第4話 戦闘員の日常3

 ある日。


 その日は店長も無事山場を越え、店の仕事も午後からだった。フレイに呼び出され、俺は駅前まで足を伸ばした。


「来たね」

 いつものスーツ姿、表情は少し怪訝だった。まさかもう逆鱗に触れたのだろうか。


「ん」

 一言、フレイは手にしたスマートフォンを突きつけてきた。


「は?」


 何だ、組織は電話を支給してくれるとでも言うのだろうか。まぁ確かに仕事の連絡とかで使うと言えば使うが。しかし営業でもあるまい、いや、むしろ中小企業では電話を支給してくれない所だってあると聞くのに。


 差し出されたスマホを受け取ろうと手を伸ばす。


「違う。番号を登録しろと言う意味だ」


 成程。どうやら今朝の事を根に持っているようだ。電話がかかってきた際、未登録の番号からだったので無視を決め込んだのだ。確か、三度程。


 というのも、最近では固定電話以外の番号からでも、所謂迷惑電話、セールスがかかってくるのだ。何処のバカだ個人情報を流出させてるのは。滅ぼすぞ。

 なので社会人を辞めて以来、登録外の番号はまず検索する様にしている。が、携帯番号だとその検索に中々ヒットしない。その為基本は無視する事に決めているのだ。これは一重に世の中が悪いと言えるだろう。


 そもそも、ごく限られた交友関係で、登録された番号以外が使用されるケースは稀だ。


「ああ、はい、赤外線ですね」


 ポケットに手を突っ込む。流石に携帯を携帯しない程歳は取ってないし世間離れしていない。


 その日は日曜で、主要都市でもない街の駅前とは言えそこそこにごった返していた。周囲から見たら、俺とフレイは所謂そういう関係に見えるだろうか。


 いや、無いな。フレイはスーツだし。


 そして何よりそんな勘違いをされても嬉しくない。相手は悪の組織の幹部である。

 あれ、そういえば組織の名称を知らないわ。


「何、君ガラケーなのかい」


 取り出された携帯を見てフレイは眉を潜めた。


「ええ。社会人時代に、戻しました」

 赤外線通信を呼び出す。


「何でまた」


「電池がね、持つんですよ。コッチのほうが」


 そして思ったより他の機能を使わなかったからだ。精々ネットサーフィンくらい。


「君、モテなさそうだね」

 設定が終わり携帯をフレイに向けるや、そんな心無い一言が向けられた。


「……」


 素直に傷ついた。脳内で自分を慰める余地も無いほどに、フレイの言葉の刃はシンプルで鋭く、俺の心に突き刺さる。


「ん。登録完了。次はすぐ出てくれよ」


「善処します」


 はいと応えないのは反骨ではなく、良い気がしないからだ。大概が仕事か、ロクでもない内容だろう。


「とりあえず移動しよう」

 言うとフレイは歩きだす。少なくとも人前で話せる内容ではなさそうだ。


 道行く人々は楽しそうで、遊びに出かける若者や、恋人同士に子連れ。空は晴れて、根拠はないが平和、と感じる日和だ。しかしこれから聞かされる内容は、およそ後ろ暗い事だろう。


「ああ、揚羽の番号も送っておいたから」


「ああ、はい」


 電話はあまり好きではない。話す事もそう無い。


「でさ、君は少し外聞を気にした方が良いね。流行りに乗れないとモテないんじゃないかい」

 蒸し返してきやがった。


「別にいいですから」

 ビッグなお世話と言うものだ。


「見てくれはマシなんだから勿体ないんじゃないかい。ま、こっちはその方が都合が良いけれどね」


「……都合?」


「恋人を殺す事になったら、どうするんだい」


「はぁ」


 歩きながら話す内容で無い事は確かだ。


 今後組織の行動が激化した場合は、つまりそういう事もあり得ると言っている訳か。もし恋人が居たとして、そう、浅いケースで考えると、恋人が作戦に巻き込まれた、あるいはその近くで被害に見舞われるかもしれない、となった場合か。

 一般的に考えるとまぁ恋人となれば優先するだろう。そうなると、つまり民間人を助けに行ってしまうヤツが出る訳か。


「あー、そういえば今更だけど君、恋人居る?」


「いえ」


「だろうね」


「……」


 フレイの口撃はさておき。先程のケースから話を広げていくと、正体露見身バレの危険が出る訳だ。自ら恋人に素性をバラしてしまうケースは最悪だ。また、そうでなかった場合でも目撃された場合、その恋人は事情聴取といった所か。

 真っ当に人を好きになれる者であるなら、組織を抜ける判断をするだろう。悪い方に考えると、組織を裏切る形で抜ける可能性も考えられる、か。


「とは言いますけれど、どうせ殆どの戦闘員は一度限り。再度応募してこなかったらそれまで、なんでしょう?」


「まぁ、そうだね」


 そうだ。実験に随伴させる戦闘員は質の低い求人サイトに載せ、ネット上で募集される。しかも行動の性質上、再応募してくる既得なヤツは、まぁ此処に一人居るけれど、少ない。大体が一度きりだ。何せ魔物の横で大立ち回りをするのだから。更に言えば実際求人を管理しているのは暴力団で、キモが座ったヤツでも尻込みは必死だろう。


 本当に、何で俺みたいなヤツが何度も応募したのか不思議でしょうがない。暴力団ヤーさんに関わらず、戦闘でも人の影に隠れてやり過ごしたせいだろうが。


「だが、」

 一つ、歩を進め、上半身で振り返る。いつもの微笑。こちらを見ているのか定かでない、薄目。


「君は違う」


「……何を期待されているのか知りませんがね」

 その横を抜け、逆に振り返り直す。


「何の役にも立ってませんよ」


 恋人が居ない所で、人が殺せるかも怪しい。心中で付け足す。


「人手不足だからね。一人でも使える手札は多い方が良いのさ」


 解ってはいるが、役立たずを肯定されるのは堪える。上昇志向の無い俺だが、悔しいと感じない訳ではない。だからと言って見返してやろう、と奮闘する事もないのだが。


「左様ですか」


「左様さ」


 これは暗に恋人を作るなと言っている訳だ。さんざモテないだの、煽っておいて。


 作る予定も、出来る目星もないけれど。チクショウが。


「さて、本題と行きたい、が」


 フレイがそう言う頃にはそこそこに歩いていた。線路脇の道を進み、小さな市商店街を抜け、この先は店もまばらだ。主要道も遠い。


「どこか無いものかねぇ」


「適当な場所ではダメなんですか」


「いや、万が一にも露見して構わないというなら何処でも構わないが」


 話の内容によるが、決して日常会話では無いのは確かだ。となればそれなりに人が居て、しかし決して流行っていない程度の店が良い。俺が勤めている店程の閑古鳥では漏れ聞こえるのは実証済だ。日曜だと難しい所だ。


「ああ、あそこが良い」

 と、フレイが指差す。


「ラッ……」

 ラブホテル。

 コンクリの街にあって異彩を放つ非日常の存在感。日の高い内では灯ってこそいないが、夜ともなれば存在感は更に煌々と輝く。恋人たちの休憩所。


「何、考えてるんですかっ」

 嫌が応にも語気が荒ぶる。


「何って、密談だが」


 洋風を模した外見に、一泊幾らとでかでかと看板を下げるミスマッチ。駐車場の入り口には薄汚れた幕が垂れ下がっており、内部の状態をうかがい知る事は出来ない。そしてホテルと言うだけあって個室。恐らくその在り方からして個人情報にもそれほど干渉してこないとは予想出来る。


 ネカフェ……ダメだ。空間が区切られているだけで吹き抜けたスペースは多い。個室ビデオも似たものだろう。


 有効な代案は思いつかない。


 何が嫌と言う訳ではなかったが、抵抗だけが強かった。恥ずかしい、のかもしれない。


「それとも、他に何かしようというのかい?」


 心なしか普段のフレイより、意地の悪い笑顔に見える。これみよがしにからかっているのだろうか。


「いっや、そんな事は」


「ならば問題はないだろう。君がもし気の迷いを起こして私を押し倒したとしても、何、君の身に危険が及ぶだけだ」

 実際そうなるだろう。


「解った。降参です」


「うむ、では行こうか」

 そういう事になった。




「ほぅほぅ。知識としては知ってはいたが、成程ね」

 室内に足を踏み入れ、フレイは零す。


「何だ、入ったのは初めてなんですか」


 そういえばこういったラブホテル、というものは案外日本独自の文化だと聞いた事がある。アメリカなどのモーテル等、響きで勘違いしがちだがまったくの別物だとか。


 駐車場を抜けロビーに入り、カウンターに降ろされたシェード越し、案内を受ける。部屋サンプルの貼られたパネルから部屋を選び、カギを受け取る。細かい身分確認等は無しだ。全体的に薄暗く調光された館内に、要所要所でカラフルな電飾が目を奪う。雰囲気を作り、その半面で何かを煽る、相反する感情を揺さぶり続けるかのように繰り返される。不可思議な空間だ。日常と非日常の混合。決して融和する事のない波。狂想曲。


「ワタシとしては、そうだな」


「ふぅん」


 しかし。あり得ない、あり得ないが、意識するなというのは難しい。


 何せ此処は そういうこと をする為の物なのだ。


 強く撒かれた芳香剤。強く湿気の残る室内。意識がクラクラする。


「さて、本題に入ろう」

 玄関を入ってすぐのドレッサーから椅子を引き出すと、それに腰掛けフレイが切り出した。


 室内の奥にはキングサイズのベッドが鎮座し、手前に二人がけのソファと小じんまりとしたテーブル。ベッド、ソファに対面する形に壁にはテレビが埋め込まれている。更に室内を玄関側に、フレイの腰掛けるドレッサーがある。反対にあるドアは、恐らくトイレと浴室だろう。


 意識を振り払う。俺は部屋を進みソファへ。小さく、ごく小さくBGMが流れている。


「当面のワタシたちの敵について、なのだけれどね」


「え、ええ」


 心臓の鼓動が高鳴るのは、あり得ない事を期待してなのか、これから語られる良からぬ事を警戒しての事なのか。


「何、暫く彼らに注目し、重要だと感じた事を教えて欲しいと言うだけさ」


 膝を組み、その上に肘を立て、顎を乗せる。伸びた指の先、整えられた爪がほほをなぞる。


 フレイのスーツはタイトスカートタイプではない。それが、残念に感じられた。


「というのも先の話でもあったが、揚羽の力を実践使用した為、火力のインフレが始まる可能性がある。彼らにその兆しがあるかを知りたいんだ」


「……知って、どうするんです」


「対応する。相手の攻撃力に合わせてこちらも強度を上げる」


 チョイチョイ、とフレイがベッドを、いやベッドの頭の部分を指し示す。見ると其処には埋め込まれたパネルがあり、観察するに有線のコントロールのようだった。

 消せ、と言う意味だろう。


 申し訳程度に流れるラブソング。意識を乱すには十分か。


「後手で対応する?」


「まぁ結果を見れば、先に手を出したのはコチラなのだけれどね。

 しかしあまり事態が激化するのは控えたい」


 ボタンをいじくり、音を消す。


「何故」


 余程、今までのような意味の見いだせない茶番を繰り返したいのだろうか。


「これも前に言ったね。自衛隊に出てきて欲しくないんだ」


 本気だったのか。


「最終的にミサイルを持ち出されては、これはもう戦争だ。日本でそれは望ましくない、と言う事だ」


「戦争」


「そう、戦争。ま、可能性の話さ。ただ、最悪日本からの撤退が望めない場合は、魔物という魔物を撒き散らして戦わざるを得ないだろう」


 ゲームのような荒廃した世界が脳内に浮かぶ。ゾンビパニックものだったか。


「現状それは本意ではない」


 気がつけば、座る膝の腕、握られた拳に力が入っていた。汗がじわりと手の平に滲む。


 やれゲーム脳だと揶揄される現代人には、あるいは受け入れられるかもしれないな。その時はきっとホームセンターがかつてない賑わいを見せる事だろう。追い詰められた人類の砦として。


「現状」


「そりゃ、いつまでも道徳にも攝る研究を続けて悦に浸っているつもりはない。整えば然るべき行動には移す。

 が、今ではない」


 見ると、フレイの顔から微笑は消えていて。


「詳しく聞きたいなら話すが?」


 長い睫毛で覗き見れない瞳が、爛々と暗い光を放っているように感じられた。


「いえ」


 鎌首をもたげていた下心など吹き飛んでいた。


 凪。嵐の前の無風状態。重くのしかかる気圧が、遠く鳴る雷鳴が、室内にあった。


 どピンクの部屋を選ばなくて良かった。



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