第57話 天声

それから、どれほどの時が流れただろう。


 森に隠された寺の山門に、二人の法衣の男が寄り添うように立っていた。何も言わず、見えない目と聞こえない耳で、何かを捉えようとするように、じっと。

 やがて、その白い頬に、ひらりと冷たいものが舞い降りた。

「雪、ですか」

目を閉じたまま、男が言った。もう一人の男が、相手の手を頬に当てて、頷く。男は見えない目で天を仰ぎ、

「与四郎……」

姿を見せない弟の名を呼んだ。

 別れてからを思えば、一年以上になった。最後に越後に行くと言い残して去った。その後、越後の上杉と甲斐の武田との間に大きな戦があったと聞く。たくさんの死者が出たとの話も聞いた。野武士である弟が、その戦に参加している可能性は高かった。

 そして、弟は帰ってこない。

 二人の兄は、祈るような思いで日々を過ごしていた。

「瞬啓様―! 澄啓様―!」

空を仰いでいた瞬啓はその声の方へ耳を向けた。寺の小坊主、少啓の声だ。彼は息せき切って長い階段を駆け上がってきた。澄啓がそれを見て軽く瞬啓の袖を引いた。何やら慌てている様子で。

 一番上まで駆け上がると、少啓は二人に一輪の花を差し出した。

「これが……下の門の前に置いてありました」

「百合、ですか?」

瞬啓が匂いで当てた。

「はい。黒百合です。」

それを聞いた時、瞬啓の見えない目からつうっと一筋、涙が落ちた。澄啓も泣いていた。

「……信じましょう。与四郎はきっと生きている」

「はい。私も、そう、思います」

二人は力強く頷き合った。それを見て、澄啓も頷いた。

 その黒百合を置いて行ったのが、黒風である証拠は無い。それ以前に、誰かの手によって意図的に置かれたものだという事実も無い。だが、その黒百合がそこにあること。そしてそれが二人の手に渡ったことが、彼が生きているという啓示のように思えた。



「生きろよ」

「生きよ」

「生きる」

「生きよう」

「生きていると信じましょう」


どれほど時を経ても、変わらず、幾度でも、心に響く、数多の声。

それは、恰も天から降り注ぐように。


その心は、ただ、

あなたに、会いたい。

もう一度、あなたに。


その声は、きっと、あなたに届く。

声なき声も、あなたに。


あなたの心に、あなたの命に。

繋がり響く。

命の

結びの声。




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