第27話 一夜

「与四郎、与四郎っ……」

村のお堂を借り、他に人が居なくなると、あやねは与四郎に抱き着いた。

「あやね……」

壁についた背中をするすると下げ、壁際に座る形になった。与四郎は黙ってあやねの背中をさすっていた。

 あやねが昔のことを思い出したのは間違いないだろうと思った。先刻のあやねの顔は、刃があやねを連れて来た時の、その顔と同じだった。強い恐怖を感じ、その恐怖心にどうにか捕らわれまいと、本能が働いている顔。その多くの手段は忘却であろうと思う。無かったことにしてしまいたい。それが本音だろう。

「与四郎……」

あやねが与四郎を見上げた。濡れた瞳、赤く艶めく唇。何も思わないと言えば、嘘になる。今、ここであやねを抱けば、開きかかった恐怖の扉もまた閉ざす事が出来るのかもしれない。あやねもそう思っていて、自分を誘っているのかもしれない。そうも思った。だが、それが自分の欲望への言い訳に過ぎないのかもしれない。そう思う心が捨てきれなかった。

 そして、それよりも、与四郎には強く惹かれる想いがあった。与四郎の胸を高ぶらせるのは、つい先ほど、自分が初めて人に刃を向けた時の感覚だった。

(あれは、何だったのか……)

相手を憎いと思ったわけでは無い。あやねや、村の人達を守ろうとした。その結果、相手を殺してしまってもやぶさかではない、とは、思っていたと思う。だが、意識とは別のところで、頭で何か考えるのとは別の場所で、何か、が、頭をもたげていたのが分かる。今までに知らなかった、何か。

「与四郎、」

あやねがもう一度与四郎を呼んだ。与四郎はふっと笑顔を見せて、あやねの頭を撫でた。

(ああ、そうか、)

与四郎はそういう自分の行動と、意識とを合わせて考え、一つの答えを出していた。それに基づけば、今、あやねを抱くことはできない。あやねを可愛いと思えばこそ。

 そうして、与四郎はあやねの額に口づけた。

「もうお休み。俺が、朝までついているから」

そう言って、自分の着物をあやねに被せてやった。努めて、いつもと変わらない笑顔で。

「怖いことは、もう終わった。大丈夫だ」

そう言う与四郎に、あやねは昔の彼を見ていた。そう、初めて会ったその日に、与四郎は同じことを言ったのだ。刃に連れられて、この一座の者と会って、与四郎と会った。同じ年の自分に、何があったかも聞かず、与四郎はそう言った。

 友として。

 あの時と、気持ちは何も変わっていない。与四郎にとって、あやねは友達。そう、言われているようだった。

 それが、哀しくもあり、嬉しくもあった。


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