第31話 イヌは裏切るか

「とにかく、人間の仕打ちに腹を立てて、制裁を加えようとしている一部のイヌ族がいたということよ」

「そんなはず、ない!」ハシバミ色の目にいっぱい涙をためて、カーラが悲鳴に近い叫び声をあげます。「イヌは裏切らない!」


 良い人間と良いイヌたちにしか接したことのない彼女にとっては、悪い人間がいるということも、それを恨む同族がいるということも、受け入れ難い事実だったのでしょう。混乱や不安、孤独といったさまざまな負の要素がたたみかけてきて、心が破裂しそうになっているのです。

 でもそんなとき、なんとかしてくれるのはこのオトコ、ガジュことセリアン・アッシュです。一触即発の状況にもかかわらず飄々とした口ぶりで、二人に頷いて見せました。


「ナルホド。きっと何か誤解があるんだナ。説得しよう!」そして、背を向けたまま後ろにいる――そうですね、堕獣天使としましょうか――そいつに語りかけます。「きっとつらい思いをしたんだろうナ。愛されると信じて命を預けたのに、たたかれたり殴られたりしたら悲しいよネ。獣天界から愛情のプレゼントを山ほど抱えて降りてきたのに、渡すこともできずにぶちまけられたら、どうしたらいいかわからなくなるよナ」


 カーラの指示を受けながら、救出した女性を圧迫止血しつつ、救急隊のところまで引き継いでくれる人を探しました。でも野次馬たちは、セリアン・アッシュとサングラス越しに目が合ったと感じると、いそいそと視線を下げ、後ずさりしてしまいます。誰も、犯人に目をつけられたくないし、人質や負傷者の命にも責任を持てないからなのでしょう。

 正直なところ人間たちの善意をあてにしていたセリアン・アッシュは、ちょっと困ってしまいました。


「確かに、ひどいことをする人間もいる。でも、そういう人間を救ってあげるのもおれたちの役目だ。平和に過ごすとみんな楽しいゾ、愛情にはそれ以上の愛でお返しするゾって、あきらめずに語りかければわかってくれると思うんだ、たぶん。だから――」

「わたしはできます。こうすることさえも」


 背後で掛け金を外すような音が連続し、続いて金属音。どよめきが怒号へと変わっていきます。


「キャシー、カーラ、何が起きている?」

「ぴぴ、ピストル向けられてるよ、ガジュー!」

「堕獣天使が複数出現し、警官隊の一部に憑依し占有。彼らは銃を抜いてアナタに狙いを定めている。安全装置は解除済みよ」


 それを裏づける絶叫も聞こえてきました。


「誰が発砲許可なんか出した! 銃を下ろせ、しまえ! 市民に銃を向けるな!」


 犯人説得用のメガホンは、今や仲間の説得に用いられています。

 セリアン・アッシュは銃撃されることこそ恐れていませんでしたが、眼前に広がる光景には危機感を覚えました。群衆です。自分が弾丸を避ければ、彼らに当たってしまうでしょう。それに、堕獣天使の狙撃の腕がどれほどのものかわからない以上、逸れた弾がこの中の誰かを餌食にする恐れがあります。弾道上に野次馬のみなさんがいる今の位置から、すぐさま移動する必要があります。でも……間に合わなかったようです。

 乾いた発砲音――それが耳に届くより早く、殺気を感知したセリアン・アッシュが叫びました。


「セイクリッド・バリアー!」


 頭上の輪っかが燦然と輝き、連動して翼も金色の光を帯び始めます。背後で銃口から次々と飛び出した弾丸が、セリアン・アッシュがいる一帯に向かって、音速以上の速さで殺到します。しかし、金の光に触れるや否や、たちどころに力を失って落下していきます。負傷した女性を地面に下ろすまで、時間にして二秒。それからセリアン・アッシュはダッシュで群衆から離れ、弾道上には自分と建物の壁しかない位置まで移動しました。その間、最初から狙いを外して野次馬を打ち抜くはずだった弾丸は、物理法則を無視して空中で急カーブし、セリアン・アッシュに吸い寄せられていきます。

 三秒より長く、しかし五秒よりは短く思える時間が経過して――連続して起こっていた発砲音が止み、バリアの放つ金色の光も収まりました。野次馬たちはすでに、我先にと逃げ出しています。負傷した女性の姿が見えなくなっていたので、あの中の誰かが保護してくれたのだとわかり、セリアン・アッシュは笑顔になりました。

 そこへ、乾燥した破裂音が遅れて一つ。セリアン・アッシュの表情が笑みのまま硬直します。衝撃があったほうへと目をやれば、案の定、左腕に穴が空いて、血が流れ出しています。銃の口径がそれほど大きくなかったためか、弾丸は貫通せず上腕骨に当たって止まっているようです。


「ガジュー! 今、治療するよー!」

「ウウ……いや待て、オマワリサンたちが来るゾ」


 野次馬たちはパニック状態ですが、警官隊も大変な有様です。集団で市民に発砲したのだから、無理もありませんね。


「堕獣天使は一匹じゃないわ。複数が同時に姿を現して警官たちに取り憑き、発砲させていた」

「今はどうなってる?」

「消えた。主犯格も含めてね」

「じゃあ、人質は……」


 野次馬たちが著しく退却したあとに、取り残されている人影が二つ。泣いているのは人質にされた女の子で、彼女に「ごめんね、なんだかわからないけど、ごめんね」と語りかけているのは――サバイバナイフを放棄した、犯人の男です。

 それに警官隊の中では、発砲した警察官を仲間の警察官が拘束するという、異例の展開が巻き起こっています。この状況を言い表すには、カオスという語を持ち出すほかなさそうです。


「あなた、今、撃たれましたよね?」


 二人組の警察官がやってきて、強ばった表情でセリアン・アッシュに尋ねました。


「うははは! スーパーヒーローも油断すると避け損なうノダ!」


 痛くないと言ったら嘘になりますが、仮にもスーパーヒーローが銃撃を受けたくらいで大騒ぎするわけにはいきません。正直なところ、痛みを一時的に吹き飛ばす謎の踊りをしたくはありましたが、ついこの間、残留思念から受けた攻撃のほうが痛かったことを思い出し、我慢します。


「動けますか?」

「動くどころか踊れるゾ!」

「わかりました、ご同行ください。病院で治療したあと、話を聞かせてもらいます」


 警察官の言葉は淡々としていましたが、その中にも有無を言わせない何かがありました。

 ベテランスーパーヒーローであれば、ここで煙幕なり閃光弾なりを使って行方をくらますのがセオリーなのでしょうが、セリアン・アッシュは駆け出しで半人前です。だからつい「マカセロ!」なんて得意げにうなずき、警察官二人に両側から腕をホールドされつつ連行される羽目になってしまうのでした。

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