第52話 蠢動

 そんな頃だった。

 ある日、黒風はふいに侍大将から呼ばれた。陽も大分前に落ち、名残の青が凡そ黒に変わる時分であった。不審に思いながらついていくと、案内役が次々と変わった。変わるたび、より高位の武士になっていくのが分かる。黒風はごくりと唾をのんだ。

 やがて、山頂付近の人気の無いところにつくと、案内役の武士が黙って顎をしゃくった。黒風は示された場所へ背の高い草を掻き分けて進んだ。

 そこには政虎が居た。

 一人だった。

(……刺客に狙われたらどうするのだろう)

幾度目かの想いを飲み込んで黒風は傅いた。名乗ろうとした瞬間、政虎が振り向いた。

「黒風」

「は、」

声がいつもより低いような気がした。空気も違う。黒風が見知った政虎ではない。びりびりと、目に見えないいくつもの小さな雷が在るようだった。

「近う」

それに従って傍へ寄る。肌がちりちりとする。それに逆らって、黒風は足を進めた。

政虎が顎で示した先に無数のかがり火が見えた。何も言われてはいないが、武田の陣営であろうと思われた。

「あれを何と見る」

正直、兵法など知らない。見せられても何と言えば良いの全くわからない。そもそも、これほど高い所から敵陣営を見下ろすことなど無い。自分は一兵に過ぎないのだから。

 知識なしにでも気になるのは煙が上がっていることだ。陣営というものはこれほど煙を上げるものか。自分が参加した戦ではどうだっただろう。地べたに居ても、分かることは何か。陣営が白煙を上げる意味。それは、

「あれは、飯炊きの煙であろう。おそらく、」

答える前に振って来た政虎の言葉に思わず頷く。

「動きますか」

「そうだ」

黒風の反応に政虎は嬉しそうに笑った。それまで上がらなかったものがあがる。それは、動きがあるということだ。布陣が長くなるということは、相手も長く動けずにいるということ。そういう中にあっても、いつかは動く。人は医師や木ではない。いつまでも一所には居られない。それが戦場であれば、まして。先にしびれを切らしたのは武田軍だということか。

「総攻撃が来ますか?」

「山中にて全軍を戦わせることはあるまい。ここに攻めてくるとすれば別動隊」

「如何します?」

 そう言って、黒風は政虎の方を見た。

 どきり、と、した。

政虎は武田陣営から目を離さずに、ふっと小さくため息のように、


笑った。

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