第37話 愛の詩

「そうそう。子猫ちゃんはキレーな声してるんだから、自信持てヨ」


 大きな手のひらが顔全体を包み込んで、柔らかくもみほぐします。普段なら、髭に触れた相手には相応の報いを受けてもらうところですが、不思議と今はそんな気が起こりません。


「おれたち獣天使は、愛の名の下に、人間へ愛の詩を送る。んー、習ったコトくらいはあるダロ?」ガジュは、キャシーのいつもより丸く大きな瞳をのぞき込みながら、のどの調子を整え、口ずさみ始めました。「なにもなくても、愛をあげるよ。そう決めたから、きみを選んだんだよ。でももしもくれるなら、もらったぶんの何倍も返してあげられる。ほんとだよ。きみの平安を、いつも願うよ。きみの笑顔を、いつも祈るよ。きみが幸せなら、おれも幸せなんだよ。ほんとだよ」


 そこでちょっと歌うのをやめて、キャシーの両前脚の下に手をくぐらせて体を持ち上げます。今は人間の半分くらいはある大猫ですが、重くはないようです。

 普通のロシアンブルーにはないハイブリッドの証、真っ白なお腹が露わになっても、彼女は抵抗しませんでした。


「ここから先は、種族ごとでチガウんだヨ。おれはネコ族の詩は知らない。だからイタチ族ので我慢してくれナ」


 キャシーは黙ってうなずきます。


「おれがジジイになっても、ずっときみを大笑いさせてあげるよ。これは約束。伊達に胴長短足やってるわけじゃないんだよ。毎日変なダンスの練習をしているのは、きみのため。落ち込むきみに、寄り添って慰めるのはおれのキャラじゃない。笑いの力で吹っ飛ばす。怒りや悲しみは、おれがやっつけてやるよ。だから一緒に、ダンスを踊ろうゼ」


 心地よい余韻を残してから、ガジュはちょっと大きな子猫ちゃんの額に、親愛のキスを落としました。

 キャシーのガラス玉の目は大きすぎるため、表面張力はないも同然に涙がこぼれ落ちます。いつの間にか、自分ののどがゴロゴロいっているのに気づいて、ちょっと恥ずかしくなりました。だから、頑張っていつもの調子を取り戻そうとします。それはなぜか、思ったよりもずっと大変なことでした。


「わかったわよ。じゃあお願い、人間たちを助けて。もしかするとあの中に、未来のワタシのソウルマスターがいるかもしれないでしょう?」

「そう、それでいいんだヨ。それじゃあ子猫ちゃん」ガジュはキャシーをそっと下ろしながら言います。「そろそろ金色ワンワンを返してもらえるかナ?」


 すると。キャシーの丸かった瞳は糸のように細くなり、口がゆるゆると開いて小さな牙がのぞきました。落ち着いているのか慌てているのかわからない声で「あ」とだけいい、どこかへ視線をさまよわせてから、すぐにガジュを見てうなずきます。


「箱詰めにして宇宙空間に放り出しちゃってたけれど、今、蓋を開けたわ。自力で戻るのはなかなか大変だけれど、アナタにリンクさせてあるから、すぐ転送されてくるはずよ」


 いっているそばから二匹のちょうど間に、まばゆいほどの輝きを放つ毛の塊が出現。首のユニオンジャックが、とてもキマっています。

 金色ワンワンは舌をぐったりと伸ばしていましたが、それは即座にのどの奥へ飲み込まれていきました。ハシバミ色の目からは困惑がきえます。力なく打ち伏されていたしっぽが持ち上がって左右に一回ずつ、瞬時に最高速度に達して回転を始めました。


「ガジュー!」至近距離からの頭突きをガジュのお腹に食らわせてから後ろを振り返り、「キャシーも無事だったんだねー! よかったー!」

「まあね。ワタシが黒幕みたいなものだから」

「わふー、そうなんだー」


 キラッキラの笑顔です。キャシーの言葉の意味を、まるで理解していない顔ですね。こういう変なところは、イヌ族とイタチ族に共通点があるのでしょうか。

 効率を優先するネコ族としては、込み入った事情と謝罪はあとで時間をかけてすることにして、今は状況を説明するにとどめました。


「なるほど、わかったー。じゃあ早く、人間を助けてあげようよー」

「ウム。そうだナ」


 キャシーとカーラも天使形態に変じて、ガジュを先頭に正三角形の隊列を組み、人間たちがいた区画へと戻ります。


「目に見えないからなんともいえないのだけれど、五〇メートルほど向こうからが、サンプルを採取して検査や実験をするラボラトリー艦」

「ん、艦ってどういうコトだ?」

「ここ、レクーの複合艦なのよ。メインの船体に、それぞれ別の機能を持つ艦がいくつもドッキングしているの。ラボ艦は、そのまま切り離して母船にサンプルを送るため、自立した駆動機関を持っているの。つまり、ここさえ制圧できれば、人間たちの奪還も成功するということよ」

「じゃあ、悪者は倒さなくてもいいのかなー?」

「こちら側――ラボラトリー艦にも多少、迎撃用のマシンがいると思うけれど艦自体のコントロールさえ奪ってしまえば大丈夫よ。この艦、元々はネコ族のものだから、操作は任せてちょうだい」


 キャシーの大ざっぱな説明をまとめると、どうやらこういうことです。人間たちのいるラボラトリー艦の迎撃用マシンを掻い潜り、制御を奪って、メイン艦から離脱し、地球に戻る。

 ブーツのかかとを鳴らして駆けながら、セリアン・アッシュは白衣の眼鏡美人を振り返りました。


「超カンタンそうだナ! でも、メインの船とやらが追いかけてきたりしないんだろうか?」

「しないでしょうね」キャシーがすぐさま請け負いました。「渋谷の交差点でも、見たでしょう? レクーはワタシたち地球上の生物とは違う価値観や考え方を持っているの。逃げたサンプルを追うという発想は、彼らにはないはず」


 まあ、普通なら信じないところでしょう。説得力がまったくたりていません。でも、イタチのスーパーヒーローは笑顔でうなずきます。


「ヨシ。じゃあおれは、マシンをなんとかするだけだナ!」


 遠くに、先ほど登場シーンをミスって白けさせてしまった唯ちゃんたちを発見し、セリアン・アッシュはプロテクターをガチャガチャいわせながら駆け出しました。さて、今度こそ格好良く登場シーンを決めなくてはなりません。


 透明の床を蹴って飛び上がり、見えない天井に頭をぶつけるオヤクソクはばっちり。人間たちが驚いて見上げている前に、着地だけはキメました。すかさず胸を反らして翼を開き、右手を高々と突き上げてポーズを取ります。


「愛の名のもとに、毛玉戦隊セリアンズ! セリアン・アッシュ降臨!」

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