第5話 泣かれた。
彼女は何も語らなかった。
名前も、自分が誰であるかも。
ただの一言も発せず、それは基地に付いて数日が経った今も変わらない。
「A10、そろそろまた調子見るからな!」
「了解、シフト調整しておきます」
基地の廊下ですれ違ったウーに言われ、片手でそれに応える。
ウーは俺の半怪人の身体を定期チェックする第六研究室の一人で、中国系の優男だ。曲者の多い第六研究室では如何せん影が薄くなりがちの若手であった。
前基地でそうしていたように、俺は空いた日を外のアルバイトで過ごしていた。本来ならば戦闘員の戦闘時外の任務は基地内の巡回警備とされていたが、あまりに暇すぎるのと、現在この組織が給与未払いを起こしている事が一因である。
ネットニュースでも最近騒がれているようだが、一般社会も今や非正規雇用にシフトする方向に傾きつつあるようだ。正社員と非正規雇用のメリットデメリットは一重に労働契約の解除の容易さの違いであり、任意にシーズンで人件費のコントロールが可能と考えられたが為に浸透しつつあるのだろう。
これが当組織にも当てはまるのかはさておくとしても、かつてアルバイトとして日給数万を稼いでいたというのに、
内紛、そして基地の壊滅。再建したと思って合流すれば今度は資金難から給与未払いである。増えた
「あー、望が懐かしいなぁ」
ぼやく。
望は都内に住んでいた頃のバイト先で、寂れた喫茶店だった。作家が本業の、趣味の店である。いや、税金対策なのだろうか。
兎角、店長にやる気もなく、売上にも拘らず、故に客足も鈍いという暇を絵に書いた店であり、やる気の無い俺には天国のような環境であったのだ。
一方で今は生活に危機を覚えたが為に余裕もなく、肉体労働を選択してしまっている。何というか、そういう仕事に集まる人種の空気というのは息が詰まる。
戦闘員などというテロリストの片棒を担いでいるヤツに言われたくはないだろうが、彼らは大概がゲスい。
とりあえず、組織の資金繰りが早く回復してくれる事を願って止まない。
せめて手取りが安くても、払う物さえ払われれば、もうちょっとマシなバイトに切り替えられる。
等と明日の不満に思考を巡らせている内に、俺は目当ての場所へ辿り着いていた。
都心部にあった基地の構造を再現して居るため、最早迷う事はない。
研究棟にぐるりと囲まれた中央休憩室。通称
室内には既にフレイと揚羽が待っていた。いつものメンツだ。それに加えて一人の白衣の男。痩身に黒縁メガネのその男は見覚えのある顔立ちであった。
「やあ、来たね」
「おせーぞ」
口々に零す。室内は作戦説明等で使われる全天周モニタが投影されており、既に幾つかの窓が開かれている。
「すいません。続けて下さい」
事ある毎に呼ばれ報告に参席させられるが、俺には理解が追いつかないのが実情だ。また、心情的にも
相も変わらず俺のスタンスは宙ぶらりんを維持する事だけに集約されている。
手近なモニタを覗き込む。映し出されているのは基地内の一室で、机と椅子だけの質素な空間である。警察の取調室そのまんまの部屋で、用途もほぼその通りである。
「続けます。αは健康状態が非常に不安定であり、まぁ栄養失調ですね。これに伴う諸症状も顕著で、何にせよ暫くの療養が必要です。
また、――あ、次の頁ですが他に虐待あるいは暴行の形跡があり、精神状態も著しい衰弱が見て取れます」
目の前に浮かぶ窓をスライドさせる。英文で記述される横文字の報告に、右半分のスペースに添付される写真。むき出しとなった背中、鎖骨部分、手首、紫色に変色した
「従って凡そ実験体としては不適合です。暴走の危険を孕みますからね。
また、こちらは要調査ですがαの状態から推察する家庭環境からでは、凡そ組織として迎え入れられる知力は有しておりません」
研究員は淡々と説明を述べる。
俺たちが連れ帰った少女は既に壊れかけかもしれない、という事だった。
「……」
フレイも揚羽も無言である。
恐らく悪の組織なぞをやっているからにはそれなりに似た境遇の者など見飽きているだろう。だからこそ、何も言えないのかもしれない。
「宜しいですか、フレイ様。スーチの様なケースは稀です。αに関しては処分され」
「少し黙ろうか」
口を酸っぱく繰り返す男の口述を遮り、フレイは黙らせる。片肘を抱き口元に半握りの拳を添え、口元を隠していた。
「……失礼しました」
第六研究室研究員スーチは年端もいかぬ少女である。と同時に悪の組織の研究員として働く才媛だ。彼女の出自はその異端の状況と、フレイに対する盲信ぶりから窺い知る事が出来る。
「どうする。ほっぽり返すか?
あー、ウチって記憶操作って出来たっけ」
彼女を開放するとしても既に一度基地に招き入れてしまっている。一言も喋らない少女だとは言え、それを知っているという事実は十分な脅威足り得るだろう。揚羽が尋ねるのに、研究員が首を横に振る。
「いえ、そういった装置は必要ありませんでしたので」
「あー……じゃあ、殺すか?」
前髪を書き上げ、苦い顔。それでも、揚羽はその選択を示した。
薄ら寒い。
その選択を候補に上げられてしまえると言う事が。
「いや……」
沈黙を保っていたフレイが呟くように口を開いた。
「少し様子を見よう。彼女に関しては監視を厳にして行動は自由に。私が不在時の世話は適任者を選抜してくれ」
「フレイ様っ」
研究者が僅かに語気を荒らげる。
その判断は男の忠告に真っ向から反発するものだった。
研究者の報告を纏めると、αと呼ばれる少女は怪人の試験体にも適さず、しかし組織のコマとしても不適合な、ただのお荷物と言う事であった。
資金繰りに喘ぎ賃金未払いまで引き起こしている状況では、その運営能力を疑われる決断だと思えた。
まぁだがしかし、フレイはそういう奴だとどこかで納得出来る自分が居る。
フレイに人を纏める力は無く、組織を運営する手腕もない。不思議の国に出てくるチシャ猫のように、人を小馬鹿にして回るただのトリックスターだ。
「構いませんが、俺の給料早く払って下さいね」
とりあえず俺の関心はそこだけなので、それだけは釘を差しておいた。
「あー、あー、聞こえなーい」
だがフレイは食って掛かる研究員と同時に、俺の訴えを無視するのだった。
ー
「お前まだ給与未払いされてんの?」
「……え?」
「多分お前だけだぜ、タダ働きさせられてるの」
くっくっと笑う。殴りたい、この笑顔。
「……」
電気ポットの湯沸かし機能レベルで湧き上がる感情が、
「ちなみに何ヶ月分?」
「……三ヶ月くらい、ですかね」
組織に合流して早半年。
基地の崩壊から逃げ延びた俺は、それまでの生活を続けながら宛の無い将来に思いを巡らせるだけで、収入の確保等すっかり忘れていたのだ。その間にも残高は目減りしていたし、都内のアパートを引き上げこちらに住居を移し、貯金はいよいよ底が見始めている。そして止めとばかりに給与未払いである。
確か水道代を既に滞納しかけている。
「うっへぇ、お前イジめられてるんじゃねぇか?」
揚羽のからかいを真に受ける訳ではないが、組織での俺の重要度を考えると低い優先度に考えられている可能性は強い。半怪人となったものの戦闘力に目を見張るものはなく、また自分で主張する程にやる気も無い。
人材不足に苦しむからこそ手元に残して置きたいのだろうが、それでも必要な人材で順番を付けるなら、それは――納得が行くと言うものだ。
しかし戦闘員というアルバイトの時からそうだったように、戦闘員は常に危険と隣り合わせの仕事である。あるいは物理的、あるいは社会的に死を抱え任務に身を投じているのだ。
それが、俺の認識であり主張だ。というか普通に納得いかない。
「……一気にやる気なくなってきた」
元から無いやる気がメーター振り切りマイナスである。
「oh,まぁそう落ち込むなって。何だ、生活苦しいなら貸そうか?」
「いや、それはいいです。貸し借りとか嫌いなんで」
自然肩が下がる。力が抜け前かがみ、ゾンビのように歩く俺の周囲を慌てた揚羽がちょろまか回り
既に目の前にはエレベーターが迫っていた。
「ん、おい、どうした?」
と、揚羽が進行方向に二人の人影を認め声をかける。
白衣を羽織った男女二人で、エレベーターを過ぎた当たりで何かを話し合っているようだった。
基本滅多にエレベーターの先に人は見かけない。先にあるのは装備の保管整備の部屋の他、尋問室、そしてその先は怪人の培養室で、作業はほぼ機械により遠隔操作で行われる為、こちら側は少数の技術員の領分との認識が強い。
揚羽に呼びかけられ視線を向ける二人の内一人は、先程フレイと同席していた男の研究員であった。もう片方は女性で、枠なしメガネにソバージュの入ったセミロングの茶髪をしている。歳はそこそこだろうか。
「ああ、お二人ですか。いえ、先程のαの事です」
「アタシにお
女性の方は納得が行ってないのだろう、腰に手を当てて憎まれ口を吐く。男共々、関わった事のない研究員であった。
「丁度いいや、挨拶してこうぜ」
「はぁ……いや、挨拶も何も、ロクに会話も出来ないって……」
彼女とは現場を撤収する車中以来とはなるが、どのみち会話もなく顔もそれ程良く覚えていない。
ましてや彼女の状況を知った今、どんな顔で会えばいいと言うのだろう。
「いいから、ホレ行くぞ」
そんな事など気にも留めていないのか、揚羽は俺の腕を取る。
勝手なヤツだ。最悪殺す選択を提示したのは他ならぬ揚羽だと言うのに。
「ああ、ちょっと、一応アタシが任されたんだから、おかしな真似しないで下さいよ?」
男からファイルを引っ手繰り、女性研究者が後に続く。
「おかしな真似って、どんなよ」
「無闇に刺激しないでって事です!」
尋ねる揚羽に女性は語気を荒げて答えた。
とりあえず黙っていよう。俺はいつも通りの身の置き方を自分に言い聞かせ、揚羽に引き
ー
たった一室だけあるその部屋は、本来はスパイ等を尋問する目的で作られた、唯一の外客用の空間である。室内の作りは簡素で、奥には拘留用の牢もあるそうだ。
室内に入ると、少女は影に潜むように部屋の角、立ち尽くしていた。
ゾロゾロと続けて入ってきた俺たち三人に対して、視線こそ向けるものの反応は無い。
「はじめまして」
自己紹介をする女性研究員に対しても、ただ虚ろな瞳を向けるだけ。半開きになった口。顔は僅かに傾けられている。
見るからに自失状態だった。
「俺たちを覚えているか? あの倉庫に居たお兄さんたちだ」
次いで揚羽が身を乗り出す。同じく反応は無い。
フレイの問いかけに、少女はあの時確かに反応した。
彼女はあの時からこうだったのか、記憶は定かではない。
女性研究員は手にしたファイルを一枚捲り、少女と見比べる。
フレイは彼女の行動を自由にと告げたが、この分ではずっとこの部屋の隅に佇んで終わりそうな気さえする。
「とりあえず貴方は好きにして構わないそうよ。ただ、入れる場所は少ないから、そこは我慢して頂戴。食事は決まった時間にここに届けるわ。それで良いかしら」
報告義務と言うか、言っておかねばならぬのだろう。早口に捲し立てる女性に、やはり反応は無かった。
「はぁ……無駄ね。
私は一旦仕事に戻ります。お二人はまだ?」
深くため息をつく。付いて早々だが女性に与えられたのは監視ではない、と言う事だろうか。
「ん、放っといていいのか?」
「ええ、モニタしておくので、必要もないのに張り付くいても仕方ありませんし」
「そっか。んじゃ俺たちも行くか」
揚羽の言葉に、俺は近くのドアを開け、何となく習性だろうか、研究者と揚羽に退室を譲る。
「……て」
声がした。
「殺して」
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