第47話 庇護
出陣前日。夕刻。
黒風はさやの元を訪れていた。夕焼けが美しく空を彩っている。
それを、さやと二人で眺めていた。とはいえ、さやには見えてはいない。だが、おなぎや平蔵が言うには、さやには時の流れや季節が分かるのだという。それは、空気の温冷、そこに含まれる水の気配、植物や雪の香り、時を違えて鳴く鳥や、獣、虫の声で分かっているのだという。夕焼けは見えなくても、おなぎや平蔵が、夕焼けを見て美しいと思う時は、さやもまた、同じ方角を見て、穏やかに微笑んでいることがあるという。恰も、見えているかのように。
「……さや様」
黒風は小さく、囁くようにその名を呼んだ。さやは、それに応えて、そっと黒風の手の方へ手を伸ばした。黒風はその手をそっと包むように取った。
すると、
「……っ」
さやは急に黒風の手を強く握り、顔を歪めて横に振った。
「おなぎさ……」
いつもの発作と思った黒風は、慌てておなぎを呼ぼうとした。すると、それすらもさやは止めた。そして、とんとんと自分の胸元を叩き、苦し気な笑みを見せた。
「大丈夫、って言いたいのですか?」
黒風が恐る恐るそう言うと、さやは頷いた。しかし、その顔は青ざめている。
(もしかして……)
黒風は心を見透かされたかと思った。今日、黒風はさやに別れを言いに来たのである。
戦に出るということは、それこそ死ぬかもしれないということだ。再びさやに会うことは無いかもしれない。その想いが、黒風の足をさやの元へ向けた。
しかし、実際会ったところで、何を話せばいいのか分からなかった。さやは元々心が不安定な状態だ。自分がもうここへは来れないかもしれないことなど、告げる勇気が出なかった。それは、さやのためでもあるが、自分のためでもあった。口にしてしまえば、それが現実になりそうで恐ろしいのだ。
(恐ろしい?)
自分で思ったことを、黒風は可笑しく感じた。何度も戦に身を置いて、いつでも死んでおかしくない状況にあって、今更恐ろしいなどと。
黙りこくっている黒風の袖を、さやが掴んだ。
さやの目が、まっすぐに黒風を捉える。その視線を正面から受けて、黒風はどきりとした。
(この目を、知ってる……?)
見覚えがある、と、思ったのだ。同じような視線を、どこかで受けたのかもしれない。そう思っていると、さやは静かに、こくり、と頷いた。
(恐ろしいのが、普通なのかもしれないな……)
何を話したわけでもないが、何となく、そんな風に黒風は納得した。
今までの生活と違い、誰かの庇護の内で、穏やかに暮らしていたのもあるだろう。それが心地よく感じられてもおかしくはない。
だが、その生活を守るためにも、戦に行かねばならない。そう、決めたはずだ。
「さや様、私は暫しここへは来られなくなります。ですが、」
黒風の言葉を、さやは静かに聞いていた。その様子に安堵して、黒風は先を話した。
「必ず、戻ります。待っていて頂けますか?」
そう口にして、まるで愛しい女子を残して戦に臨む男の様だと気づき、かっと顔を赤くなった。
(そういうわけでは……)
そう思っていると、当のさやは涼やかに笑顔を見せていた。その笑顔に、そういう誤解をしていないことに気付き、黒風は焦っていた自分が可笑しくなった。
「そう、戻ります。必ず」
繰り返すと、力が湧いてくるようであった。
自分が戻るということは、政虎もまた、必ず生きて連れ帰るということ。さやの庇護者。そして、今は自分の庇護者でもある。その、大きな存在を。
それが、守らなければならない、黒風の誓い。
そう、誓うのだ。この女に。
そして、自分の心に。
生きる、と。
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