第12話 決意

 

 数ヵ月後、ふたのはは治療の甲斐あって回復した。

 病が癒え、体力が戻ると、それを見計らったかのように、北の方から呼ばれた。

 ふたのはも、療養の礼を告げたいと思いつつ、北の方の体調を慮り、なかなか自分から言い出せずにいた。

 ほどなく、吉日を選んで対面となった。縁にて深々と頭を下げ、長々と感謝の口上を述べるふたのはに、北の方は自ら近づいた。ふたのはは緊張した。頭を下げていても、さわさわという衣擦れの音で分かる。足の運び方で分かる。ごくり、と、ふたのはは唾を飲んだ。何か粗相をしただろうか。それとも、そもそも北の方自身は自分の滞在に反対だったのではないか。そんな思いが胸の中で渦巻いた。

 そして、衣擦れの音が、ぴたりと止まった。直後、北の方は膝を折り、ふたのはの手をに触れた。驚いて顔を上げると、そこには、透き通るように白い、北の方の顔があった。女のふたのはでも見とれる、美しい面差しであった。だが、やはり、白すぎる、病がちというのがよく分かる、今にも壊れそうな薄氷。

「城に残っては下さりませぬか」

北の方は、ふたのはの手を取り、身体を起こすように導いた。視線が近くなる。そこに、何とも言えない、寂し気な微笑があった。

「それは……どういうことでしょう」

ふたのはは、彼女の意図を読みかねた。最初に思い当たったのは、ふたのはに城付きの舞い手になれと言っているのかと思った。それにしても即答できる話ではない。自分の一存では決められない。一座の頭である刃は、戻ってくると言伝を残して旅立った。自分もそれを待つ気でいた。その間、城主や北の方、他の城の者達を軽業や舞で慰める事はできるだろう。そのくらいなら、という気持ちはある。だが、ふたのはの予想を大きく裏切った答えが北の方から返ってきた。

「殿の側室になってはもらえまいか」

「御方様、それは、」

驚き、即、口を挟んだのは北の方の侍女である。髪に白髪の混じる、恰幅の良い女だった。気の強そうな顔立ちは、そのまま彼女の性格を現している。穏やかな北の方とは対照的だった。

「良いのじゃ。ちとね。殿は私に気を遣って側室を持たれなんだ。しかし私はもう子は産めぬ」

「しかし……」

「お世継ぎは青龍丸様がおられましょう」

ちとねと呼ばれた侍女の言葉を受け継ぐかのようにふたのはがそう言った。ちとねは驚いたような顔をした。城持ちの男の側室に入ることは、下々の女にとって、ある種の喜びである事は違いない。まして、ふたのはのような河原者であれば決して珍しい事ではなく、それを望む女の方が多いだろう。それをふたのは自ら身を引いたようなものだ。しかし、北の方は力なく首を横に振った。

「青龍丸一人では心細い。青龍丸の二人の弟たちは、目の見えぬものが一人、耳の聞こえぬものが一人。表立って兄の力にはなれまい。私は青龍丸の力になる男子が欲しい。されど私にはもう無理」

「……私にそれを産めと仰いますか」

ふたのはは北の方を見上げて言った。北の方の瞳が薄く涙で濡れている。

「無体は承知。それでも私はわが子が可愛い。殿が愛しい」

「私が拒めばどうなります?」

「貴様、御方様に逆らうというのか」

侍女が声を荒げた。旅芸人の女の分際で、と、言いたげだった。受け入れても、拒んでも面白くないのだろう。それは判る気がした。大名家に呼ばれて行って、華やかな席を持っても、裏では蔑みの視線を受けることも珍しくなかった。

「殿様にも選ぶ権利はありましょう」

つ、と、ふたのはは視線を逸らした。

「殿はふたのは殿に惹かれておりまする」

北の方の言葉に侍女も、ふたのはも口を噤んだ。人の想い。それは言葉にせずとも、目線に現れる。態度に現れる。女の勘が働くのだ。殊更にそういう恋情の気配には。そして、おそらくは、北の方はふたのはの心も見透かしている。ふたのはの心も、殿様に、植親に向いていることを。今、それを口にしないのは、侍女の手前という事だろう。特に侍女頭のちとねは、主を思うあまり、ふたのはに良い印象を抱いていない。それを考えてのことだ。それが分かるからこそ、ふたのはは辛かった。

「殿様は……」

ふたのはは声を絞り出した。

「決して御方様から心を離したわけでは在りませぬ」

ふたのはは視線を北の方に戻して強くそう言った。

「当然です」

ちとねがふんと鼻を鳴らした。対して北の方はふふと穏やかに笑った。

「光君が紫の上も他の女も同じように愛したように、か」

「他に幾人の女を愛そうと光君にとっての最愛が紫の上であるように、です」

ふたのはは植親が愛しているのは北の方のみであるといいたかった。また、そうであって欲しいという気持ちもあった。おかしなもので、植親に惹かれる気持ちが自分の中にありながら、なお、そう思った。

 ふたのはは北の方も好きだった。

 城での療養中、ふたのはの身の回りの世話をしてくれたそねという侍女は色々とふたのはに話してくれた。彼女は年が近いのもあって、親身になって面倒をみてくれた。そんな彼女の話では、北の方は都の下級貴族から輿入れしたのだという。しかも、その家は、事実上断絶していた。要は、行き場のなくなった下級貴族の娘を押し付けられたようなものであった。当初、その話が出た折、後ろ盾も期待できず、態度だけが高慢な女がくるであろうと、その縁談を快く思わない者もあった。だが、いざ輿入れとなると、城のものは皆、彼女の美しさ、たおやかさに息を呑んだ。都の女にありがちな高慢さなど微塵も無く、ただ、穏やかに、儚げにそこに在った。それを頼りなしと思う者も確かにあったが、それをも自ら認め、ただ静かに暮らしていた。

 やがて心配事であった男児も授かると、最早彼女を悪く言うものはいなくなった。それが何よりの大事であったということだろう。苦境に身を置いてもひたむきに生きてきた彼女を好きだと思った。そして、その思いは、実際に彼女と対面し、言葉を交わして一層強くなった。その北の方が悲しむようなことにはなって欲しくなかった。

 だが、その張本人である、北の方が、ふたのはに側室になってほしいと望んだのだ。ふたのはは迷い、悩んで答えを出した。彼女が、本当に大切にしたいものは何なのか。そして、そのために自分に出来ることは、何なのか。

「……お話、ありがたく頂戴いたします」

深々と頭を下げるふたのはに北の方も頭を下げた。ちとねが口を挟もうとするのを、北の方は小さく制した。

「どうぞ、よろしゅうお頼みもうします」

そうして挨拶を交わしながら、ふたのはは側室としても彼女の支えになろうと心に決めた。

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