第26話 ミツカイの奇跡

「わたし、もうすぐ死ぬの」

「ええっ! そんな……」


 子供が大好きなゴールデンレトリバーのカーラが目をうるませながら口を開きかけましたが、それは雪子ちゃん本人に遮られました。


「違うの。ミツカイは人間じゃないから、人間として生まれること自体、いろいろ無理があるのよ。何年か前に亡くなった世界的な大スターがいたでしょ。その方は高位のミツカイだから大人になるまで生きられたのだけれど、わたしはあまり位が高くないから」


 それから目を大きく開けて口元に手をやり、はっとした表情を見せてから、また無表情になって続けました。


「脱線した。とにかく、人間として生まれたミツカイは死ぬ前に一度だけ、奇跡を起こせるの。どういう奇跡を起こすかまだ決めていないけれど、あなたたちに協力してもいい」

「おおっ! それなら――」

「言ったはず、わたしはそんなに位の高いミツカイではないと。さっき話した高位のミツカイみたいに、何億という人間たちに愛というものを思い出させるなんてことはできない。せいぜい……」と、ガジュを見つめて、「あなたに何か一つ力を与えてあげるくらい。ところであなた、普通の獣天使とは違うね。新しいスタイル?」

「よくぞ聞いてくれた! 何を隠そう、おれはスーパーヒーローで――」


 サングラスの奥で丸い目を輝かせながら、ガジュはみずからに課せられた使命についてとうとうと語りました。途中、専門的な部分はキャシーが補足してくれます。

 それを聞いて、雪子ちゃんはうなずきました。


「なるほど、物理的なアプローチでも人間を助けようとするのね。本当にあなたたち獣天使は、どこまで人間に甘いんだか」

「うへへ」

「別に、褒めてない。でも、わかった。それならもっと人間を助けられる力をあげる」


 それは一体どんな力だろうと、ガジュは首をかしげました。サングラスでジャージ姿のままの青年がするには、あまりふさわしくないしぐさでしたが、そのおかげで少し――ほんの少しですが、雪子ちゃんが笑ってくれたのですから、よしとしましょう。


「お待ちください」鋭く割り込んだのは、キャシーの固い声です。「今回のワタシたちの作戦は、あくまで試験的なものにすぎません。成功するか失敗に終わるか、まったくの未知数です。そんなもののために、貴重なお力を使っていただくわけには参りません」

「正直わたしも、すがれる『ワラ』を探していたの。大いなるミツカイに憧れて人間になってみたはいいけれど、まだ何もしないうちに余命宣告されて、とっておきの力を使うあてもなくて……。だから、あなたたちが現れてくれて、感謝してる」

「ミツカイ様……」


 少し隈の浮いた儚げな顔に微笑まれて、さしものキャシーも、さらに言い募ることはできませんでした。


「その前にお願いがあるの。あなたたち、獣天使でしょ。動物のほうの姿になって見せて」


 ガジュが破顔して「お安いご用だ」と言おうとするのを、キャシーが阻みました。


「ですがミツカイ様、さすがに病院で動物はよろしくないかと……」

「動物といっても、獣天使じゃない。生身の人間よりよっぽど清潔よ」

「そうですけれど、もしも医師や看護師に見られたら……」

「見られるとしたら、『体育の先生』だけ。人が来たらベッドの下に隠れればいいわ。足音くらい、遠くからでも聞こえるでしょ」


 そこまで言われては、キャシーにも反論の余地はありません。カーラが、キャシーが、空中に舞い上がって宙返り。それぞれ翼の生えたゴールデンレトリバーとロシアンブルーハイブリッドの姿になります。

 ガジュの場合は少し大変でした。なにせそこには生身の成人男性が宙返りできるほどのスペースがなかったので、ベッドにダイブするような姿勢で飛び上がり、布団の上にフェレットの姿で着地する按配になったのです。


「カワイイ! 動物っていいね。もっと近くに来て」


 小さい子があんな顔をできるのかと思うほど無表情だった雪子ちゃんは、もういません。そこにいるのは、歳相応の弾けるような笑みの女の子。キャシーの両前足を握っては、肉球の感触を楽しみつつ、爪が出たり引っ込んだりするのを興味深げに見ます。カーラは顔が変形するほどゴシゴシと撫でられましたが、嬉しそうにしています。次に雪子ちゃんガジュを見て、


「あなた、ずいぶん長いネズミね」


 と無邪気に言いました。

 さすがのガジュも、口を半開きにしたまま固まっています。その口から覗いているのはもちろん、肉食獣の証である鋭い牙です。ネズミ族特有の頑丈な前歯はありません。


「おれ、ネズミ族じゃないヨ」

「そうなの? すごく長いから変だとは思ったけど」

「おれはイタチ族のフェレットだヨ」

「ペレット?」

「フ。フェレット」

「ふーん。知らない」


 そう言いながらもガジュに手を伸ばし、頭を撫ぜたり前足をつまんだりと忙しい雪子ちゃん。


「でも、フワフワしているし、ニョロニョロしてて変だし、いいと思う」

「そうか? おれ、あんまり毛並みがいいほうじゃないんだ、ゴメンネ」


 タヌキのようなくまどりの中にある、碁石のように真っ黒な目で雪子ちゃんを見つめます。そのくまどりも、笑みの形に持ち上がった口角も、あの体育教師の姿に名残があったのが思い起こされて、雪子ちゃんは思わず笑ってしまいました。


「だからあなた、サングラスだったのね」

「ソウダヨ! おれのトレードマークなんだ」


 得意気に言うガジュの口からは牙がはみ出していますが、雪子ちゃんにはそれがさらに親しみやすく感じられました。


「動物に触ったの、初めて。小さいころから体が弱かったから、絶対に触っちゃダメって言われてて。天界でも動物が見られることは見られるけど……ライオンとかワシとか、すごいのばっかりだし」


 楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。ガジュたちがお見舞いに来て十分が経とうとしています。看護婦さんに釘を刺されているので、そろそろお別れしなければなりません。

 キャシーに促されて、ガジュがお暇を切り出しました。


「それじゃ、おれたちはソロソロ」

「ありがとう、楽しかった。お礼にガジュ、あなたには特別な力を与えておいたからね。スーパーヒーローにぴったりの、助けを求める声のするところへ移動できる力」

「ソレって……どういうコトかな?」


 ヒゲをうごめかして少し考えてみたようですが、どうもピンと来なかったようです。長い首を九〇度にかしげて、ミツカイにうかがいます。


「あなたを知っている人がピンチに陥ったとき、あなたを思い浮かべて『助けて!』って念じるとするわね。そうするとガジュ、あなたはその人の所へ一瞬で移動できる」

「じゃあ、もしおれのコトを知らなかったら?」

「助けを呼びようがないから、行けない。だからまず、スーパーヒーローとして有名にならないとダメ」


 新米ヒーローに、最初の試練が言い渡されました。困っている人をたくさん助けてセリアン・アッシュの名前を知ってもらえば、それが噂となって広がり、今回の事件――連続消失事件とでも言いましょうか――の起こるその瞬間に駆けつけられるかもしれませんよね。

 そう、地道な努力の積み重ねこそが、解決の糸口へとつながるものなのです。


「ヨシ! 人助けしまくって、まずは一人前のスーパーヒーローになるヨ!」


 ガジュは叫んで床に飛び降り、困っている人を探しにすっ飛んで行こうとします。けれども、雪子ちゃんは落ち着き払った声を、ガジュのくるりと丸まった背中にかけました。


「行く前に、ナースステーションに体育教師として挨拶していって。そうしないと、学校に連絡が行って、本当の体育の先生が叱られちゃう」

「ワカッタ!」


 そして、バク転からのセリアンチェンジです。病室には再び、水色ジャージ姿の男が現れました。キャシーとカーラも、何となく一緒に天使形態に戻ります。


「じゃあ、またネ!」

「次は」無表情に戻ってしまった雪子ちゃんが、聞こえるか聞こえないかの声で囁きました。「次に会うとしたら、わたしはきっと天界に戻って、ミツカイの姿ね。今のわたしなんかより、ずっと美人なの。髪も長いし。だから、わたしからみんなに会いに行っていい?」

「なに言ってるんだ? 今の雪子ちゃんも、すごくすごーく美人さんだゾ」


 体育の先生が、生徒の頭をナデナデ。心温まる微笑ましい光景です。


「そうだ! 次は鳥系の友だちを連れてお見舞いに行くヨ。触り心地満点なウサギ族もイイナ。だから、元気でネ!」

「……わかった」


 雪子ちゃんが頷き、表情こそ硬いものの手を振ってくれたので、三匹は手を振り返して病室を後にしました。

 そのまま、何事もなかったかのような顔でナースステーションへ。先ほど対応してくれた看護婦さんに「ドーモ!」と声をかけて通過します。大丈夫、不審には思われていないようですね。

 そして獣天使一行は何食わぬ顔で病院を後にしました。

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