第10話 戦闘員の日常7

 それから俺は頻繁に基地へ足を運ぶ事となった。魔物であり戦闘員である立場、また仕事として組織に属した側面からも、そうせざるを得なかった。


 話が一段落した所で俺は雇用内容について確認を取った。改造を受けたとは言え俺の立ち位置は戦闘員、あるいは構成員となる。基地で閉じこもっていれば良いのであればいっそ他のバイトを辞めてしまうのも良い。それも、給金次第ではあるのだが。


 しかしフレイからの指示は現状を意地したまま調査を続行と下された。わばテロリストと一般市民の二重生活。基本的な生活はほぼ今まで通りとなる。


 となると家賃光熱費税金に食費と、懸案事項の解消とはいかない。バイトと言う体で高額報酬の単発仕事をこなして、それでもギリギリ貯金を崩さない程度の生活を維持して来た身である。日常生活に組織の思惑が交じるのであれば、それは仕事として請求をしなければなるまい。


 この時、一番恐れた事は過重労働であった。給与体系をあやふやな認識のまま職務に従事すると、気がついた時の絶望は半端では済まない事を身をもって知っている。職務をこなす事に集中して何時間と働いたは良いが、ふと確認すると給与額はいつもと変わらず、つまり残業代の計算が成されていなかった時の感情は今も記憶に根強い。己の迂闊さを呪い、社会の構造を呪った。


「あー、そうか、そうだね。じゃあ月給制にしとこうか」


「基地外での行動も職務に含まれるんですかね」


 例えば今や副業となった喫茶店のバイト。あの店には敵方である平警備保障が面々が度々来店する。以前もそうであったが、フレイが指示した連中からの情報収集は職務給料の内に入るのか。


「残業代は? 社会保険はどうなりますかね」


 また身体の問題もあって基地へは度々顔を出す必要を求められた。休日は半ば任意になる。


 結局、俺の表向きな立場は一人親方のエンジニアとなった。改造手当、危険手当支給、また基地外での行動は成果報酬制という形で収まった。思わぬ形での起業である。





 未だ名も知らぬ組織の基地は、住宅街の隅にある玩具製造工場の地下にある。


 何も知らず大量量産品のマスコットを作る工場。場末にしては厳重な社員ID認証を潜り出社し、狭っ苦しい通路の半ばで隠し通路へ入り基地に降りていく。


 エレベーターはかなりの深度まで下り、頭上で聞こえていたベルトコンベアの駆動音は既に聞こえなくなっていた。


 エレベーターが下降を制止すると室内から無数のレーザーを浴びせられ認証が行われる。開閉ドア脇のパネルで指紋声門網膜のチェック。機械音声が認証終了を告げ、同時に出社時間の確認をすると、ドアが幾重にも音を奏で開かれた。


 何だかんだとバカにしているが、其処は流石の厳重さである。


 魔物となって数日が立ち、俺は検査の為基地を訪れた。あれから自分で色々試してはみたが、今一つこれといって魔物の自覚が持てないでいる。

 筋力が上がった訳でもない。腹筋等十回ちょっとが精々だ。頭が悪くなったり、凶暴性が増した感もしない。指先や身体の各所から何か出ないかと、必殺技の練習めいた真似もしてみたが変わらずに虚しいだけ。再生能力、という触れ込みではあったが悩んだ挙句深爪してみたら普通にまだ痛む始末だ。


 俺が魔物だと信じるに足る証は、あの日の記憶だけだった。


「おはようございます」


 基地を奥へ進み研究棟。本日のお目当てを見つけたので、挨拶だけしておいた。


「……おはようございます? もう昼ですが」


 浅黒い肌に白衣と金髪が眩しい。インド系だと言う話だ。青い瞳で遠くから俺を見据える少女は、言うと再び歩き出した。


 このは業界での挨拶の手法であるのだが、日本独特の文化なのかもしれない。考えてみれば早くはない。


「どうしました。来ないのですか」


 初めて紹介された時から彼女、スーチは無愛想であった。


 特に顔立ちの差異から、日本人は他の人種の表情を怖がる事が多い。人間に犬の個人差がそうそう判別出来ないように、人種が違う場合、どうしても表情が解らない。


 今もそうで、正確には検査まで凡そ三十分近く余裕があり、俺は去った彼女が別の事をしに行ったのだと、歓迎はされていないのだと、追いかける事はしなかった。


「ああ、すいません」


 どこに合図が合ったのだろう。しかしスーチは俺が付いてくるものだと考えていた。これは人種的、あるいは多様な人種に触れる機会が少ない文化のせいだけでも無いのではあるが。


「何故謝るですか」


「いや……」


 彼女は結構つっけんどんな態度で俺に接する。フレイに紹介された時からだ。方やフレイにはちゃんと礼儀正しく接しており、つまり俺は嫌われているだろう事が予想出来た。


 塩対応と言うのだろうか、正直これを相手にするのはしんどい。


「……何か身体に異常はありましたか」


「特に。むしろ本当に何もなくて困ってます」

 研究棟の通路をぐるりを回り、あるドアを潜る。


「あれ、スーチ、もう検査の時間かい?」


 研究室内には他に三名の研究者が詰めており、その中の一人、小太りの男がこちらを確認すると問いかけた。


「いえ。ですが検査開始に問題が無いと判断してますが」

 他の研究者、同僚にも同じ対応。人間関係回っているのだろうか。


「あー、どうだろうな。ベッツ、そっちはどうだ?」


 スーチも男も他の二人も、以前見た完全防護状態ではなく、ラフな私服の上に白衣を羽織る格好。聞かされていたとおり、大分アバウトな職場である。衛生管理的にどうなのだろう。


「ごめーん、もうちょっとー」

 奥の作業台で顕微鏡を覗く女性が手を高く上げて振った。


「だ、そうだ。悪いな」


 スーチはため息を吐く。

「仕方ありませんね。開始時間には終わりますか、ベティ」


「まっかせてー」上げたままの手を再度振る。


「心配ですね。手伝いしょう。

 悪いですが貴方は時間を潰してきて下さい」


 振り返り、近い距離、見上げられる。


 改めて意識すると本当に幼い。背が低い事もあるが顔立ちも、幼く見えると良く言われる日本人のそれと較べても十分に若すぎた。中学生くらい、だろうか。


 まぁ良く聞く天才、と言うヤツなのだろうか。


「スーも行ってこい」

 と、スーチの背後に迫った男が彼女を俺に押しやってきた。受け止めていいのか迷い、腕を宙に構えたものの、結局止めた。


「何をっ」

 代わりに半歩下がり、俺に押し込まれた顔が開放されるとスーチは背後の男に苛立ち混じりの声を上げる。


「何って、休憩だよ。なぁ?」

 男は怖がるジェスチャー、更に背後の同僚に尋ねる。「んだねーいっといでー」


「休んでなかったろ?」残り二人の同僚が同意の声を上げた。


「何度も言ってるが、根を詰めすぎだぜ、スー」


「私は平気です」


「いいから行ってきなって」


 そんな押し問答の末、俺とスーは研究室を追い出された。正直困る。


「とりあえず時間を潰して来ますね。コーヒーってどっかで売ってましたっけ」

 この場、というかスーから離れるべく、俺は意思を表明した。


 今日は時間を潰す用の書籍を携帯していない。見知らぬ、程ではないがほぼ他人と一緒に休憩など、息が詰まって仕方ない。


「飲食は戻って資材棟の先です。中央休憩室では出来ません」


 何やら不満が強いようで、顔こそ覗けないが声は口ごもって聞こえた。


「解りました、じゃあ」

 歩きだす。


 フレイからはこのスーを含む第六研究室のチームが俺の担当と聞かされている。からには、今後も見据え良好な関係の構築は必須なのは理解している。しかしこればかりは性格だ。見ず知らずの他人にズカズカ距離を気にせず向かっていけるオープンさはないし、かといって積極的かつ紳士的に友好を示せる程の社交性もない。


 時間が過ぎるのを待つのが俺の常である。


 嫌でも何度となく関わっていけば、最低限社会的な付き合いは生まれる。本心がどうであろうと、仕事である限りは表面上は安定した付き合いは可能なのだ。其処から先は、なるようにしかならない。


 ましてや気難しさを全面に表す少女である。どう接したものやら。


「?」

 と通路を逆に進んで行くと、足音が多い事に気がついた。そろり振り返ると、そこにはスーチが俺とは一定の距離を開け付いてきていた。

「どうかしましたか」


 感情の篭もらない声が尋ねる。何見てんだコノヤロウ、と言われている気がした。


 いや待て、何故スーチがついてきている。何だ、実は気に入られてでもいるのだろうか。いやあり得ない。あの対応でそれは無い。だのにどうしてスーチは同じ方向を進んでいるのか。さっきまでの問答で休憩は不要だと主張していた彼女だ。ならば適当に時間を潰すのだろうと考えていたのだ。


「いえ、何でも。

 スーチさん、でしたね。貴方は何の研究を?」

 仕方ないので意を決して話しかける。間が持たない。


「貴方がそれを知ってどうするのです」

 切り捨てられる。これだから。


「これから身体をイジられる方々ですから。何をされるのかな、と」

 言い訳、ではないが尤もらしく補足する。次ぶった切られたらもう黙ろう。


「説明はジャフがします」

 さいですか。


 そう言えば揚羽の案内で休憩室はフレイの居た玉座の間以外に無かった記憶がある。資材倉庫より手前はトイレ、シャワー室、ロッカールームの筈だ。各部屋にルームプレートは見受けられない。しかしなればスーチが同行してくれるのは逆に有り難い。あるいは、案内するつもりで付いて来てくれているのだろうか。


 思考を巡らせ、再び後ろに視線を向ける。

 誰も居なかった。


「あれ」

 体ごと振り向き、つい先程まで後ろを歩いていた姿を探した。丁度資材棟を抜けた辺りで、見ると向かって左側のドアが開いていた。


 どうも俺の勘違いだったのかもしれない。揚羽の案内によれば今開いている場所も資材棟の一部屋で、研究者しか立ち入りはしないという話だった。


 目の前でドアが圧をかける音を立てて締まり、俺は僅かにでも好意を感じた勘違いを恥じた。


 そして途方に暮れた。再度振り返ると左右にはトイレ。便所飯ならぬ便所休憩をしろとでも言うのか。よもや悪の組織でもボッチを体感させられるとは、だ。


 孤独。ボッチだと認めるのはあまりに悔しいので孤独と表する。独りを意識する時、それが群れの中で放り出される場合、途方もない不安に見舞われる。どうしよう、どうしたらいいんだろう、悩んで、答えは出なくて。何とか納得しようと自分に言い聞かせるけれど、情けなくて、恥ずかしくて。強がろうとしたって、自分が群れから弾き出された事実は消えない。これは周囲に人がいるからこそ強く作用する。今は通路で一人だ。しかし此処は幾らその在り方が反社会的だろうが非人道的だろうが、人の群れの形態の一つだった。


 こういう時、無性に逃げたくなるのだ。


「しゃぁない」

 いっそ一旦外に出ようかとも思った。携帯を取り出し時間を確認する。そこまでの時間は無さそうだ。出て、自販機を探してではむしろ危うい。


 飲み物は諦めてロッカー室ででも、

 ウィィィ――

「何をしているのですか。休憩室は此処ですよ」


 心中で強がるのに必死だった所に、声はした。跳ね上がるように身体を震わせ、俺はぎこちない動きで首を回す。

「あ、はい、すいません」



 もう色々恥ずかしかった。勘違いに勘違いを重ねて結果はただの迷子だ。声もかけずに室内へ消えていったスーチも不親切ではあるが、勝手に被害妄想を膨らませて拗ねてしまっていた自分が何より恥ずかしかった。


 というか揚羽が憎かった。

「喫煙所は出た向かいです」

 俺が室内に入る頃には既にジュースを購入し排出口から取る所であった。


 入ってすぐに幾つかの自動販売機が陳列し、中央には木を囲うベンチ。他にも各所に様々な形のソファが配置されている。室内の半分には絨毯が敷かれているが、靴を脱ぐスペースは無い。地下であるので窓はなく、絵画やモニターが壁に適当に配置されていた。


「ああ、どうもすいません」

 謝辞を述べて俺も自販機に向かう。


「何を謝ってばかりいるのですか」

 室内を進み、スーチは一つの円形の大きなビーズクッションに身を沈めた。


「あー、つい」


 思い当たる節はある。日常的にすいませんを多様する日本人は多い。むしろ応用を効かせすぎて、最早謝っている感覚も薄いのだ。しかし言葉としては謝辞の一つであり、英語で言うエクスキューズミーに当たる。


「つい、で謝るのですか」


「癖なんで」


 それを訝しむ者は多いと聞く。これも日本独自の文化なのだろう。さて、この場合であるが、郷に入れば郷に従えとはあるが事組織に限って言えば諸外国人の集まりだ。日本人はフレイくらいしか見た事がない。となれば職場の風習としては、彼らの在り方に習う方が良いのだろう。


 それに日本には文化を銘打った悪しき慣習も多い。組織の本部は確か北米だったか、アメリカの職場の在り方に触れるのはむしろ歓迎するべき事だろう。


「気をつけます。気を悪くされたなら、都度言って頂けると助かります」

 さて何を飲もうか。と悩みはするが結局は缶コーヒーを買う。


「そうですか」


 缶コーヒーを取り出し、室内を見回す。自販機の影に隠れてブックラックを発見した。さて、好調とは言えないまでも会話が進みつつあるが、いっそコミュニケーションを取る事を考えるべきだろうか。


「揚羽に、案内してもらって居たんですが、此処が休憩室だとは聞かされていませんでした」


 意を決して言葉を発する。それでも、言い訳のような独り言のような、しかも揚羽をダシにした内容。


Swallowtailスワロウテイルは抜けてますから」

 声が返ってくる。見やると手には桃の缶ジュースで、丁度口をつけている。


「スワ……?」


「スワロウテイル・バタフライ。揚羽蝶の事です」


 初めて揚羽に会った時の自己紹介でも似た単語は聞いた事があった。途中で日本語に言い直したのか。


「そう言えば揚羽はの揚羽って名乗っていたっけ。他にもは、虫の名前を持っているんですか?」


 近寄るにも抵抗があり、あまり距離を取るのも態とらしい。行き場を探しあぐねてその場で缶を開ける。


「ええ、そうです。しかし詳しく聞かれたいならフレイ様に聞かれる方が宜しいでしょう。私は一介の職員に過ぎません」

 そりゃそうだ。しかしようやっと掴んだ会話の種を失うのも損だ。次があるとは限らない。


「貴方は」

「スーチで構いません。口調も、畏まる必要はないです」


 またもや指摘される。恐らくの年齢を考えてもまぁフランクで良いのだろうとは思っていた。しかし俺には他人知人のハードルはそれ程に高いのだ。


「努力します。で、スーチ、貴方は随分若く見えますが」


「……それが、何か」


 聞くと、スーチは少し身を強張らせ、こちらへやる目も睨むようなものに変わった。地雷を踏んだのかもしれない。


「いえ、このような組織の研究員、には少し思えなかったもので」


 偏見だけを言わせて貰えれば、悪の組織の研究員、それも人の道を踏み外した研究を行う連中である。学会や研究所を弾き出された爪弾き者の集まりで、偏屈なオッサンを想像してしまうのだ。


「そう感じるのは貴方の勝手です。しかし私には関係のない内容です」


「気に触ったなら謝ります。申し訳ない」

 どうも不快にさせたようだ。興奮させないように、丁寧に謝る。


「もし私が信用ならないという話であれば、それは判らなくはありません」


 と、スーチは息を吐き、続けた。退散して喫煙室にでも逃げようと構えていた足を留める。一度深くまぶたを閉じ、開く。薄く美しい水色が俺を見据えた。


「ですがフレイ様に拾われ、学び。フレイ様のお役に立つのが私の使命です。決して手を抜く事は有り得ません」


 強い意思の篭った瞳で、断言される。元より検査だ、疑っていた訳ではない。つくづく、己の対人能力の低さを憂う。


「ええ、解りました。会話の内容は、私がコミュニケーションが上手く取れないせいです。貴方を疑っていた事は、一度もありません」


 腕の第二関節辺りで手を開き、丸腰をアピールする形、応えた。とっとと飲み干してこの場を離れたくはあったが、一つの正念場である。スーチの目を見据え返し、真摯をアピールしておいた。


「解りました。ですがプライベートに関しては答えるつもりはありませんので、ご理解下さい」


「気をつけます」


 結局休憩を共にしただけで、溝は埋まらずむしろ少し開いた。だがいっそ仕事上の付き合いで良いと解ったのがせめてもの収穫であった。

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