第46話 誓い

「私は、留守居、ですか」

後日、戦の支度が整い始めた頃、黒風は政虎にそう告げられた。

 ちょうど、さやの庵から戻る途中のことであった。日差しはもう、眩しいくらいになっていた。風が無ければ、じっとりと汗が滲んでくる。そんな中でも、政虎は何故か涼し気に見えた。

「最初に申した通り、さやの傍に居てくれまいか」

小径を歩く足を止めずに言う。その言葉に、暫し黒風は黙った。

「それは、私が決めてよろしいのですか?」

政虎の立場を考えれば、命じられるのが普通だろう。だが、まるで黒風に依頼するかのように政虎は言った。

「其方を野武士として戦のために雇ったわけでは無い故。だが、其方が戦での働きを望むのであれば、それもまた道理」

「望む……」

黒風はそう言って足を止めた。遅れて、政虎が足を止める。そして、黙ったままの黒風に向き直った。

「私、は」

黒風は自分の気持ちを量りかねていた。どうしたらいいのか、どうすべきなのか。

「……此度の戦の相手は武田信玄だ。大きな戦になるだろう」

政虎は黒風の返事を急かすことなく、静かにそう言った。だが、その言葉が、黒風の心臓を大きく動かした。

 あの冬の夜。信玄が発した言葉を思い出したのだ。

「我らの間には、戦を越えた、何かがあるのやもしれぬ」

それが、戦で見られるのかどうかは分からない。だが、彼らが同じ場所に相まみえるのは、今は戦しかない。そこに、自分も立ちたいという思いが、黒風の心に真夏の雲のように湧き出でた。

(これは、武士の血なのだろうか……)

顔も知らぬ実の父を思う。

 黒風は胸の高鳴りを抑える様に静かに目を閉じた。

 それでも収まりきらぬ鼓動のまま、ひとつ、息を吐いて黒風は口を開く。

「それは、私が戦に行けば、命を落とすやもしれぬということにござりまするか」

「そうだ」

「私は一介の野武士にござりまする。この命一つ落としても、お屋形様には何の、」

「黒風」

半ば乱暴に吐き出されたその言葉を、政虎は制した。

 沈黙が流れる。その中で、政虎は息を吐き、仄かに笑った。

「さやは大分其方に心を開いていると聞く。稀有なことだ。それは、其方ありきのことと思うている」

「真にさや様をお守りできるのは、お屋形さまだけと、私は思いまする」

黒風は、はっきりとそう言った。自分でも驚くほど。しかし、確かにそうであった。自分一人、政虎の後ろ盾無しにさやは守り切れない。

 政虎は大きな戦になると言った。そうであれば、政虎自身の命も危ういのかもしれない。それを見越して、自分にさやについていろと言ったのではないか。

 しかし、さやを守るには、政虎の存在が不可欠だと、黒風は思った。ならば、と。

(戦に、行こう)

その理由は二つ。黒風はそれを深く心に抱いた。

 黒風は地べたに膝を落とすと、そのまま額を擦らんばかりに深く頭を下げた。

「私如きの技量では大したお役にも立てぬとは思いまする。さりなれど、どうか、私を戦場にお連れ下さりませ。必ず、必ず、生きて戻りまする故」

黒風はそう言いながら、心の中で思った。

 この方を、必ず生きてここへ、さやの元へと戻さねばならぬと。

「……相分かった。その言葉、信じよう」

政虎は、半ば諦めたようにそう言った。その言葉に、黒風ははっとして顔を上げた。

「その誓い、違えるなよ」

「肝に銘じて」

そう答えると、政虎はふっと笑顔を見せた。どこか、平素の政虎とは違うような、不思議な笑みであった。

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