第3話 獣天界の雲の味
「ようし、それじゃ羽出せ、羽!」
言うなり、ガジュのくるんと丸まった背中から、白鳥のよりも真っ白い翼が現れました。頭の少し上には、カーラの毛より金色に輝く輪っかが出現します。カーラはそれはもう、びっくりです。さらに、翼をはためかせてフェレットの長い体が浮き上がると、彼女は暑いわけでもないのに大口を開けてしまいました。
「キミ、どうなってるの? フェレットって、鳥じゃないよねー?」
「モチロン、フェレットはイタチ族だゾ。そしてこの翼は、おまえにもある!」
背中の翼で羽ばたきながら、ガジュはカーラの両前足をつかんで、さらに上昇しようとしています。されるがままでいるうちに、とうとうカーラは海の中でつま先立ちになってしまいましたよ。
「待ってよー! あたしには無理だよ。鳥の羽根なんて……」
「いいや、できる! いいか、おれたちは獣天使だ!」
その言葉の意味を理解するより先に、ゴールデンレトリバーの体が反応しました。今まで眠っていた背中のある神経が目を覚ましたかのような、機械仕掛けのオモチャの電源を初めてオンにしたような。
気づいたとき、カーラは懸命に羽ばたいていました。もちろん、彼女の背中から生えた純白の鳥の羽──いいえ、天使の羽です。頭の上には、金色の中の金色をした輪っかも現れます。
「そらガンバレ! ただ空気を叩くんじゃないゾ。翼を大きな手のひらだと思え。それで空気をつかむんだ」
「そんなこと言ったってー。あたしは手で物をつかんだことないから、わかんないよー」
「ムム、そうか。どうするかナ」
そうでした。フェレットの前足はイヌやネコの前足よりも人間やサルの手に近くて、つかんだり握ったりするのが案外得意なのです。握力も強いので、片手で何かをつかんでぶら下がることだってできるんですよ。
「じゃあアレだ、肉球の間に砂利が挟まったときを思い出せ」
「うあー、いやな感じだー。指を開かなくちゃ」
「そうそう。そしたら今度は、開いた指の間に紙切れが挟まった。ソウルマスターの写真だ!」
「ひーちゃんの! 絶対落としちゃダメだね、挟まないとー」
「ウム。そんな気持ちで翼を動かすんだ」
するとどうでしょう。ガジュの指導がよかったのか、それとも本人の飲み込みが早いのか、先輩獣天使に吊り上げてもらわなくても、カーラは何とか浮いていることができるようになりました。
シッポの先も海面から上がって、二匹はさらに上昇を続けていきます。一度羽ばたくごとに、空の眩しさが増しているように感じられて、カーラはたまらずクシャミをしました。よく晴れた日に太陽を見ようとすると、鼻がムズムズしてきますよね。ここ、中の海の空は、それの何倍も明るいのです。
「どこまで上に行くのー?」
「ドコまで上がっても着かないんだナ、コレが。おれたちの目的地は、別の次元だ。でも、ずっと上がっていけばどんどん明るくなって、そのうち頭の中まで真っ白になる。そしたら、おまえでも飛び越えられるゾ」
「別の次元ってなに? 怖いよー、やめようよー」
そしてまた、クシャミを一つ。今度はガジュもつられます。
「うへへ。近いゾ、きっと近い。もうスグだ」
「だから、どこに行くのー?」
目を固くつむって悲鳴のように尋ねてくる後輩獣天使に、見えていないとわかってもニヤリとしながら答えるガジュ。
「獣天界だ!」
もう、目を開けていても閉じていても、見えるのは白一色です。真っ暗闇を抜けてミドル・シーにやってきたときとは、まったく反対ですね。
そして次に見えたのは、もちろん白い光ではなくて、青い渦。サファイアとラピスラズリを溶かし合わせたように澄み切った深い青が、二匹の頭上に現れました。
ガジュはせいぜい毛並みが乱れる程度ですが、長毛種のカーラはもみくちゃです。おまけに両方の耳は、それぞれまったく反対の方向にはためいているのですからたまりません。
「わふー、すごい風だよー」
「見ろ、獣天界の入り口だ」
台風の目にも似ている渦を目にして、カーラが世にも情けない声を出したのを、ガジュは聞かなかったことにしてあげました。もう羽ばたくのをやめても、二匹の上昇は止まりません。
「吸い込まれるー!」
「うははー! 景気よく飛び出そうゼ!」
そして、二匹の獣天使は中の海がある次元から姿を消しました。
直後に、柔らかい白と優しげな水色から成る世界に、灰色と金色の固まりが打ち上げられます。まるで噴水のように。
翼を巧みに操って空中で体勢を直したガジュはともかく、翼の存在を忘れて犬掻きの姿勢そのままで放り出されたカーラでしたが、地面にたたきつけられるという惨劇には見舞われません。
「わー! あー?」
四肢の肉球とオシリは、なんだかとっても柔らかいものの上に乗っています。その感触に、カーラは覚えがありました。
「これは……クッションを振り回しているとたまに出てくる、白いフワモコだー」
「おまえ、なかなかのワルガキだったんだな! そんなことしたら怒られるダロー」ヒゲを全部カーラのほうに向けて、ウニのような鼻面のままガジュが笑います。「そうなんだヨ、雲って綿みたいだと思ったら、ホントに綿なんだよナ」
「ええっ! そうなの?」
「ウン。しかも食える」
「えー! ほんとにー?」
ゴールデンレトリバーのカーラは言うまでもなく嗅覚自慢のイヌ族ですから、濡れた鼻面を雲の地面すれすれに持ってきて、匂いのエッセンスを吸い込みました。空気と一緒にエッセンスを、鼻の中の特殊な器官に取り込んでしばし……。
「食べ物の匂い、しないよー」
「食べ物じゃないけど食べられるんだヨ。食ってみ」
言うなりガジュは雲に鼻面を突っ込み、一片の雲をちぎって、ペロリと口の中に収めました。
「甘いゾー!」
「えー?」
半信半疑でガジュのまねをしてから、カーラも弾んだ声を出しました。
「わほー! 甘いねー! 匂いは全然しないのに、お砂糖の味がするよ」
彼らが人間だったなら、話はすこぶる早かったでしょう。そう、天国の雲の正体は、綿アメだったのです。口に入れるまではまったく味も匂いもしないし、濡れた鼻面で触ってもベタベタに溶けたりはしませんが。
そしてご存じのとおり、甘いものというのはいくらでも入るものではありません。ガジュは最初の一口で、カーラは物珍しさから三口食べて満足しました。
雲のやさしい味わいが、最愛の家族との別れに打ちのめされていたカーラの心を癒やしたのでしょうか。いくぶん落ち着いた様子で、彼女はガジュに尋ねます。
「それで、ええと、どうすればひーちゃんに会えるのかなー?」
「マダマダ、マダだ」
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