第8話 戦闘員の日常5
「ヒトをバケモノにする事」
余程こちらの感情を観察したかったのか、言うとフレイは顔だけを振り向かせる。
想定内だった。クソッタレとは思うけれど。
こちとらクソな現実と無数の虚構に満ちた、夢がごちゃ混ぜにワルツを踊る現代社会に生きる脱落者である。人間の現代文化に置いて悪の記述に困る事など無い。
事、悪意に置いて悪魔が人間を凌駕する事など無いとすら揶揄されるのだ。
創作の世界に限定したとて、悪の秘密結社のする事は想像の範囲なのだ。何せヒトが生み出したアイデアなのだから。
「やっぱり、こっちのパターンか」
とは言え、まったくの平静で要られる訳ではない。悪い方の予感が当たった事には違いないのだから。
「おや、以外な反応だね」
「妄想が趣味なもんで」
「恐ろしいね」
歩を進めるフレイ。それに続く。緩やかに背後で閉まるドア。空気が抜ける音。ロックされる。
左右ズラリと並べられた巨大なホルマリン漬け。いや正確には生命維持装置、あるいは培養槽だろう。専門知識はないが、そんなもん漫画読んでるだけで単語くらいは覚える。兎に角、それっぽいものだ。
幾多もの管に身体を侵され、人間と、人間だったものが並ぶ。
バケモノの排出サイクルに疑問を抱いたのは最近の事ではあった。得心の行く回答である。ヒトを変異させていたのだ。
最も、繰り返すがドのつく素人だ。既に完成した人体の変異が、あるいは大変なのか容易なのか、断言する事は出来ない。が、これもまた偏った知識では、人の変異は容易であると予想するのにやぶさかでないのだ。
「結局は悪の組織だったって訳だ」
「何を今更」
正直直視は苦しい。そういう現実を何となくで受け入れるのが精一杯だ。
情報として知るのと現実の情報、五感からくる知覚として認識するのでは大きな隔たりがある。
「まぁ本題、と言ってもザックリと説明になるけれど。……正直私も良く解ってはいないし」
腰に手を当てると周囲をぐるりと見回す。メロンソーダ色した液体が光を反射し、その光景もまた一種の幻想かと思わせる。フレイの仕草もまるでお芝居を見ているかのような錯覚に陥る。
「まぁガン細胞のようなものと考えれば一等早いか。異常を来して増殖する腫瘍。これを意図して起こし変異の段階で一定の方向に導く。そうしてニンゲンの姿からバケモノへ作り変える。そんなとこだ」
「本当に適当ですね」
確かに専門用語を羅列されても理解は出来ない。が、本当にフレイが理解も出来ていない人体実行にサインをしたのだと考えると、それは非常に危険だ。
「使い物になれば良いのさ」
「使い物になってないじゃないですか」
「そこまで短慮じゃない。長い目で見ているつもりさ」
危険。何が。考えが。しかし既にこの組織は論理などは意にも介していないだろう。人を救うつもりもないのだから、実験サンプルがニンゲンであろうと何の感傷も抱かないのではないか。
「話を続けよう。この時、まぁ君も知っての通りヒト以外のナニカシラの方向性を持たせる。戦闘に適した形。ヒトでは凡そ辿り着けない身体能力。兵器としての有用性」
兵器とは言うが、しかし考えるに果たして魔物は人間が獲得した火力に勝てる日が来るのか疑問である。現状、銃弾を何十発と打ち込めば倒せるのだ。その点に置いて人間を超える、というのはどうなのだろうか。
「で、今回君に行った施術はあくまで回復を念頭に置いたものを使った、と言う訳だ。兵器にするつもりなら無理にでも段階を上げてしまうのだけど、まだ安定には遠いからね。だから君は元の姿のまま。外見的な変異には至っていない」
「しかし、どうして」
正直俺にそんな価値は無い。人間の俺、天野は無価値な、そこら辺に居る一般人だ。例えこれからテロリストとして再教育を受けようと、恐らく脱落する。肉体的に優れている訳もなく、思想もなく熱意もない。使い潰しにするのが恐らく正しい。ならばその程度の存在、いっそ魔物にでもしてしまったほうが組織にとっては余程有用だと思えるのだ。
「まだまだ同士が少ないから、かな」
「同士?」
「場所を変えよう。此処は少し煩い」
そうして連れられたのは警察の尋問室のような、狭く簡素な部屋。パイプ椅子に座らされ、コーヒーが提供される。
考えてみれば喫茶店のバイトをするようになってから、他の場所で態々コーヒーを飲もうなんて思わなくなったな。そんな事を考えながら一口啜る。
「我々は謂わば反社会的存在。現在の文明に対するアンチテーゼだ。世界、もっと小さくすれば物事に不満を抱く者は決して少なくないが、それに対して明確なアクションを起こす者は少ない。社会基盤が一定以上に安定を見た場合、それを突き崩す労力は莫大で、かつ投入したエネルギーに見合った結果が得られる保証は何もない。歴史の多くが語っているそうだ。大半は転覆しようとする力に対する抵抗の方が大きく、結末もまた爆風消火に等しい。安定を望む意思が圧倒的に強い訳だ。大小ならずとも」
「それもまた受け売り?」
「イエス」
室内をカップ片手に歩き回る。高説を垂れたと思いきやあっさり主張を借り物だと肯定する。
「まぁつまり、そこまで強欲では無いと言う事かね。個人レベル、群レベル、社会レベルでこそ強引な手法に寄った他者の蹴落としは行われる。しかし全てを敵に回す程の熱量ではない。己の保身ありきの囲い込み戦法が大概だ。国単位の敵対行動も冷戦構造が蔓延して久しい。せいぜい単独による暴走と見なされ周辺国家にタコ殴り」
「話を壮大にしてるけど、やってる事はテロ行為では」
まずいコーヒーとは言えコーヒーには違いない。
大概の問題はコーヒー一杯飲んでいる間に心の中で解決するものだ。とは誰のセリフだったろうか。少なくとも一定の整理は済んでいた。少なくとも現状、見栄を張るだけは出来る。
「まぁ、そうだね。故に我らの行動は傍目に見れば、結果の見えた反抗だと言う事さ。捕まって囲まれて撲殺されるのが容易に想像出来る未来に、果たして身を投じる者がどれだけいると思う?
だから、我々には同士が少ない訳だ」
そりゃそうだ。ただのバカか、洗脳された哀れな存在か、あるいはそれは、
「神を信じる者」
「そうなるね」
さてこの組織は何だ、という疑問に立ち返る。
「何だ、怪しい新興宗教?」
「に近いね」
ギッ、くたびれたスチール机にフレイが腰を載せる。
「だったらお生憎様なんですけど。俺、そういうの結構なんで」
確か実家は一応の仏教徒ではある。しかしそれは葬儀的な理由であって、熱心だった記憶はない。また子である俺に信仰を押し付ける事もなかった。日本人特有の曖昧な信仰というポーズだ。神事である祭りを盛大に祝い、あるいは婚前報告を十字教に誓い、死を仏に祈る。都合の良い時だけ祈り、しかし感謝はせず。
「神サマを信じるつもりもないし否定もしない。どうでも良い」
降ろしたカップに濁った液体が揺れる。宗教の勧誘となればこれは面倒だ。ましてや強引な手段をもろともしない方向性。狂信による神の信仰。話が通じない類の筆頭だ。
「構わないさ。実際私もどうでも良いしね」
しかし応えは以外とアッサリ返される。
「つまり、組織に加担する理由なんて、俺の生活の為ってだけです」
生活、の前に怠惰な、が付随する。
「まぁ問題は其処じゃない」
対面の椅子を引き、腰掛ける。空になったカップを適当に置き、俺の眼を見やる。
「必要なのは、我々の行っている非道徳的な行動を受け入れてしまえる事なのさ。
無論宗教は群としては利用価値はある。しかし暴走もし易い上に個が希薄という難点が強い」
「受け入れている? 俺が?」
「自覚ないのかい?」
「眼を背け続けている自覚なら、ありますけど」
「しかし拒絶反応は見せなかった」
「クソみたいな現実は腐るほどあるんで」
一定の道徳教育は受けている。それなりの常識とて弁えている。しかし現実はどうだ。言うほど愛に満ち溢れているか。言うほど正しい世の中か。理不尽と不条理は徹底して正されているか。命を奪わなければ美しいのか。人の尊厳を踏みにじる社会が何をほざく。被害者を晒し者にし、加害者をあの手この手で擁護し、声を大にする害悪に人権を与え続けそれらを得票数の糧にして政治を振るう権力者。身体を売る事を暗に黙認し輝くテレビの向こう。命を歌い動植物を囲い込み管理する傲慢。愛を歌い殺し食べる。愛を歌い人を犯し殴り踏みにじる社会。
目を背けるには十分過ぎる普通が、社会には蔓延している。
「いいけど。まぁそんな訳でこれからも宜しくって話になるんだけど、どうだい?」
「組織に賛同はしてませんけど。そもそも目的を聞いていない」
「どの道、卑怯な言い方ではあるが君に拒否権は無い。人間のフリをする分には問題はないだろうが、組織を離れて過ごせる訳ではない。
何、そう強要する事はないさ。何せ君はカテゴリーとしては失敗作に分類されるからね。身体能力的には今までとそう変わらない。指一本くらいならすぐに生えてくるだろうけど」
「失敗作?」
いわれて良い気がしない単語。人をバケモノにしておいて随分な言い草ではある。
「兵器として扱わない、そう考えておけばいい。ちなみに揚羽も分類はプロトタイプの扱いだ。主力にはなれない」
あれだけ人間離れしても、と思ってしまう。俺からすれば十分なバケモノである。
「指が、と言いましたね。俺は一体」
どうなっているのか、尋ねる。
「んー。ヒトデの怪人?」
小首をかしげ、言い捨てた。
「ヒトッ、デ?」
素っ頓狂な声があがる。
「ある種の動植物の細胞の変異体に組み替えるのさ。で、君の場合再生能力が求められた。ちなみに他の候補はアホロートルないし単細胞生物、プラナリアとかだね。嫌だろう? まかり間違ってプラナリアの怪人、なんてのは」
ヒトデも十分な外見だ。
「ああ、御器被りも生命力の点で言えば候補に上がるかな?」
御器被り。ゴキブリの辞書登録以前の正式名称である。
「そっ……れは、イヤだ」
「だーよねー」
言うとフレイはやっと表情を緩めた。気持ち、俺の緊張も吹き飛んでしまっていた。
一つ、息を吐く。
「わかりました、わかりました」
ドッと背もたれに身体を預け万歳する。降参だ。
どう考えても凡そ逃げられない絶体絶命。思えばフレイの目的は当初から俺を引き込む事にあった。是非は兎も角、おいそれとは引いてくれはしないだろう。今回の事件で俺が負傷して半魔物化してしまったのも恐らくは事実で、半ば予想はあったかもしれないが事故であろう。
運が良ければ、たぶん、魔物化せずに済んだケースもあった事だろう。
「良し決まりだ。
まぁ組織の方針とか主義主張なんかは、君、聞かされたとこで聞き流すだろう?」
「恐らく賛同はしない」
神の名の下であろうと、高潔な義務を掲げていようと。俺は余程がない限りはあらゆる事を疑ってかかるだろう。それくらいには捻くれている。
「最終的には人間文明の破壊だと捉えておいてくれ」
「ハルマゲドン?」
「さっきも言ったが宗教的な思想は無いよ。私の
ハルマゲドンは確か十字教だったか。北欧神話ならラグナロック、と言った所か。
「あー、宗教色はないとは言ったけど、霊とかはどうだい?」
「見ない限りは」
そして見たことは無い。
チビチビと片付けていったコーヒーは、そこでようやっと空になった。
「ごちそうさま。そんな口ぶりじゃ、まるで有るみたいだ。っと失礼、しました」
口調を崩してしまっていたことに気がつく。フレイとの関係は変わったが、間接雇用主から上司になっただけで、立場も、恐らく物理的な力関係も上の存在だ。
「構わないよ。私はそういうまだるっこしい人間関係とかどうでもいいんだ」
蝿を払うかのように手を振る。確かに、凡そ威厳とはかけ離れた口調であるし、俺に対しては始終フランクであった。とは言えそういった立ち回りも生き残る術の一つだ。気をつけるに越した事はないだろう。
「霊というか、魂というか。まぁそんなものは、あるかもしれないね。見るかい?」
これも一種のパターンとなった。フレイの誘い。こちらの意見を尊重してくれはするものの、誘いの先にあるのは何かしらの崩壊。今件で言えば常識の最後の砦の瓦解、と言ったところか。
「いえ。今日はこれでお腹いっぱいなんで」
改めて気持ちの整理はつけておきたかった。受け入れた様に見えて、結構状況に流されるがままの部分が殆どなのだ。
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