第25話 小さなミツカイ

 体育教師ガジュは、「雪子ちゃん」と口の中でつぶやいてから、ナースステーションのカウンターに手をかけました。


「コンニチハ。大柴雪子ちゃんのお見舞いに来マシター」


 カウンターの向こうに座って書き物をしていた看護婦さんが顔を上げます。そしてお約束といいますか……ガジュの怪しげな風体を目にして明らかに一瞬、顔をこわばらせました。けれども前回のサラリーマンとは違い、もしかするとこういう体育教師がいるかもしれないとも思わせることに成功したようです。ですが彼の幸運はここまで。


「ご家族の方ではありませんよね。雪子ちゃんは一般の方が面会できる状態ではないので、お花とご伝言をお預かりしますよ」

「そうなのかー」


 こう言われてしまうと引き下がるしかありません。ガジュは見かけは少しアレですが、無理を言ったり力尽くでどうこうしようとしたりすることができない獣天使です。素早く左右のキャシーとカーラに目配せし、とりあえずは退散するしかないと伝えます。

 カーラはこの事態を乗り切る手段など思いつきませんし、キャシーに至ってもお手上げなので、「しかたないわね」と頷きかけたときです。


「田中さん、待って。今、雪子ちゃんからナースコールが入ったんだけど」

「えっ!」ガジュの相手をしていた看護婦さんが、弾かれたように立ち上がりました。「まさか、容態が……」

「違うの。そちらの方、学校の体育の先生なんですって。だから会わせてほしいって言ってる」

「なるほど、体育の」


 看護婦さんにまじまじと見つめられ、ガジュはニコリとします。


「それなら、会ってあげてください。でも、無理はさせないで、あまり長時間にならないように」

「ワカッタ」


 花束をつかんだまま両手を腰に当て大きく頷くと、看護婦さんも安心してくれたのでしょうか。「右手が小児病棟です。二〇二号室、すぐのところですよ」と教えてくれました。

 もちろん三人は、言われた病室に向かいます。ナースステーションからすぐのところでした。ドアはなくてカーテンがかかっているだけなので、それをくぐって二〇二号室に入ります。テーブルセットが一つ置いてある談話室の先が、さらにカーテンで仕切られたベッドになっていました。


 小児病棟というからには子供たちのはしゃぎ声が聞こえてくるのかと思いきや、そうではなく――全員が寝静まっているかのように、物音一つしません。さてどのベッドだろうとガジュが6つのカーテンを見比べていると、小さな声がしました。


「先生、こっち」


 聞いたのが人間だったら、正確な位置はわからなかったかもしれません。でもガジュには、一番奥の左手にあるカーテンから発せられたものだとすぐにわかりました。


「入るヨ」

「どうぞ」


 ガジュはなるべく音を立てないようにカーテンをスライドさせ、ベッドの住人と対面しました。枕に背中を預けて体を起こしている、毛糸で編んだ帽子をかぶった小さな女の子です。

 カーラは、ひーちゃんと同い年くらいかな、と思いました。


「お見舞いありがとう」


 白い顔でガジュを見上げてから、その左、そして右にも視線をなげかけます。雪子ちゃんには、キャシーとカーラが見えているようですね。


「オハナ」


 握ったまますっかり忘れていた花束を差し出すと、雪子ちゃんはサイドテーブルに目をやりました。そこに置けということでしょう。


「ああいったけど、全然体育の先生に見えない」

「うへへ、そうカナ?」

「うん。だって顔立ちが日本人じゃないし。英会話の先生のほうがよかったかもね」


 そう言って、雪子ちゃんはちょっと勝ち誇ったように微笑みました。


「それで、何の用?」

「エート、きみはミツカイなんだよネ?」

「あなたが獣天使なら、そうなんじゃない」


 ガジュが「おおっ!」なんて思いつつ隣のキャシーを見ると、かなり据わった目でボソリと返されました。


「当たり前のこと言ってないで、手短にご用件をお話しなさいよ」

「ああ、ソウカ」言われて雪子ちゃんに向き直ります。「今、地上に何だか良くないコトが起きてるんだ。テンチョー知ってる?」

「獣天使長さんのこと? お会いしたことはないけど、知ってる」

「そか。テンチョーが異変に気づいて、おれたちが調べて、やっぱり妙なコトになってるのがわかったんだ。あっちこっちに同時に神隠しが起こったらしいゾ。運転中の人とか料理中の人まで急に消えたから、二次災害の火事や事故が起こりまくってる」


 雪子ちゃんは、黙って聞いていました。まだ十歳に満たないはずなのに、気圧されるほどの強いまなざしが、ガジュのサングラスを貫くように感じられます。

 謎の沈黙が続きます。耐えかねたように口を開いたのは、キャシーでした。


「ミツカイ様、人間たちは恐ろしいことが起こりつつあることに気づいていないようです。それどころか、神隠しを『事故や火事を起こした責任を放棄するための逃亡』だと決めつけています」

「それはいつものこと。わたしたちミツカイは、あなたたち獣天使とは違うものと戦っていたの。そいつはとても狡猾で、人間に直接手を下すことはほとんどしない。でも、人間に『愛されていること』を忘れさせ、『恐れるべきもの』があることを忘れさせることには熱心だった。だから今の人間の多くは愛の奇跡を信じないし、科学で解明できない脅威の存在を信じていない」

「ですが、これだけの数の神隠しが同時に起きるなんて、そのほうがよほど非科学的ではありませんか?」

「それこそが」強い目が、今度はキャシーを見つめます。「悪の仕業なの。何万人という人が同時に消えさっても、そんなことができる存在があるはずないと思い込む。だから、それぞれ別の失踪・逃亡事件が同時に起きただけの偶然だと決めつける」

「おれたちは、どうすればいいんだ?」


 そう問うと、幼い少女は沈黙しました。自分よりもはるかに小さく、頼りなげで、現に病魔に冒されているか弱い存在なはずなのに、ガジュは彼女に強さを感じました。だから、さらに言葉を続けることができなかったのです。

 結局沈黙を破ったのば、雪子ちゃんでした。


「わたし、もうすぐ死ぬの」

「ええっ! そんな……」

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