第32話 ヒーローも臭い飯を食う
「その格好、何だ? あれだろ、コスプレとかいう」
「違うヨ。セリアン・スーツっていう、スーパーヒーローの装備なんだ」
「ええっ? スーパーヒーロー? 君ね、何かやってるでしょ」
「ウム。事故や災害、事件からみんなを守るヨ!」
「……ああ、こりゃダメだ。着いたら検査だな」
両サイドの警察官は、勘違いしてしまったようです。そもそも始めから、人質事件の真っ只中に単身飛び出して来るような人物はまともではないとマークしていましたが、セリアン・アッシュのエキセントリックな発言を聞いて確信に至ったのでしょう。
「わかったから、その背中のしまいなさい。車乗れないから」
パトカーの前まで来ると、先輩格の警察官がセリアン・アッシュの翼を指さして言いました。
セリアン・アッシュは素直に従いました。といっても、警察官の予想とは大いにかけ離れたしまい方になったのはまずかったようです。つまり、背中の翼を音もなく消すというのは、コスプレ衣装の一部である翼を物理的に取り外すと思い込んでいた二人を、大変驚かせました。
いくらセリアン・アッシュといえども、撃たれた腕が痛くて判断を誤ったのでしょうか。
キャシーがすかさず抗議の声を上げます。
「何やってるのよ! 獣天使だとわかってしまうような行動は取らないでと、あれほど言ったじゃない」
忘れていたわけではないけれど、セリアン・アッシュは「ゴメンネ」の意味で少し微笑んでから、警察官に続いてパトカーへ乗り込みました。
確かに、多少無茶をしてでも翼をしまったのは正解だったようです。車内は狭く、セリアン・アッシュは日本人の平均と比べてやや大柄でした。警察官に両脇を固められて後部座席に収まるだけで精一杯。どうやっても翼のやり場はなかったでしょう。
「羽はどこへやった?」
「うはは! おもしろいナ。おまえがしまえと言ったからしまったんだゾ。それにしても狭くないか?」
セリアン・アッシュの朗らかな笑い声を、キャシーとカーラはパトカーの屋根の上で聞いていました。赤色灯が邪魔なので、それを挟んで前後に分かれて座っています。キャシーはおしとやかに横座り、カーラはリアガラスに脚を投げ出してイスに座るような案配です。
「今回の件はイヌ族の一部による犯行なのか、まだ証拠がないわ。お耳に入れれば、きっと獣天使長さまも動揺される。だから、証拠がつかめるまで話は上げず、ワタシたちでなんとかしてみましょう」
「う、うん。そうだよね、まだイヌ族がやったって、決まったわけじゃないもんねー」
そう、たとえば別の何者かがイヌ族のしわざだと語っただけかもしれませんよね。そう考えると、カーラも少しだけ元気になれました。
「ガジュ、正体バレちゃうかなー?」
「よほどのことがなければ獣天使の存在まで知られることはないと思うけれど、血液検査や尿検査をされたら、彼が人間ではないことが一発でわかってしまうわね」
「そ、そうするとどうなるかなー?」
「さあ……」神秘的な目を伏せて、クールビューティが首を横に振りました。「ただ、いずれにせよ彼について行かなくてはならないから、動物形態になっておいたほうが良さそうね。小回りが利いたほうがいいわ」
「うん、わかったー!」
次の瞬間、交通規制された渋谷の町を軽快に走るパトカーの屋根に、お腹の白いブルーグレーの猫と、ユニオンジャックのバンダナを首になびかせるゴールデンレトリバーが座っているという、世にも珍しい光景が実現していましたが……残念ながら、人間の目には見えないのです。
そして今、ガジュことセリアン・アッシュは、南渋谷警察署にある留置所にいました。普通は不満たらたらに、あるいは強引に入れられる場所なのでしょうが、鉄格子を目にして獣天使のテンションは上がりました。
「スゲー! 超でかいケージ、スゲー!」
そう叫びながら、連行する警察官を引きずるようにして、自分から檻の中へ飛び込んで行ったのです。フェレットとして飼われていた頃、ケージは囚われる場所ではなく、彼の素敵なお家でした。愉快なハンモックの寝床や清潔なトイレがあり、食べ物や水もあり、リビングや廊下で気の済むまで唯ちゃんと遊ぶと、自分からケージへと戻ったものです。
だから彼はいつもしていたように、檻の内側から鉄格子をつかんで、外にいる警察官へニコニコ微笑みかけました。
警察官は……気味悪そうにセリアン・アッシュから目を逸らし、施錠を確認して去っていきます。でも、檻の住人がひとしきり床やベッドを跳ね回って楽しんでいると、今度は湯気の立つお盆を持ってきて、鉄格子にある横に空いた隙間から差し入れてくれました。
「アリガトー!」
お礼を言って受け取り、早速スプーンを握りしめて食べ始めるセリアン・アッシュ。まずは、何かの煮込み料理らしきものに手をつけます。
「うおー! カラーイ!」
どうやらマーボー豆腐だったようです。きっとこれが人間であれば、子どもでもない限り辛さを物たりなく感じたでしょうが、獣天使は辛い物を食べ慣れていません。ペットの飼育書には「刺激の強い物を与えてはいけません」と必ず書いてあるからです。さまざまな人間の食べ物を楽しめる獣天界の食堂でも、辛味のあるものはほとんど置いていません。
「スープはウマイな!」
焼けた舌をなだめるため、菜っ葉の切れっぱしが浮いた中華風スープを一口。そしてまた「カラーイ!」とやってから、今度は白いご飯で舌を休ませます。
「あのー、ガジュ?」
「むお?」
ほっぺたにお弁当をくっつけたまま声のするほうを見れば、鉄格子の向こうには、毛並みふさふさで金色の犬と、お腹の白いブルーグレーの猫がいました。方や情けなくまなじりをさげ、もう一方はまなじりをつり上げているという対照的な表情。その理由をわかっていないのは、きっとセリアン・アッシュ本人だけなのでしょう。
「なにをのんきに、『臭い飯』を食べているわけ?」
「臭くないヨ、おいしいヨ。キャシーも食べる?」
そんな問いかけなどはじめからなかったかのように、
「外は堕獣天使を自称するやつらのせいで大混乱なのよ?」
「そうだよー。お巡りさんがピストルを撃ったから、みんな警察を信用しなくなっちゃったし、テロだとか内戦だとか情報が入り乱れて、大変なんだー」
悲痛なカーラの声に、セリアン・アッシュはフォークを置きました。
「そうなのか……でもナ、おれは今、閉じこめられているだろ? 頑張ればこの檻、壊せないこともないと思うが……」
「アナタ馬鹿なの?」
「ガジュー、変身、変身」
「おおっ! そうか」
彼はどうやら本当に、自分がフェレットだということを忘れていたようです。ポンと手を打ってから宙返りし、見事に長っぽそい灰色のケモノへと姿を変えました。鉄格子の隙間は十分すぎるほどあり、ガジュは特別な努力も必要なく、するりと檻から抜け出します。それから上半身だけをしっぽのほうに戻して、食べかけの食事を名残惜しそうに見つめました。
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