第10話 寄辺

「ふたのはを預かりたい」

一人、対面した城主植親から刃に告げられたのは、思いもよらない言葉だった。刃はしばらく己の耳を疑い、何度も頭の中で真偽を測った。その沈黙を、晴親は根気強く待った。

「……それは、どういった……」

刃は結局植親の意味を図りかねて恐る恐る聞き返した。健常な状態のふたのはに対して同じ言葉を言われたのならば、見初められたとも思うところではあるが、ふたのはは今、病を得ているはずだ。そのふたのはを預かるとはどういうことなのか。

「ふたのはの病は易くは治らぬと、医師が申しておった。だが、他に感染するようなものでもないという。薬ももちろんだが、滋養のあるものを摂り、身体を休める事が肝要と」

「医師をお呼びになられましたか」

その事だけで、刃は十分驚いていた。一介の旅芸人のために、城の主が医師を使うなど在り得ない事だった。

「勝手をしてすまぬ。北の方が世話になっている医師がおる故、診させたまでだが」

「何を申されますか。我らには有り難くはあっても、勝手などと」

刃はそう言って改めて深く頭を下げた。

「大したことではない。それより、面を上げよ。話が出来ぬ」

「は」

刃はゆっくりと頭を上げた。植親の顔が見えた。その男の癖なのか、僅かに微笑を浮かべたような顔をしている。武士というには柔らかい雰囲気の男であった。

「話を戻そう。ふたのはの病状を見るに、其方らと共に旅をしていては治癒も難しかろう。我らの元でゆるり休まれてはどうか」

「何故そこまで……」

「北の方が彼女を気に入っていてな。是非にと」

「お方様が」

「あれは、長く病で臥せっておる。同じように病の床にある者の苦しみは分かるのであろう。是非にとのことだ」

「左様な事情なれば、我らに異存はござりませぬ。どうぞ、よしなに」

もしかしたら、そのまま城に留め置かれるかもしれない。刃は、胸中に思った。今、ふたのはの意志をきかずに、彼女の進退を決めてしまうのは酷とも思うが、今は病を治すことが先決と、腹を決めた。

(皆に謝らねばな)

ふたのはも連れて帰ると約束した以上、その事は守れなかったのだからと、刃は思った。

「ふたのはの舞にも、そなたらの芸にも、皆、慰められた。その礼になればと思う」

そう言って、植親は刃の手に金子の入った袋を握らせた。

「道中の足しにして欲しい」

「ありがたきお言葉なれど、金など受け取れませぬ。それではまるで、」

頭の言葉に植親は微笑んだ。

「分かっておる。何も身売りしろと言っているのではない。此度のそなたらの働きに少しばかりの心づけだ」

刃はその時、己の予感が現実になるような気がした。しかしそれでも、最後の決断は自分ではなく、ふたのは自身がすべきとも思った。そして、それをこの男ならば、許してくれると思えた。

「それから、これをな」

植親は、家紋の入った守り刀を一振、刃に渡した。

「城下を訪れた際には必ずこれを持参して城に来るように。如何に下の者が変わろうと、この紋を見て無下には扱わぬであろう。我と縁続きである証じゃ」

「もったいなく」

「旅に在る其方らに、一日も早くふたのは全快の報を届けたいとは思うが、儂の力は小さく、及ばぬ。其方らの方から、折につけ、この城下を訪れて欲しい。そして、その時には必ずこの城に立ち寄ってくれまいか。ほどなく、ふたのはを返すことができるであろう程に」

刃は恭しくそれを受け取った。

 そうなっては最早断る理由は見つけられなかった。植親を信頼するなら、これ以上はない申し出で、皆のためになるだろう。その信頼さえ、植親の方から得ようとするように、たくさんの気遣いを重ねてきた。ここで断ってしまうのは、却って礼を欠くことになる。

(信じるしかあるまい)

刃は心に決めた。だが、何をだろう、と、思う。この、何も信じられない時代で、何を信じればいいのか。天か、運か、敢えての人か、己自身か。あるいはその全てであろうか。拠り所なく、それでも確かに、命を生かそうとする何かに、刃は想いを馳せた。

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