第35話 イキるココロ


 耳をつんざく爆音と衝撃。視界に走るノイズ。サクラの頭上を越え、アパートの壁面へ叩きつけられバウンドするように地へ落ちる。体勢を整える余裕もなく手足は壊れた人形のようにただ振り回される。


 視界の片隅、バイザーに警告表示が点滅していた。映る風景は炎に包まれ、巨大に成長した食虫花が踊るように身を捩り、認識する側から葉を花弁を落としてゆく。


 全身が打ち付けられ身動き出来ないと投げ出したい所であるが、炎に包まれる右腕を放置する訳にはいかない。ただ唯一外界に晒されあまつでさえ咄嗟にガソリンに浸したせいで、尋常じゃない勢いの燃え盛り方をしている。

 言ってしまえば右手をモロトフカクテルに仕上げたようなものだ。いや正確には少し違ったか。というかそんな場合ではない。


 何とか視界の片隅に水道口を確認し、這いずり向かう。

 痛みを堪え震える手蛇口を捻り水を出し腕を突っ込む。溶け、焼け、消化。人体にあるまじき頻度で煙を吹き続けた腕が今どうなっているかはもう見たくもない。


「……サクラ」


 向ける視線の先。燃え広がる炎の海。サクラは何とか炎に巻かれはしなかったもの、それも時間の問題。火の手は足元に広がる根に届き、その樹皮を確実に炙っていた。


「ぐぅ……」


 それでもと俺に伸ばす蔦だが、凡そ一本が指程の太さの蔦は一瞬で炎に囚われ伝わってゆき、瞬く間に火種は他の蔦へと渡り消し炭へと変わり崩れ落ちてゆく。


「う……あ……いやだ! やめっ!?」


 何とか起き上がった頃には火はワンピースにまで燃え広がり、僅かに残ったサクラの上半身は火刑台上の火炙り。

 ある程度までなら、俺と同じ半怪人のサクラである、再生は可能ではあるが……


「その姿を解けっ! 戻るんだ!」


「やだ! いやだああああああああ!!」


 昇る炎を払おうと身をよじり泣き叫ぶ。火がついにサクラの髪に飛び移った。

 このままでは流石にまずい。必死の一手とは言えやはり植物に火を放てばこうもなるか。

 周囲を見渡すが消化器なんてモノが外部に備え付けられている筈もない。


 腕に走る熱さと全身を締め付ける痛み。失策を犯した焦りとが視界をキュウっと狭めて見せる。こういったイザと言う時に平静を保てないのは、一重に経験と覚悟の問題なのだろう。


 迷った挙句に俺は水道の蛇口を殴り壊した。これならば多少は水を浴びせかけられる。ホースの先端を絞るように手で抑え、吹き出す水流がなんとかサクラにかかるように操作する。完全消化といかないだろうが、せめて上半身、生身の部分だけでも水を被せる。


「あああああああああ!!」


 それでも根に着火した炎はいよいよ黒ずんだ煙を上げ、水に濡れた部分は兎も角として、燃える箇所を確実に炭化させてゆく。


「届かない、こっち来いっ」


 埒があかないと、ほうほうの体サクラの元へ寄り、どこを掴めば良いか逡巡したが脇に左手を差し込み引っ張り込んだ。類焼が進んでいたのか、皮が向けるようにサクラの身体は植物の鎧から抜け、あまりの軽さに受け損なう。その身体はほっぽり投げるカタチ、燻り残る花壇へと投げ出された。

 俺もまたその脇のスロープに身を打ち付け、身体に走る衝撃にまたぞろ嫌気が湧き上がってくる。


「あー……もう嫌……」


 とりあえずサクラの身体は炎からは遠ざけられた。炎に焼かれ浄土と化した花壇の上であるが、これくらいなら多分大丈夫だろう。

 後の問題はフレイが到着するまでをどうやり過ごすか。サクラの衣服は既になく、どの段階で失われたのか、下着も身に付けていない。少なくとも人目に付けばまず問題が一つ。


 まだ燃え残る火種の音に巻かれて確認は定かではないが、しかし揚羽とジャッジの戦闘音も聞こえてこない。まさかとは思うが既に勝敗が決してしまったのだろうか。

 揚羽がジャッジに勝ってしまうとは考えられない。そう、考えられないのだ。


「こっ、これは……っ!」


 これが、問題の二つ目。


 大の字に身を投げ出している視界の端に立つ、白と青のツートンカラー。

 外部スピーカーを通じて耳に届く、少し上ずった声。


「……っ」


 何とか身を回し、腕で上半身を起こす。

 外装にダメージを残すものの、恐らくまだ十全と戦闘能力を残すであろう事が予測出来る立ち振舞い。

 現れたのは組織の虫、揚羽によって足止めされていた筈のブレイブ・ジャッジであった。


「だ、大丈夫っ? しっかりっ」


 何を察したのか、ジャッジはサクラの元へ駆け寄るとその身を抱き呼びかける。意識を失ったのかサクラはそれに応えない。


「この子……やっぱりさっきの……」


 異形化していたとは言え、上半身から上はそのままの姿を晒していたサクラである。余程の盲目でなければそりゃ判別もされるだろう。だが何にしろ、


「うおあ!」


 ジャッジの意識がサクラに向けられている間に、俺は杖を広いその顔面向けて横薙ぎ、打ち払う。ジャッジは咄嗟に上体を逸しその一撃を躱すと、サクラを抱いたまま1ステップ、距離を図った。車道の上、コンクリの亀裂から伸びた草はとうに燃え果て、炎の届かぬ場所。


「くっ……まだ起き上がるのね……あなた達はこの子に何をしたの!」


「……」


 変声機、いやそれどころじゃない。

 周囲とサクラとを見比べ、ジャッジは迷いつつもジリジリとすり足、距離を取っていく。サクラを放置して戦闘する事を躊躇ったのだろうか。となれば人命優先とこのままサクラが連れ去られる可能性は高い。


 ジャッジはサクラを未だただの少女として認識しているのだろう。そりゃ、あの異形は思わず思考を切り離してしまっても不思議ではない。そも、連中は怪人の正体すら知らない。人が異形化する事を認識していないのだ。

 だがそれでも既にサクラはバケモノだ。いずれその身体の異変に気づかれれば、きっと世界はサクラを救ってはくれない。どんな偽善を口にするかは知らないが、所詮やる事は精々構造解析という拘束と実験動物扱い。

 そうしたのは間違いなく組織であるが、そうしなければサクラは幸せだったかと言えばNOだ。誰も気づきもしなかっただろう。人身売買に掴まらなければどうだったか、そりゃ、いつかは全てを受け入れて幸せを掴む事も出来たかもしれない。だが、かもしれない、で、誰もその責任なんて負いやしないし、何よりまず、ココロを壊したサクラを今どうにもしなかったのは、全ての大人の責任だ。偶然手を伸ばした俺たちと、偶然気づいいて後からしゃしゃり出て来る善意。全てが無責任だ。

 なら後は、サクラの意思と、責任を負う意思のある無しだろう。

 そしてジャッジの立場は、それを許さない。彼女の背後にあるのはあまりに大きな社会性集団で、肥大化するにつれ感情をこそぎ落とし効率化するだけのシステム。凡そ情愛の介在する余地のない妥協性の集合体で、誰が最早バケモノとなった移民の血を引く存在を認めてやれると言うのか。一より万を取るのが民主政なのだ。


 いや。いや、それもまた言い訳だ。

 だが、


「その子は置いていけ。既にその子はバケモノだ。お前に救ってやれる存在じゃない」


「!?」


 俺がどうするかだ。

 悪を名乗るこの集団で、子供を前に、どうしたいかだ。

 正義だ悪だと騒ぎ立てるのはいつだって部外者だ。社会の反抗を飾り悪を名乗っていようと、だがその行動を悪と断じるのは敵と社会で、ならどうして悪を止めないかと言えば、そこに信じるモノがあるからだ。それでも成したい事があるからだ。

 ただそれは単に社会に照らし合わせた悪であり、法がある故の犯罪。


 正当化ではない。

 それでもやらなきゃ成らないと、俺が思うだけの事だ。


「驚いた……やっぱり喋れるのね。そりゃ、そうよね……。

 でも、だとしたらこの子をバケモノにしたのは貴方たちでしょうが!」


「何も知らないだろうに!」


 駆け出す。警告が強化服の異常を訴えている。糸を伸ばす余裕もなく、よしんば放てたとして効果が無いのは先の撤退戦で判明している。手に持つ杖がただ一つ。右腕も未だ動かない。


「この子をバケモノにした事実以上に何を知れとっ!?」


 大ぶりで雑な杖のなぎ払いをステップ一つで躱し、抱くサクラの身体を旨いこと支え、腰の武器を抜き放つ。箱型の銃。シューターと呼ばれる熱線兵器。


「そいつは親を殺しに此処に来た! 俺たちが出会った頃は既に心を壊していた! 後から来て善人面するなよ! どうしてこうなる前に救ってやれなかったか! 考えてみさらせ!」


「怒り……? 何故お前なんかが……っ!」


「てめぇらが何も見てねぇからだ!!」


 標準が俺に向けられ、しかしサクラを抱いたままでは瞬時の応対も難しいだろう。足を一度止めてジャッジの動きに注視する。一度外してしまえば恐らく再度狙いを定めるのは困難を極める筈だ。

 凡そ能力で劣る俺であろうと、ジャッジがサクラを抱えているデメリットは大きい筈だ。


「……暴れるだけで責任も何も果たさないヤツが?!」


 銃口にエネルギーの収束。実弾では無いとはいえその速度は相当に早い。視認出来るレベルではあるが、それに反応出来るかどうかは別だ。

 半ば賭けである。


「逃げるなって言うのかよ!!」


「逃げた負け犬の言葉なんか誰が聞くって言うの!」


「追い詰められた事があるってのか!!」


 足の機能を全開。駆け出す。右へ、左へ、フェイントを織り交ぜ距離を詰める。

 くそ、何でこんな頑張っちゃってるんだか。


「被害者ヅラしないで!」


 熱量が開放される。目を焼く光が眩く放射され、中心を走る一条の熱の固まり。


「全員が不幸なら……いいってのかよぉ!」


 標的にされたのは移動先。左右のステップの向かう先である。移動パターンを読まれた。差し出した足を踏ん張り、つま先立ちの足に全体重をかけ踵を接地する。踵の先で地面を抉るようにブレーキ。熱線は僅か鼻先を掠め突き抜けた。


「……くっ……いや、違う。そう、時間稼ぎかっ!」


 バレた。

 足を挫く勢いで無理やり体勢を直し振りかぶる一撃は、だがまたしても体を躱され、更に大きく下がるジャッジの身体。

 追いすがろうと足に力を込めるが、しかし俺の足元に突き刺さる一条の光。


「ぐぅっ」


「なっ!?」


 咄嗟の事に体勢を崩し、俺は身体を地に放り投げる。急ぎ左手に力を入れ身を起こすと、いつの間に現れたのか、前方のビルの屋上に獲物を太陽光に反射させる一つの影が見えた。


「下がれブレイブジャッジ!」


「え……?」


 まだ生きているヘルメットの画像補正が働き、その姿を映し出す。

 それはまるきりブレイブジャッジそのもの。緑のベースとした暗い色彩の、まるきり迷彩を思わせるカラーリング。膝立ちで構える長身のライフルから一筋の煙を立ち上らせ、現れたもう一人のジャッジは朗々とした声を響かせる。


「作戦は完了した! その個体は重要だ、ただちに帰投する命令が出ている!」


「え……あ、貴方は……」


「命令だ! 急げ!!」


「あ、はい!」


 ピクリとも姿勢を崩さず、銃口を俺に向けたまま。その重苦しく一方的な指示はどこか機会的な威圧感が感じられる。

 このままじゃマズい。何とか身を起こす。


「っ!」


 足を畳み身体を持ち上げようとした瞬間、俺の身体を貫く熱線。

 

 音も無く放たれ瞬く間に俺の身体をスーツ毎貫き、アスファルトを砕く段になりようやく破砕音として認識に至るそれは、気がついた時には既に俺の腹に大穴を開けていた。



 

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