歌声は、海と空を越えて
第33話 ソウルマスターのいるところ
「唯ねーちゃん、オレたちどうなるんだよー」
「うーん。ごめんね、わたしにもわからないよ」
「オレたち帰れんのかな?」
「帰れるといいね」
膝小僧にいくつも擦り傷のある男の子の隣に、セーラー服の女の子が座って、背中をなでてあげています。
「もう、ここやだよ」
「落ち着かないもんね」
それもそのはず、二人が座っている下に、地面は見えません。足下のさらにずっとずっと下には、青く輝く地球があります。女の子と男の子は、なにもない宇宙空間にいるのです。
でも、目に見えなくても床はあるようです。ガラスのようになめらかで、金属のようにひんやりしているのですが、ずっと同じ場所に座っていても体温で温まることがありません。同じ未知の材質でできているらしい壁もあります。離れているとやはり見えないらしく、三六〇度どこまでも宇宙の星々を見渡せます。でも、ずっと歩き続けていると、進行方向が次第に不透明になっていって、最後には鏡のように自分の姿が映り込むのです。
唯ちゃんは、自分たちがどうやら目に見えない建物の中にいるらしいということまで、どうにか理解できました。
「いつまでこうしているんだろう」
「大丈夫よ、翔(しょう)くん。きっと……」
助けが来る、なんて言えませんでした。このどことも知れない場所へ、誰が? どうやって?
周りには、ほかの大人たちもいました。それも、唯ちゃんの親戚一同が勢ぞろい。翔くんも、母方の従兄弟です。でも、みんなもう、無気力です。お腹も空かないし、トイレも行きたくならない、眠くもないから、いったい今がいつなのか、ここに来てどれくらい経つのかわかりません。もうずっとここにいるような、さっき来たばかりのような、時間感覚の抜け落ちだけが自覚できている状態でした。
理解を超える技術で宇宙空間に連れ出されるなんてことが現実になれば、出口を探すのも、大声で叫ぶのもまったく無意味だと理解するほかないのでしょう。大人たちは、ずっと早くにあきらめてしまっていました。
「あ」
翔くんが、体育座りした膝から顔を上げました。その表情は、ここで見たなかでは初めてというくらいに輝いています。
唯ちゃんが「どうしたの?」と尋ねようとしたとき、興奮気味の声がそれを遮りました。
「知ってる。唯ねーちゃん、オレ、助けてくれる人、知ってるかも」
「すごいね翔くん、どんな人なの?」
もちろん、そんな人などいないことを唯ちゃんは知っています。でもこの状況で「そんなのいるはずがない」と一刀両断することの無意味さもまた、知っていました。
「オレさ、ついこないだ遠足で、事故に遭いかけたんだ。山道で、バスごと崖から落ちそうになったんだよ」
「そうなの? 怪我はしてない?」
「うん、だって落ちてないもん。スーパーヒーローが助けてくれたんだぜ!」
「……えーと」
にぎりこぶしを固め、翔くんは突然元気よく立ち上がりました。
唯ちゃんも小さい頃はおてんばだったので、夕方にテレビで放映していた戦隊モノを見たことがあります。赤やピンクのタイツに身を包み、地面を爆破しつつバイクで疾走するヒーローたちの姿が思い出されました。
翔くんはいったい、何とヒーローを見間違えたのだろう。そんな考えがうっかり顔に出てしまったのか小学三年生の従兄弟は頬を膨らませます。
「あー、唯ねーちゃん信じてない顔だ。ホントだって。白い服にグレーっぽい鎧をつけて、背中に羽のあるグラサンのにーちゃんだった」
「ヒーローって、サングラスなんかするの?」
聞く限り、唯ちゃんには翔くんの主張するヒーローが、天使のコスプレに失敗した人としか思えませんでした。
「知らないよ、でもホントにいたんだから仕方ないじゃん。だってさ、普通の人は崖から半分落ちかかってるバスを一人で道路に戻せないでしょ?」
「うーん、そうね」
「それにさ、オレだって背中の羽、なんかの衣装だと思ったよ。でもメッチャ普通に動いてた。それに、最後飛んでった」
「ちょっとちょっと、それウチも聞いたことあるよ。見たことはないんだけどさ、団地のベランダから落っこちたちっちゃい子を、ナイスキャッチして助けたって」
大人たちの集団から、派手なメイクの女の人がやってきて、話に加わりました。ちょっと怖そうなお姉さんなので、普通だったら翔くんは唯ちゃんの背中に隠れてしまったでしょう。でも自分の話に同意してもらったのがうれしかったのか、ヤンチャな笑顔で「ほらね、ほらね」なんて言っています。
「僕も見たよ」
さらに声があがりました。
「繁華街でね、不良グループが喧嘩を始めたことがあったんだ。十人対十人くらいで、バット振り回す大乱闘。周りが騒然としだしたら、いつの間にかコスプレした外人みたいな人が間に入ってて、あっという間に全員を戦意喪失させたんだ」頬にもお腹にも豊かなお肉を蓄えた青年は、それからちょっと首を傾げました。「確か……ええと、なんていってたっけ。メリケン・サックみたいな名前を名乗ってたよ」
すると、「ちょっと待ちなよ!」との声が、またしても大人たちの中から。今度は、威勢の良いオバサンです。
「うちの娘はね、なんとそのヒーローを呼んじまったことがあるんだよ。呼べば応えてくれるって、噂で聞いてたみたいなんだけどね。工事現場の下を歩いてたら、鉄パイプをたっくさん釣り上げてたクレーンがどうかしちゃって、全部落っこってきたらしいのよ。とっさに『助けてペリカン・ラッシュ!』って叫んだら、ハネのサングラスの人が天から降ってきて、サーッて助けてくれたそうなのよ」
「語感には同意するけど、ペリカン・ラッシュじゃなかったと思うな」
ふくよかな青年が反論すれば、さらにドヤドヤと移動してきた大人たちが口々に言い始めました。
「そうそう、確かセリヌンティウスみたいな名前だったよな」
「あ、近い気がする。ナントカ・ダッシュだったような?」
「リリアン・ダッシュ?」
「悔しいなあ、ココまで出かかってるのに」
眼鏡に少しくたびれたスーツ姿、正しくサラリーマンな男性が自分の喉を指さして唸ります。
「もー、みんなダメだなー、大人のクセに」イガグリ頭の翔くん、並み居る大人たちを見渡して腰に手を当て、大きく胸を反らしました。「スーパーヒーローの名前は、ちゃんと覚えないとダメじゃん。いい、今激アツなあのヒーローの名前は、セリアン・アッシュ! オレ、遠足のしおりにソッコーでメモったから覚えてるんだ」
「そうだ! キミ、よくやった。セリアン・アッシュだ」
「僕のメリケン・サック、やっぱ結構いい線いってたよね?」
取り囲まれた唯ちゃんが何事かと驚いているうちに、みんなの心が一つにまとまり始めたようです。スーパーヒーローの――セリアン・アッシュの存在が、あきらめきっていた大人たちのハートに、火をつけたのでしょう。
「それじゃあ、みんなで呼んでみようか」
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