第21話 獣天使のお買い物

 そう言って、一行の先頭に立ちました。先ほどチャチャが発見したという、あのスーパーです。たしかにあそこなら、大抵の物はそろっているでしょうし、何か食べさせてくれるところがあるかもしれません。

 ガジュは歓声を上げ、カーラも目を輝かせましたが、キャシーの表情だけは硬いままです。


「大変なのよ、お金は」

「ああ、そうか。人間の世界は、フィリアじゃ買い物できないもんナ」

「わふー、どうしよう。あたしたち、お金は一円も持ってないよねー」

「そうでもないわ」キャシーは、さらなる否定でみんなを翻弄します。「今回の『毛玉戦隊セリアンズ』作戦は、人間と直に触れ合うことが前提になっているのは知ってるわよね?」


 ガジュとカーラは仲良くそろってうなずきました。


「当然、こういう状況――つまり、人間世界の通貨が必要になることも想定していたわ。だから、お金は出せる」

「出せる……って言い方、何かオカシクないか?」

「変じゃないわ。何らかの理由で消失してしまったお金の金額は把握ずみ。その分のお金を新たに作り出すなんて、ワタシたちネコ族には造作もないこと」

「ええっ! それってまさか、ニセ札作りなんじゃないのー?」


 キャシーは金色の髪を震わせるカーラに、鋭いまなざしを向けます。


「人聞きの悪いこと言わないでちょうだい。ワタシたち獣天使には、ミツカイたちから人間界の守護に必要な資金の提供を受けているの。どこからともなく架空のお金を作り出すわけじゃないのよ」


 そして、腰のポーチからアドベントベルを――特別仕様でしょうか、ガジュやカーラの物より厚みがあります――取り出し、目にも止まらぬ速さで操作し始めます。手を止めると、画面をガジュへと向けました。


「両手を合わせなさい」

「む、こうか?」


 サラリーマン風ガジュが言われるまま、ちょうど「いただきます」をするようなポーズを取ると……その手と手に挟まるようにして、突然千円札が現れたではありませんか。


「スゲーな子猫ちゃん!」しわ一つないピン札を振ったり透かしたりしながら、はしゃいだ声を上げるガジュ。「拝むとオカネが出てくるのか」

「違うに決まってるでしょ。ここ外だから、風で飛んでったら面倒だと思ったのよ」


 と、どこまでも現実的なキャシーです。そんな彼女に率いられ、二匹はスーパーの正面口にある自動ドアの前に立ちました。


「さあ、進みなさい」

「ムム、今度はおれが先頭か?」


 このまま食べ物のありかまで連れて行ってもらえると思いこんでいたガジュは、隊列を入れ替えて先頭に立ったとき、初めてその理由がわかりました。彼が一歩踏み出したとたん、自動ドアが開いたのです。


 さて、スーパーの中というのは、私たち人間にとってはとてもなじみ深い日常です。しかし、獣天使たちのほとんどにとっては、未知の世界。盲導犬歴のあるイヌ族に、たまに話を聞く機会があるかどうかといったところ。ですから、店内に入った三匹が一様に驚かされたのは当然なのです。


「すごーい! いろんな匂いがするよー!」

「人がいっぱいだナ! みんななんだか楽しそうだ、きっと食べ物があるからに違いない!」


 サラリーマン……と言い切るにはいささか無理のある風体の青年が、入り口で一人、はしゃいでいるので、買い物客が訝しげな視線を送ってきます。百歩譲ってサラリーマンだとしても、開店直後といっていい時間帯にスーパーにいるのは、なんとなく不自然だからでしょうか。理由をつけるとしたら――そう、朝イチの営業に向かう道すがら、封筒やクリップなどを忘れて調達に来た……そんなシナリオが想定されるでしょう。

 いずれにしても、ただでさえ目立つのだから、おとなしくしていなければなりませんよね。


「あそこに案内板があるわ」

「おお、さすがだナ、キャシー」


 何がどうさすがなのかはさておき、ガジュはキャシーがとがったアゴで示したパネルの前へ行って、しげしげと眺めました。

 ここでも、獣天使における言語の理解が役立ちます。ガジュは正確にいうと文字が読めませんが、書かれている内容は理解できるのです――それが何語で記されていたとしても。このままサラリーマンの姿で外資系の企業に勤めれば、かなり重宝されそうですよね。でも、彼は企業戦士ではなく、愛の戦士なのです。


「ヨシ、六階に行こう」


 キャシーとカーラにだけ聞こえる程度の声で囁き、ガジュが向かったのはエスカレーターです。

 階段に似た見た目から、移動ツールであることはすぐにピンと来ました。買い物客が特にパスなどの提示もしないまま利用していることから、自由に使って良い物だとも判断できました。

 だからガジュは、自信満々にエスカレーターに飛び乗ったわけですが……。


「ふぅぉぉおお?」


 素っ頓狂な声を上げ、人として有り得ないほど盛大に仰け反り、大変に注目を集めてしまいました。フェレットとして柔軟な背骨の使い方をマスターしていなければ、そのまま後ろへひっくり返っていたかもしれません。


 みなさんは、節電や故障などの理由で動いていないエスカレーターを利用したことがありませんか? 止まっている――頭ではそう理解しつつ足を乗せても、体は「動いているエスカレーター」に慣れているので、つんのめるような違和感を覚えがちです。ガジュの場合は、この逆のことが起こりました。

 動いている――そう理解しつつ乗ったはずなのですが、動く床などという奇妙な物は、自然界に存在しません。体重の移動がうまくいかず、まさに足下をすくわれたような状況が発生してしまったのですね。


 けれども、ガジュはどうにかこうにか、このマシンを乗りこなしました。後ろに続く人が、彼から段数にして四段、間隔を空けていたのは気にしないことにしましょう。

 ガジュは六階に着くまで、エスカレーターに乗るたび毎度、変な声を上げて仰け反っていました。


 さて、その六階。ペット用品売場です。午前中ということもあって、買い物客はまばらです。お店の人は「いらっしゃいませー」と声をかけてくれましたが、その客というのが、いかにもペット用品とは無関係そうな三つ揃いの男です。おまけに髪はグレーで逆立っているし、サングラスだし……「いったい何を買うのだろう」という心中が、ありありと察せられるまなざしを向けられるのは当然でしょう。


 ガジュがカウンターの前を通りすぎようとしたとき、小さな声に呼び止められました。


「あれ、おまえ獣天使じゃね?」

「ウム、そのとおり!」


 自信満々に振り返りました。そこにいたのは、店員さん……ではありません。金魚や昆虫の飼育でおなじみのプラスチックケースの中、パインチップの小山から頭をのぞかせているのは、一匹のジャンガリアンハムスターです。


「なんでそんな格好してんだ?」

「ナゾの任務だ」


 ガジュはたぶん、秘密任務と言いたかったようですが、特に不都合もなく会話は続きます。


「そうか、頑張れよ!」

「アリガトー! そっちはソウルマスター待ちか?」

「いんや。新たな出会いを求めてるんだ」

「ホホウ。手応えはどんな感じだ?」

「アリ、だな。ここ三日、毎日オレを見にくる小学生の兄弟がいるんだ。あとはもう、時間の問題だな」

「そうか、楽しみだナ! ところで、フェレットのエサってどこにあるか知ってる?」

「ああ、あの」と、小さな小さな鼻で、店の奥を示して見せます。「赤いキャリーバッグの前の棚だ」

「おお、感謝! いいマスターと会えるのを祈ってるゾ! 愛の名の下に!」

「愛の名の下に!」


 ……そんな具合に、任務で降臨した獣天使と、地上勤務中の獣天使による定番の会話を経て、ガジュはエサのありかへと向かいました。

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