第31話 再会
与四郎は街を離れ、山の中へと入っていった。そこで、少し開けた場所を見つけ、懐に忍ばせていた短刀を取り出した。それが、与四郎、こと、黒風の武器であった。戦に参加する時、支給された刀を帯びては行くが、ほとんど抜くことは無い。黒風は誰かと切り結ぶより、身軽さで戦場を駆け抜ける事を得意としていた。そうして、ほとんどの場合は、味方の支援に当たっていた。その時に相手方の命を奪う事もやむなし、とは思っている。
(生きよ)
戦のことを考えると、どうしても、義元の声が蘇る。最期の場面を思い出す。あれが、黒風が名のある将を討ち取った、最初の出来事だった。
今になって重い。
自分の討ち取った命が、これほどに重い。
そうしなくても生きていける、芸人の一座にわずかばかり身を置いて、尚更にその命の重さが感じられた。
それでも、もうそこへは戻れない。自分は、そうしてその命の重さを受け取って生きていくしかないのだ。
黒風はその短刀を一本の木をめがけて投げた。
カン、という乾いた音をたて、短刀がその太い幹に刺さる。
と、
がさり、と、何かが草を鳴らした。
「すまぬ。誰かあったのか」
そう、声がしたが、誰かあったは黒風の方だった。
(人?人が居たのか?)
下手をすれば、怪我をさせたかもしれない。その声は、自分が刀を投げたその木の裏側から聞こえた。
「こちらこそ、申し訳もありませぬ。人が在るとは思わず……」
黒風は慌てて声のした方へ行った。言葉や声の様子から言って、そこらの村人とはわけが違うように思えた。山道からはある程度外れた所を選んだはずだったが、誰かが入って来てしまったのか。
「いや、不用意に道を外れてしまった。少し、一人になりたくてな」
相手もまた、黒風の声を頼りに向かっていたようで、二人は途中で鉢合わせた。
男は三十路に入ったばかりと見えた。身なりは派手ではないが、こざっぱりと整えられていて、着物も物は良いものであるようだった。ある程度の身分であることは間違いない。腰に一振りの刀を帯びている。武士であると想像できた。
(この、声……)
聞き覚えがあった。だが、思い出せない。それほど長く聞いていた声ではない。
(あ、)
思い当たった。あの時の男だ。顔も見ていない、声だけの記憶。はっきりとそうだとは言えない。まして、相手はあの時女に会っていたと思っているはずだ。
(何であれ、今は、)
黒風はさっと跪いて頭を下げた。
その様子を見、幹に刺さった短刀を見て、男は
「其の方、武士か草の者か?否、そうであれば、このような状況で人前には出るまい」
「は、一介の野武士にござりまする」
「戦を生業とするには得物が小さいな」
「河原者も兼業しておりますれば、身軽な方が都合が良く」
「成程」
男は短刀を抜いて、黒風に渡した。
「商売道具だろう」
「知らぬ事とはいえ、やんごとなきお方に刃を向けてしまい、」
「良いと申しておる。意図して向けたものではないのであろう」
そう言うと、男は何か思い当たったのか、小さく息を吐いた。
そう言えば、一人になりたくて来たと言っていた。何かあったのだろうか。詮索はよくない、と、思い、黒風は静かに短刀を受け取ると、早々に立ち去ろうと腰を上げた。
「其方は、」
一礼し、踵を返そうとすると、男がそう言った。他に人はいない。黒風は自分のことだろうと判断して、そのまま留まった。
「意図せず人を傷つけたことがあるか」
どきり、とした。早手のことを思い出したのだ。自分が勝手に一座を抜けたことで、早手を傷つけた。あやねも傷ついているだろう。それでも、彼らが快く自分を受け入れてくれていること、きちんと礼を述べなければならない。そして、謝らなければならない。
「ありまする。人間、生きて居れば、時にそういうこともござりましょう」
「して、どうする」
「頭を下げまする」
「容易いな」
「容易くも、難いことにござりまする」
「然り」
「さればこそ、尊いことにござりましょう。それも相手に伝わるものと思いまする」
そうであればいい。自分とて、まだできずにいる。しかし、必ずやろうと心に決めた。分かってもらえる。そう、信じられるから。
「然り、然り」
そう言って、男は笑った。
「其方、野武士であったな。それならば、腕に覚えは在ろう」
「は、どこぞにお抱えいただくほどの腕はござりませぬが」
そう言って、一瞬、義元と信長の顔が過った。自分の腕を下に見ることは、彼等への、特に義元への礼を欠かないだろうか。既にこの世にはない者とはいえ、黒風は彼を忘れることは出来なかった。
「河原者でもあるとなれば、芸事にも長けて居ろうな」
「は、幼き頃より、一通りは仕込まれました故」
「ふむ。興味深い素性よな。お主、儂の元へ来ぬか?それなりの恩賞は出す」
やはり、武士であったかと思う。
「戦でもござりましょうか」
黒風は、野武士としての自分を買われたのだと思った。だが、その予想は少しばかり外れていた。
「それもある。だが、それ以上に」
そう言って、男は口ごもった。そして、言葉を選ぶように逡巡し、口を開いた。
「慰めて欲しい者がある。その者の護衛も欲しいと思うていた。そなたが適任と思うた」
慰めて欲しい者と聞き、黒風は直感で、女か、と、思った。妻でもあるのか、娘でもあるのか。そうであってもおかしく無い年だ。何にせよ、易く仕事にありつけるのはありがたい。
「お話、有り難くお受けいたしまする。が、世話になっておりました一座の者に別れを告げてからでもよろしゅうございましょうか」
「構わぬ」
「では、お世話になりまするは明日より。どちらへ参ればよろしいでしょうか」
「明日でよいのか?」
男はじっと黒風を見ている。
乱世だ。まして、黒風は戦に行く身だ。一時の別れが、永遠の別れになることが珍しくない。積もる話や、残すものなど無くて良いのかと、男は問うている。
「いえ、長くなれば、別れが却って辛うなりますれば」
「そうか。では、明日の朝、ここで」
「ここで、よろしいので?」
てっきりどこぞの屋敷へと言われるかと思った。
「発つ前に少し、二人で話がしたいのでな」
何を、とは思ったが、先ほどの者のことであろうかと思った。
「承知致しました」
「うむ、では明日」
そう言って、男は去っていった。名も言わず、名も聞かなかった。
来なくても探さぬ。
そう言うことだろうかと思う。
人と人との絆が容易く切れる。そんな時代だ。
だからこそ、何かの縁を信じていたい。切れるも縁。繋ぐも縁。縁あれば、名を知らずとも、また、会える。繋ぎが付くことこそが、運命なのだと信じていた。
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