは同じくスーツ姿の女性。違いはスーツの色と、タイトスカートとパンツスタイル、そして頭髪の形状程だろうか。


「……」

 いぶかしげているのだろう、縁に立つ女性は無言で返す。

 動き出さない事をと受け取り、黒いスーツの女性、悪の組織が幹部、フレイは害意は無いと両手を腰の高さに開いた。


「もし君が、君をそこまで追い込んだ連中に復讐したいと言うなら、我々は力を貸せると思うんだ。

 その、提案をしに来た」

 フレイがその場に現れたのは無論人助けの為ではない。アプローチの方向を変えたスカウトである。

 心の弱りきった者へ向ける悪への誘い。悪魔の囁き。


「どうだい? どうせ死ぬなら死んだと思って、むしろ自分の手で復讐したく――」

 フレイがそこまで語った所で、女性は消えた。


 グシュッ、遠く響き渡る。


「……逃げられてしまったよ」

 振り返り、フレイは眉尻を下げて肩を竦めた。


「この世界からの逃亡、ですね。むしろ」

 物陰から姿を表し、俺は付け加えた。


 階下ではやがて悲鳴が上がる。

 長居をして無用の手間を負う必要はない。俺達はその場を撤収した。


 都内の活動から手を引き、凡そ一年。

 我らがフレイ率いる悪の組織の日本支部は、蘇った。


 此処、埼玉に。


 

 


 ありふれた市道を走る。


 かつて都内に住んで居たために車は不要であった。だが新たに組織が基地を構えたこの埼玉は、少し都心を離れればバスが一時間に三本もザラな劣悪環境である。

 また都内に比べ比較広い面積に対し電車網はスカスカで、そのような都合から俺は態々免許を習得したのである。


 車は組織の社用車扱いで購入した為、度々フレイやらの足代わりに駆り出される。まぁただ基本作戦以外に出番の少ない戦闘員である。暇が許す限りには応じている。


 何より、自動車というのは一種の密室となり得る訳で、車内であれば以前のように密談出来る場所に困る事は無くなるのだ。

 

「まぁた失敗したねぇ」

 後部座席に座り、フレイが語りかけてくる。俺は咄嗟にカーラジオのボリュームを落とした。

「まぁ、仕方ないかと」


 埼玉に引っ越して最初に取り掛かった作戦がこのスカウトである。以前よりフレイは組織の人的不足を問題視している。

 それはいい。

 しかしアプローチする対象に問題があるのは否めない事実であった。


「そもそもは既に絶望してしまっている訳ですから、何かにすがる気力も使い果たしたから、に出るんです」

 これは、半分経験則である。

 俺だって社会人をしていた時期があり、それはそれは辛い日々を過ごしていた。

 そういった意味で、先程の彼女には憐憫れんびんも勿論あるが、共感も抱く。


「そこなんだが、どうせ死ぬなら最後に、憎い相手をどうこうしたいと思わないものなのかい?」

 食い下がるフレイ。だがこればかりは、経験しないと解らない心情だろう。

 限界を越えてすり減らされた心が、どのようなものかなど。


「ええ、思えません」

「うぅむ……」

 日付がもう変わろうかいう時間、過ぎ行く対向車には、恐らく未だ勤務中の者も少なからず居るだろう。夜勤と言う訳でもなく、の者が。


「ですので、いい加減この手は諦めた方が」


「いや、ならばいっそ拉致してしまえば良いんじゃないかな」


 何がフレイをそこまで駆り立てるのか、普段は物事を柳に風と扱う彼女はやたら自殺者に拘りスカウトを続けている。


「拉致……ですか?」


「ああ。まぁ流石に手段が強引だから同士としては望めないだろうがね」


 いくら言ってもシートベルトを着用しないので、フレイは後ろに下がって貰っている。そのフレイはシートに手をかけ、身を乗り出し俺の顔をうかがった。


「大人しく座って下さい。それに一応後部座席もシートベルトは着用義務がありますからね」


 車での移動が増えた事による弊害は勿論ある。その一つが交通課の警察である。後部座席はそうでもないが、運転席及び助手席のシートベルトには厳しいのだ。


「連れない態度じゃないか」


「警察に捕まるのは御免ですから」





 新しい基地は県庁所在地より離れた工業地帯に構えられた。

 貸しコンテナをダミーとして地上に設置し、基地本体は例によって地下である。

「ではどうやって人員を確保したらいいのだろう」


 長い車中、語らう時間はそれなりにはあったが、その殆どは自殺がに落ちないというフレイに対する答弁で過ぎた。ようやっと理解の形でその話題にケリがついたのが、基地の所在地より徒歩数分の貸し駐車場に到着した頃である。

 そして話は最初に戻り、今に至る。


「いや、それは考えつきませんけど」

 基地入り口のエレベーターを降り、フレイの後を追って通路を進む。


 この支部に置いて一番の新入りである俺はと言うと、戦闘員をバイトとして受けた事が始まりである。そこから脅され、負傷し、半怪人化して、いよいよ逃げれなくなってからの組織への帰順だ。

 しかしこれも稀有な例と言えた。


 そもそも戦闘員はヤクザを介した人材派遣の形で賄っていた。

 日当数万と言う求人が転がるような怪しさが蜷局を巻くようなサイトを使い人を集め、半ば騙す形で無理やり現場へ引きずり出す。

 そして現場に出ると、バケモノの随伴を命令された挙句に謎の武装集団と衝突、果ては警察に追い掛けられ、命からがらの撤収。これが1セットだ。

 リピーターはまず居ない。最終的にはそれこそ俺だけとなった。


 従って、以前のやり方ではまずリピーターが存在せず、よしんば居たとしても、イコールで組織に同調をするかどうかは火を見るより明らか。そこに俺と同じように負傷を待って半怪人化を施しても、聞く話、大概は同化に失敗すると言う。

 薄ら寒い話だ。


 つまり現在組織が求めているのは、半怪人化せずとも組織に同調してくれる存在と言える。

 ちなみに完全な怪人化としての試験体はまた別口である。


「困ったものだ。日本のチンピラはやる気が足りない」


「と言うと、本部の方は集まっているんですか」


 正式名称不明の悪の組織は本部が北米にあると言う。此処は日本の支部で、また、怪人型生物兵器研究施設の側面を担っている。

 北米本部は主に機械サイボーグ化した兵士を用いていると言う話だ。


「うーん、まぁ向こうはそもそも難民が居るからね。何より不満に対して非常にアグレッシブだし」


「不満に対してアグレッシブ、ですか」


 新種のパワーワードの様な響きである。


 しかしまたそれも、日本人らしい感性なのだろうか。

 北米から移ってきたこの組織に関わっていく内に、俺はほとほと日本文化との確執を感じてきた。

 まぁちょっとした粗相が即裁判で数億の賠償金沙汰になる国とのスケールの違いなのかもしれないが。


 その点で言えば、銃も無く、未成年保護法という盾に甘んじてしまう日本の不良ではタガのハズレ方が違うのだろう。


 通路を行くと途中左右にガラス張りの研究室が並ぶ。その一つの向こう、小柄な少女がフレイの姿を認めると頭を下げる。フレイは軽く手を挙げそれに応えた。


 浅黒い肌の少女はそれを確認すると胸に抱くようにしていたファイルを机に置き、研究室から出てフレイの元へ小走りに駆け寄った。


 第六研究室研究員、通称スーチ。見たままの少女であり、悪の組織日本支部が研究員の一人。そして半怪人化した俺の身体を定期的にモニターする役割と負っている。


「ご苦労だね。まだ残っていたのかい」

 時刻は既に日付変更を遥にまたいで、新聞配達員が動き出そうかという所であった。


「はい、少しでも状態を取り戻さないと、と思いまして。

 フレイ様こそ、まだお休みにならないのですか」


 金髪碧眼というインド系にしては珍しい容貌を持つ彼女はフレイに心酔しており、逆にその他の人間には辛辣である。

 今もまた、俺の存在など意にも介さずとフレイに集中している。


「頑張ってくれるのは嬉しいが、それでスーチが倒れてしまっては元も子もないよ?今日は一旦上がって、というか既に日付が変わっていたね。ともあれ、しっかり寝てくるんだ」


「ですが……」


 基地を移して凡そ一年。

 機材諸々は前基地と共に一切の記録が残らぬように爆散し、再建こそ叶いはしたもの、未だ行動に移るには何もかもが足りない状態である。


 とは言え、この状況は一人踏ん張っても覆せない事は誰だって解っている。スーチだってそうだ。しかしフレイに恩義を感じフレイを生き甲斐にすらしてしまう彼女は、何とかしたいと暴走してしまうのだろう。

 俺はスーチの背後から迂回しフレイに耳打ちする。


「……スーチ、君が倒れてしまっては私が悲しい。

 解ってくれるね?」


 屈みこみ、スーチと目線を合わせる。額と額が触れん程に顔を寄せ、フレイが台本に従う。


 無論、俺が入れ知恵した事など聡明なスーチにはお見通しであろう。

 キツく睨みつける視線が俺に浴びせられ、しかし少し残念そうに、スーチは頷く。


「うん」

 フレイは一つ頷き、スーチの肩に手を置くと彼女を回れ右させ送り出した。


「こんな時間に一人で大丈夫ですかね?」


「いや、今日は流石に基地の仮眠室だろう」


 スーチの背中を眺めながら小声で話し合う。

 思えば何だかんだでフレイとの行動が多くなってきてしまっている。


「……で、俺ももう帰っていいんですかね」

 昼過ぎ出社のフレックスタイムだとしても、残業増々の時間であった。

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