第20話 施し

同年、秋。


 山の木々が、仄かに色づく時節。緑の木々に、赤や黄の色が混じり始め、色彩の多さは、秋の盛りよりも華やかである。村々では、その年の収穫を祝う。その恵みを神に、大地に感謝し、祭りを行う。そしてまた、来年の豊作を祈願するのだ。

 その祭りの輪に、黒風も入っていた。昔取った杵柄で、軽業を見せると、村の者は喜んで彼を仲間に入れた。戦に行くだけでなく、時折こうして、祭りに加わることで、幾許かの稼ぎを得ることがあった。

 時に応じて、野武士とも、軽業師ともなる。そこに、芸人の一座があれば、混ぜてもらうこともある。姿持たぬ風と同様に、彼もまた、様々に姿を変えた。

 その日は、戯れに女の衣装を着て、化粧をし、軽業を披露した。男のすがたであるよりも、実入りが良いのは何とも複雑だが、時にはそうして、性別すら変えた。そうして一通り、身銭を稼ぐと、黒風は一人、山に入って水場を探した。化粧を落とし、着替えをするためである。

 ちょうど、山の中腹に池を見つけ、女物の着物を脱いで近くの枝にかけると池に飛び込んだ。

「ふう」

一息ついて、顔を洗おうとすると、水に映って化粧をした自分の顔が見えた。村の女たちが手伝ってくれた所為か、うまくできている。野武士ではあるが、力押しの戦い方をしない黒風の身体は、まだ男になり切らなかった。見ようによっては、本当に女子にも見える。黒風は可笑しくなって、笑った。

 信長からの依頼を忘れたわけでは無い。だが、それほど重くも思っていなかった。そもそも、期限は指定されていない。今、動く必要なは無いはずだ。

 季節はこれから冬に向かう。どこの土地でも、少なからず冬に備えて動かなければならない。無事に冬を越せるよう、食料を蓄え、薪を蓄える。冬に猟に出る者は、その支度もするだろう。冬を侮れば、命に関わる。まして、黒風は雪には慣れていない。冬に宛てなく北国に入るのは命取りになりかねない。今、黒風の頭を占めているのは、むしろ、この冬をどこで越そうかということだった。

「誰か、あるのか」

ふいに男の声が聞こえて、黒風は肩越しに顔を向けた。

「や、すまぬ、女子であったか」

そう言いながら、相手の男はさっと背中を向けた。黒風は、自分が化粧をしたまであることを思い出した。そして、可笑しくなった。笑いをこらえながら、相手に真実を伝えようとした時、ふわりと風に乗って香が流れて来た。どうやらその男のものであるらしい。当の男は既に叢の向こうに身を隠していて、僅かに背中が透けて見える程度であるがそれでも、ただの村人とは違うという事は分かる。恥をかかせたとあっては、怒りを買いかねない。黒風は女の振りを決め込むことにした。

「村の娘か」

「いえ、」

作り声がばれないように、極力短い言葉で返す。

「旅の者か」

「はい」

嘘はついていない。それが救いだった。

「冬になれば旅もきつかろう。少しばかりだが、路銀の足しにするといい。温かい所で冬を越せ」

そう言って男は去っていった。黒風は、じっと耳を澄ませて、男が下草を踏みながら遠ざかる音を聞いていた。それが聞こえなくなって、それでもまだしばらくはそのままでいた。森に鳥の声が戻って、初めて大きく息を吐いた。

「女の振りも楽じゃない……」

そう零して、今度こそ、化粧を落とした。

 念には念を入れて、しばらくその場で泳いだ後、黒風は池から上がった。草むらに隠してあった元の男物の服を着て、借り物の女物の着物を取りに行く。見ると、自分がかけておいた着物の傍に、美しい刺繍が施された小さな巾着袋が下がっていた。見覚えのないそれを開けて見ると、中から砂金が出て来た。

「なっ……」

黒風の祭りでの僅かな稼ぎなど吹き飛んでしまうようなお宝だ。

(もしや、あの男か?)

真っ先に浮かんだのは、先刻の身なりの良い男だ。それ以外に心当たりなどない。何の酔狂か知らないが、見ず知らずの女にひと冬を過ごすには過剰な施しを残していった。下心など、微塵も無い様子で。

 返さなくては、とも思い、正直、ありがたくもあった。冬を快適に越そうと思えば、今の懐具合は少々寂しい。返そうにもどこの誰だか分からない上に、自分は女として覚えられている身だ。どうにもならない。

「返せないなら、ありがたく」

黒風はそっと袋に手を合わせ、懐にしまった。

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