第16話 戦闘員の非日常8


 ほうほうの体で家に帰る。


「イチチ……」


 昼間のちょっとした出来心が腰に響いている。ここ最近では仕事でそれなりに身体

を動かしている。運動不足による筋肉痛とは思えない。そして筋肉痛が数日遅れで現れる程の年齢ではない。

 となると戦闘で腰を痛めていた可能性が考えられる。


 夕食は帰りの牛丼屋で済ませてきた。後はゆっくりして風呂入って寝るだけだ。


「おっこら……せっと」

 居間の座椅子に腰掛ける。それと同時にパンツのポケットで携帯が初期の着信音を告げた。

 夜八時を過ぎたくらいの話である。






 基地のエレベーターを降りると、そこは既に嵐が過ぎた後であった。


「やぁ、お早いお付きで」


 すぐそこにはスーツを血で染めたフレイが通路に凭れ、研究員であろう男性に応急処置を施されている姿があった。凡そ現場はこの周辺であったのだろう、壁のあちこちに血の後が散乱している。


「無事、ですか?」

 凡そ無事とは言い難い状況であったが、他に言葉が見つからずそう尋ねた。


 家に居た俺に電話をかけてきたのは揚羽であった。その揚羽はフレイから連絡を貰ったという。伝言ゲームかと突っ込む所であるが事情があった。



 俺に連絡が来る少し前、基地にフレイアが現れた。


 フレイアは彼女を見つけた研究員達に手をかざし、すると数名の研究員がフレイアの元へと向かって行き踵を返したフレイアを追っていったのだと言う。証言をした研究員はフレイに報告する者と後を追う者に別れ、後を追った者が見たのは、フレイアに付き従った数人が、培養室に入り数体の魔物を起動する所であった。


 追っていた研究員はその時点で一旦引き返し、フレイを待った。やがてフレイが現れる頃、フレイアと魔物、それと数名の研究員は搬送用エレベーターの前まで引き返して来ていた。


 搬送用エレベーターは物資の搬入の他、魔物の搬出も行う比較大き目のエレベーターであり、地上の工場の隠しスペースに出る。つまりフレイアは何故か付き従う魔物を勝手に地上に上げようとしていたのだ。


 魔物の威力を誰よりも理解している連中である。しかし戦闘要員ではない。彼らは相応の事態収集能力を持たず、またフレイもそれを望まなかった。


 些かの問答を繰り返したが決着が付く筈もなく、いざ強行突破という流れになると、止む無く制止に出たフレイは見事返り討ちと相成った。


 それが、事のあらましである。




「いやはや、参ったね」


 応急処置が済んだ所で場所を中央休憩室に移した。場所に意味は一切無かったが、組織の大問題である今件を語るには廊下の立ち話と言う訳にもいかなかった。


「それで、状況はどうなってるんでしょう」


 呼ばれはしたが、正直言って俺は一介の戦闘員にすぎない。連れ出された魔物をどうこうするには、それなりのサポートを受けても厳しいものがあった。


 しかし態々呼ばれた、というか他に呼べる者が居ないのだが、兎に角来たからには回れ右をする訳にはいかなかった。意地とか使命感の問題でなく。


「悔やまれる事に培養室の試験体には発信機はつけていなくてね。フレイアに同道した所員たちが搬送用トラックで発進したものの、足取りは不明だ」


 パイプ椅子に腰掛け、些か荒い息。左腕に包帯が巻かれているが、目立った外傷はそれきりのようである。処置の為スーツの上着は肩にかけられた状態、ワイシャツも左袖を肩元から切断してあった。細い腕に幾重に巻かれた包帯は、その下に止血パッドを包みこんでいる事もあって相応に膨れている。そのせいでフレイの細腕は一層華奢なものに映った。


 魔物を現場まで搬送する用途で、地上の工場には組織が使用する前提のトラックが偽装され用意されている。しかし尽く発信機等の装着は成されていなかった。組織にもまた、危機管理能力が足りていないのだ。


「そもそも、何故研究員たちが裏切ったのです? 派閥でもありましたか?」


 この際組織に深く関わりたくなとかは言っていられない。下手を打てば解き放たれたバケモノが無差別な事件を引き起こす可能性が一番解りやすい顛末であるからだ。曲がりなりにも組織の頭をして飾られるフレイアが、魔物を手土産に亡命、とは考え難い。


 事態を収集するにはまず連中の行き先を特定せねば話が進まない。俺はフレイアに付き従った研究員の存在から、権力構造の派閥構成を想像した。彼女の目的をまず把握せねばならない。フレイアが取り巻きを得て行動しているなら、あるいは別組織として離脱したとも予想出来る。実権を持たないお飾りとして祀られる立場を鑑みれば、あながち的外れでもないと思った。


「いや、それは私の力と同じ、人を操る力だね」


 そうして語られた、かいつまんだ内情は、曰くフレイアはフレイの持つ力以上の力を持ち、魔物をも支配出来る。また数だけでもフレイを優に上回る。という話。


「この際だから全部話してしまいたけれど、君は嫌がるだろうからね」

 荒い呼吸ながら、いつもどおりの笑顔、フレイは俺をからかった。


 となれば今回の意思はフレイア単体にのみ存在していると思える。個人としての思考となると、これは余計に読みにくい。ある程度の群れを形勢すると意思の共通を図る過程で幾つかの妥協を経て、一定の無難なラインに落ち着く。しかし個人であれば他者の意見という足かせが無い状況で、精神状態によっては途方もない暴挙に走る可能性は強い。


「彼らの探索は揚羽と監視班を回している。こうなってしまうと、試験体たちの無事回収は難しいだろう。君は、万が一の場合試験体の処理に回ってくれ」


「それは、了解しました。だけどそんなのは、それこそバケモノの排除だけで考えれば連中に期待してしまえば良いんじゃないですか?」


 情けない事を言っているのは理解している。しかし誇りと命を天秤にかけられる程、俺は意識を高く持っていない。そして、魔物を抜いた場合の戦力としては、間違いなく、彼らレンジャーに軍配が上がる。連中に対抗しようものならそれこそ追加でバケモノを配備して共倒れ先方を取る必要が強いと考える。そして、バケモノ対バケモノという仕様もない構図となるのだ。


「無論、彼らの尽力も期待はするさ。だが、組織を鑑みるとどうしても一般人の被害を出す事は望ましくないんだ」


 この期に及んで、フレイは尚そう主張する。先を見すぎて目の前が見えていないのではないだろうか。いや、そうなのだろう。むしろ目の前の今起きて居る事は、小事なれど後に響くイレギュラー程度と考えているのだろう。細かい事に拘らないフレイの態度からの想像ではあるが。


「そもそも、何故フレイア様はこのような事を? 説得は不可能ですか?」

 フレイとフレイアの仲が宜しくないのは宣告承知である。しかし理由が解らない。


「フレイアは……元々は私達二人は共通の目的を持って生まれている。だけど彼女のもう一つの役割が、彼女を狂わせてしまっていてね」


「役割?」


「まぁ、そのせいで彼女は酷く傷ついてるんだ。いや、今なお痛みに苛まれている。痛みを消すには私達の役割を果たさねばならないが、しかし途方もない目標でね。私は時間をかける事で確実な方法を選んだ。

 ――けど」


「フレイア様は違った?」

 付け加える俺に一つ頷く。「つっ」と唸り、左腕を包帯の上から押さえた。


「とても耐えられない痛みなのだそうだ。

 元はとても優しいヤツだった。だから、フレイア」


 フレイアは豊穣の神である。そういう認識なのだろう。


 つまり苦痛に我を忘れ、短絡的手段に出たという訳だ。どうしようもない、と断じるには、彼女の痛みは想像を絶するのかもしれない。いつか見た顔に浮かぶ狂気を想像し、俺は一瞬の身震いを覚えた。


「時に、最悪バケモノは処分として、フレイア様は」


「保護してやってくれ。いや、それは私がやるのだけれど、そのように、頼むよ」


 この程度では切り捨てないのか。これほどの行為を持って尚必要なのか。

 ともあれ内容には承諾しておいた。


「……あるいは、アレもフレイアの仕業かもね」

 と、ポツリ、フレイも確信には至っていないのか、意味深長な言葉を呟く。


「アレ、とは」

 咄嗟に聞き返す。隠語を用いた事から、凡そ俺が聞くべきでない内容だと言う思考には、運悪く至らなかった。


「試験体の更なる変異さ」


「……前回の……」


 事切れたバケモノから蔦が生え、仕舞いに新種の花ともつかないバケモノとして復活したイレギュラー。確かに、人を操る能力があるとすれば、研究員を操れば恐らくそれは可能だ。


「けど、そんな形跡無かったって」


「ああ、うん。ここでそれは行われていなかった。そもそも、そんな知恵回らないだろうし、回す必要性を感じていないだろう。

 まぁ、詮無い事さ」

 一方的に捲し立て、終わらせる。また、聞かないほうが良い事のようだ。


「失礼します」

 背後でドアが開いた。スーチであった。


 彼女は入室すると状況を見て、フレイの元へと駆け出した。


「フレイ様、ご無事ですかっ」


 膝立ちにフレイの傷を触れてよいのか判断しあぐね、両手を翳し顔を歪ませる。そんな彼女の頭を、フレイは右手でポンポンと叩く。


「ありがとう、大丈夫だよ」


 相応に出血をしたせいで顔色は悪いものの、話によればフレイの傷はそう深くはなかった。フレイアの術に対抗する形で旨くズラせた、という事だ。

「そんな事よりスーチ、何か報告があるんじゃないのかい」


 以前聞かされた断片から、スーチがフレイを敬愛をして取れたのは確かだ。純粋に見舞いに来たのでは、と考えるのはおかしい事だろうか。


「はい。フレイア様に同道した職員の携帯GPSの特定に成功致しました。二名が現在移動中。現在位置は未だ近隣です。また、残りは基地と同座標にありますので拘束を解かれたものと思われます。こちらは、現在回収中です」


「あ゛ー、そういえばフレイアは外あまり出歩かないしねぇ。

 連れてかれた連中も確か、日本に来て日が浅い筈」


 天井に大口を開けて濁ったため息を吐く。つまり迷子か。

「迷ってるんですか?」


「搬送用トラックにナビは付いておりませんし、その可能性は」

 スーチが応える。偽装を重点化しすぎてトラックはオプションを全て取っ払っているようだ。


「スマホならナビ機能がある」


「そうですね。なら、今現在ハックしておりますので、ナビとGPSのリンクを切断出来るか確認して来ます」


「頼む。

 ありがとう、スーチ」

 いつもより柔らかい笑顔に見えた。立ち上がるスーチに、フレイは再度感謝を伝えた。スーチは恭しく一礼し退室した。


「これも、多分そこまで考えていないだろうけどね……」

 それから、フレイはまた零した。


 フレイアが強硬手段に出ようと暴走している、というのが目下の見解であった。

「俺も向かった方がいいですか?」


「いや、君はアレがどこで事を起こそうとしているか判明してからでいいよ。

 今、技術研究員たちが培養槽を再チェックしている。残った試験体が手を加えられていないか確定するまで控えておいてくれ」


「分かりました。では準備だけしておきます」

 言って俺も辞した。万が一に備えるなら、多少手間でも一度スーツを着ておくべきだと考えたのだ。





 そして深夜零時。培養槽のチェックは一応の完了を見せ、俺は揚羽と合流するべく向かっていた。


 ――ダッシュで。


 スーチたちの工作も順調に運び、揚羽はフレイアの乗るトラックをとらえ、

足止めをかけていた。公共交通機関は既に終業しており、時間帯もあってタクシーは足が付きやすい。それなりの距離ではあったが、不可能な遠さではなかったのが幸か不幸か。


 途中で着替えている場合でもなく、俺は基地から戦闘員姿のまま移動している。


「ギッ……ギッ……ギィ」


 変換器が間抜けな喘ぎ声を出力している。マスクのせいで余計に息が切れ、防御性能のみのスーツの重量が結構な負担となっていた。


 ――次はパワードスーツ補助輪付きを頼もう。


 自分を鍛えようとは思わなかった。

 

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