第35話 モンロー眼鏡のその奥で

「なあ、カーラがいないんだけど、知らない?」

「獣天使長も、とんだ人選ミスをしたものね」


 質問には答えず、美しいハイブリッドは、顔をゆっくり前へと戻します。それはどこか名残惜しそうにも見えました。それもそのはずで、キャシーはもう二度と、この軽くてお調子者のガジュを顧みることはないと考えていたのです。


 その正面の床――なにもないように見えますが――から、ガラス板のような物がせり上がってきました。高さは、しゃなりと座ったキャシーの、ほぼ二倍。横幅はその半分程度。厚みはあまりなくて、ドミノのような案配です。


「計画と違った展開になるのはなぜか?」


 澄んでいて、でも無機質な声がしました。ガジュの耳が間違っていなかれば、例のガラス板から。その、見えない箱に詰め込まれたイタチが、びっくりして狭い中でびょんびょん跳ねていますが、ネコは動じません。あいかわらずのバックシャンです。


「ワタシにとっても予想外。まさか地上で死に損なってる下級のミツカイが、よけいなお節介をしてくれるとはね」

「さらなる情報を求む」

「詳しくは知らないわよ。見た限り、人間の発する指定性生存願望信号を受信すると、無条件で発信源へ転送されるみたい。アナタ方が後から採集した人間の中に、アイツのことを知ってるヤツが多かったんでしょ」

「確率の話であれば、低い」


 キャシーは、いらだたしげにしっぽを振ります。


「サンプル採集は無作為にすればいいのに、遺伝子株単位なんかでやるからでしょ。アナタ方と違って、肉体と精神のある生物は、家族になんでもベラベラ話すものなのよ。情報の共有ってやつね」

「脅威は除外されたか」

「もともとこんなの、脅威でもなんでもないわ。制約のおかげで、パワーアップといっても、ほぼ生身と変わらない程度だし」

「セカンド・ガーディアンの介入は?」

「ないわ。これが奥の手だもの、笑っちゃうでしょう」


 キャシーはのどの奥で笑いました。彼女はもともと、少し冷ややかな印象の持ち主でしたが、今までに聞いたことがないほどに冷たい笑いでした。


「じゃ、あとは任せたわよ。ワタシ、アホのお守りで疲れたの、一人にしてくれる」

「了解した」


 抑揚のない声がそう答えると、ガラス板は出てきたとき同様に、音もなく床に吸い込まれていきます。再び、宇宙空間に放り出されただけのような、あっさりしすぎの情景が戻ってきました。

 ガジュが見ている前で、キャシーがつと立ち上がって、そのまま前へ――なにせ壁も床も見えないのでどちらが前かは永遠の謎ですが、要はガラスとは反対方向に――歩き去ろうとしています。


「オーイ、キャシー。ドコ行くんだ?」


 いつもと変わらない調子でガジュが声をかけても、振り返りません。


「キャシー、キャシー、子猫ちゃーん」


 最後の呼びかけに、お澄ましネコちゃんは驚異的な反応速度で振り返りました。宇宙の闇の中で、輝くグリーンの双眸が残像を引いたようにさえ見えたくらいです。


「だーれが子猫ちゃんかしら? タヌキのなり損ないみたいな分際で」

「おっ、やっとコッチ向いてくれたナ!」


 ひどいいわれようですが、ガジュは黒々とした目を輝かせ、とてもうれしそうです。見えない檻の中で変な体勢を強いられたまま、朗らかに続けます。


「変な板がなくなったところで、お話ししようゼ」

「はぁ? アナタ自分の立場わかってる?」

「んー、ナンダロ。『一番狭いトコロに入れたヤツが偉い選手権』に、チョット似てるネ」

「いい? アナタはワタシに裏切られて、捕らえられたの。そこでおとなしく、人間が収穫されるのを眺めていなさい」

「ウッソだー」逆さまになったままケタケタと笑い「おまえ、裏切りなんかできるキャラじゃないダロ」

「キャラは関係ない……というより、アナタに味方したことのほうが少なかったと思うけれど」

「おれは騙されないゾ。裏切りっていうのはナ、なんかよっぽどヒドい目に遭ったヤツしかしないんだヨ。それとも……っと」ここでガジュ、強引に頭の位置を戻してキャシーに向き直ります。「キャシーはなんか、ヒドいコトされたのか?」


 きれいなグリーンの目が揺らめきます。エジプトあたりにある像のように威厳のある美しい顔に、迷いとも困惑ともつかない色が浮かびました。それからしばらくして、キャシーはゆっくりとガジュに視線を戻します。まるで、獲物を見るような目つきです。


「どうせアナタもワタシももう終わりだし、教えてあげる。ええ、酷い目に遭ったわよ。地上に生まれて、しばらくはママときょうだいたちと楽しく過ごしたわ。でもある日を境に、きょうだいたちが一匹また一匹と減っていったの。きっと、里親を募集していたのね」


 そういえばガジュは、キャシーの地上勤務について、今まで聞いたことがなかったと気づきました。大抵の獣天使はソウルマスターがご自慢で、聞いていなくてもしゃべりたがるものなんですよね。


「ワタシもある日、貰われていったわ。そこでは小さい鳥かごに入れられて、爪を抜かれ、脚やしっぽを切られ、さ……最後には、ひ、火っ――」

「キャシー、オイデ」


 やさしげな声に顔を上げると、視界がぼやけてなにも見えません。でも必死で目をしばたいて、大きく深呼吸し、息を止め、平静を装う努力をしました。にらみつける感じで目に力をいれることしばし……ハレーションを起こしたような世界の中で、やっぱりどう見てもおかしな格好のガジュがどうにか頑張って、たぶん、両腕を広げています。正直なところ、どこからが胴体でどれが腕なのか判然としませんが、ピンク色の手のひらが二つ、キャシーのほうを向いていたのです。


「ナデナデしてあげるヨ」

「は?」

「子猫ちゃんで人生を強制終了されたっきりなら、ナデナデされた記憶、あんまないダロ? だからおれが教えてあげるヨ」

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