第20話 見かけは人間、中身はフェレット

 カーラとチャチャが、大合唱しながら急降下し、追いすがろうとします。地上のキャシーは予想外の出来事を受け、アーモンド形の目を大きく見開いたまま固まってしまっています。


 ガジュは塔の半分まで落ちたところで体をひねり、翼を大きく広げました。そのとたん落下が止まり、サングラスをかけた頭を上にしてやや浮き上がりながら、やがて空中を緩やかに滑り始めました。

 紙飛行機が飛ぶ様子によく似ています。速さはないし、安定しているとは言えませんが、地上すれすれまで下降してからフワリと浮き上がり、教会の屋根に戻ることはできました。


「上出来だナ!」


 一日ぶりに飛行――いいえ、空中散歩を楽しんだガジュは、やや呆気にとられた表情で空中にたたずむカーラとチャチャへ、満足げに微笑んで見せます。

 高いところから落っこちても死にはしないことがわかりましたが、この先スーパーヒーローとして邪悪な残留思念や未知の敵と戦わなければならない立場です。手放しで喜んでいる場合ではないと思うのですが……ガジュはもう、セリアン・アッシュとして活躍する気満々みたいですね。


 五分は経っていないけれど三分くらいは過ぎた頃。チャチャにお礼を言って別れたガジュたちは、唯ちゃん――成田家へと戻ってきました。ガジュは昨日、寝ながら聞き込みをすることを思いついたのです。従来のようにフェレットや獣天使の姿ではままなりませんでしたが、セリアンズとしてであればできない相談ではありません。人間が活発に活動する時間帯である割には人通りがそれほどでないのが、やや気がかりですが、ガジュはセリアンカラーの新たな力を試すことにしました。


「セリアン・チェーンジ!」獣天使姿のガジュが華麗なバク転を決め、さらに叫びます。「愛のサラリーマン!」


 ……どうか突っ込まないであげてください。ええ、とても恥ずかしいセリフですね。こんなことを躊躇なくできるのは、獣天界広しといえどもガジュくらいです。そういう意味でも、彼は毛玉戦隊セリアンズに高い適性があったといえるかもしれません。

 ――本当をいうと、いくらでもまともな変身方法は設定できたのですが、お察しのとおりキャシーの私情が少なからず入っています。

 とにかく、そこに現れたのは、グレーの逆立った頭にサングラスをかけ、ピンストライプの三つ揃えを着て革鞄を持った男でした。


「おお! これで堂々と聞き込みができるナ!」

「ちょっと、馬鹿みたいだから跳ねないで」


 ピカピカの革靴でびょんびょん跳ね回っているガジュに、すかさず鋭い声が飛びます。確かに、そんなアクションをする人間は、小学生くらいしかいないでしょう。二十歳やそこらに見える青年の振る舞いとしては、あまりふさわしくありません。


「おう、ワカッタ。でもナ、人間に話しかけられるんだゾ! これが興奮しないでいられるかヨー」

「うわあ、いいなー。あたしも人間とお話したいー」


 ハシバミ色の目を輝かせて、カーラはガジュに拍手しています。それもそのはず。人間と動物は、言葉が通じません。動物は人間の言葉を理解できているのですが、どうやら人間は動物の言葉が聞こえないようなのです。

 こうなったのはおそらく、言語を持ってしまったからだというのは、獣天使長アドの談。動物は物事の意味そのものを、生のデータのままやり取りするので、思ったことがそのまま相手に伝わります。ですから、たとえばイヌとカエルでも話せるし、出会うことさえあればスズメとクジラだって話せます。また、日本人に飼われていたイヌの飼い主が何らかの理由でフィンランド人に変わっても、言葉の壁を感じることはありません。


 けれども人間は自分の気持ちを、なぜかそれぞれの国の言語形式に変換してやり取りしますよね。思ったことをまず言語にコード化して発信し、受診した相手はそれをデコードして意味を理解する――という、気が狂いそうなほどまどろっこしいコミュニケーションです。

 さらに手間ばかりではなく、言語のやり取りには致命的な欠点があります。それは、相手が別の言語形式にしか対応していない場合、意思の疎通ができないということ。当然、生データ形式にも対応していませんから、動物との意思疎通もできないのでしょう。


 そんなわけで、人間と直接話をするというのは、動物たち――特に獣天使たちにとっては、まさに夢のようなことなんですね。


「くれぐれも自然にね。獣天使だってこと、絶対にバレないように。頼むわよ」

「マカセロ!」


 スーツ姿のガジュは、張り切って住宅地を歩き始めました。キャシーとカーラは人間の目に見えないので、そのまま後ろからついていきます。

 最初に、小さな男の子を抱いた若いお母さんらしき人が前からやってきました。もちろんガジュは、狙いを定めます。そして、互いの距離が十歩ほどまで縮まったところで、


「コンニチハー!」


 片手を上げて、元気よく言いました。しかし……若いお母さんは顔をうつむけ、子供を庇うように抱き込みながら、足早にすれ違って行ってしまいます。ガジュは笑顔で手を上げたまま、それを見送りました。

 さあ、気を取り直して次です。今度は、帽子をかぶって散歩中らしいお爺さんが角を曲がって来ました。チャンスです。


「コンニチハ!」

 先ほどと同様、手を上げて元気にご挨拶。でも……お爺さんは顔を前に向けたまま、目だけをわずかにガジュへと向けて、また戻しました。どうやら、聞こえなかったことを装いたいようです。そして、そのまま無言で通りすぎていきました。


「アレー?」


 ガジュは首をひねりながら、後ろの仲間たちに振り向きました。カーラは眉を「ハ」の字にしています。キャシーもあごに指を当てて「おかしいわね」なんて言っています。都会の人がシャイだというのは知識として知っていた獣天使たちでしたが、ここまでとは思っていませんでした。

 でも、ガジュは気楽なものです。もう何人かに話しかければ、誰かしら答えてくれると信じていましたから。


「コンニチハー!」


 今度は、おめかししたオバサンに挑戦です。オバサンは少しだけガジュのほうを見て、困ったような笑みを浮かべました。


「こ、こんにちは……」とても小さな声でそう返してくれたのですが、「ごめんなさいね、ちょっと急いでいるので……」


 そのまま歩調を速めて行ってしまいました。おしい線までいけましたが、残念です。

 この辺りで種明かしをしましょうか。おそらくお気づきのことでしょう。愛想よくしているにもかかわらず人間たちが逃げてしまうのは、ガジュの格好に問題がありました。

 キャシーはサラリーマンの格好を設定したつもりでしたが、少々リサーチ不足だったといえます。グレーの髪はいいとしても、サングラスにピンストライプの三つ揃えだなんて、ちょっと堅気の人には見えません。もしも肩に純白のマフラーをかけたなら……また違った味わいが出てくるでしょうね。


「コンニチハー!」


 懲りずにガジュは、白い杖をついたオジサンに声をかけます。


「どうも、こんにちは」


 今度は気持ちの良い挨拶が反ってきました。ガジュはますます笑顔になり、後ろのカーラとキャシーは思わずハイタッチします。もちろんキャシーはすぐ後に「しまった」という顔をしましたが。


「スミマセン、ちょっと聞きたいんですが、教会の奥の火事になった家、ものすごい燃えていましたよネー?消防車はこなかったんデスカ?」

「ああ、成田さんちだね」笑顔のオジサンは、そう言いながら悲しげな顔になりました。「おかしなこともあるものでね、昨日、各地でほとんど同時に火事や事故が起こったんだ。それで、緊急車両が足りなくなってしまったんだよ。一軒家はまだよかった。集合住宅はね、火を出していない家まで延焼して、大勢の人が亡くなったよ」

「各地で同時に……それは、連続放火事件なんデスカ?」

「火事だけならそうなんだろうけど、事故と神隠しもだよ。あっちこっちで無人の車が暴走したんだそうだ。運転手が忽然と消え失せたらしいんだけど、そんなことがあるのかねえ」


 カーラとキャシーが顔を見合わせて叫びます。


「つながった!」


 ようやく一歩進展です。とはいえ、これまでの残留思念がらみの事件とは様子が違うという以外、明らかな情報は一つもないのですが。


「ナルホド、そうだったのか! オジサン、どうもアリガトー!」

「いやいや、いいんだよ。なんだか物騒だから、あんたも気をつけなさいよ」

「ワカッタ、気をつけるゾ!」


 有力な情報が集まったら、次に行なうべきは会議です。三匹の知恵を集めて謎を解き、対策を練る必要があります。キャシーが、どこか落ち着ける場所を探そうと提案しましたが、ガジュはこう返しました。


「おなか減った!」


 そう、キャシーもカーラも、昨日の夜も今朝も、獣天界でおいしいごはんを楽しみました。けれども飛べなくなってしまったガジュは、二食とも食いはぐれたまま。そろそろ空腹も限界です。

 さすがのキャシーも、ガジュがいささか不憫になってきたようです。


「大型スーパーに行くわよ」

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