第7話 獣天界の、ゆるーい事務仕事

 両開きの重厚な扉をくぐると、古めかしいけれど暖かい感じの、長い木製カウンターがありました。その向こうにいるかわいらしい女の子──もちろん獣天使です──二人が、笑顔で迎えてくれます。


「地上勤務お疲れさまでした!」

「お疲れさまでしゅ」

 向かって左にいるのが、白と茶色の髪のポニーテールの女の子、右にいるのが、真っ白おさげの女の子です。どちらの女の子もつぶらな瞳が愛くるしく、見ているだけで癒やされます。


「えっとー、レベル一の方ですね、初めまして! あたしは総務受付担当、ネズミ族ゴールデンハムスターのウニです」

「アタシゃ総務部長、ネズミ族ゴールデンハムスターのスノーホワイトでしゅよ。長いから、スノーでいいわよ」

「えー、あのう、犬族ゴールデンレトリバーのカーラです」


 カーラは、先輩たちの堂々とした挨拶をまねてみました。初めてにしては上出来な名乗りではないでしょうか。確かに、獣天使の姿では、本当は何の動物なのかわかりませんものね。


 左側のウニは心得たとばかりに一つうなずくと、帳簿をものすごい勢いでめくり始めました。速すぎて残像が見えるくらいです。どうやら目的のページを見つけると、素早い手の動きとはまったく反対ののんびりした声でカーラに尋ねます。


「狩猟犬ですねー。じゃあ猟兵部隊 レンジャーチームかしら?」

「どうかしらね、最近のゴールデンは、ほとんど狩りをしないって話だけど。あ、ハムスターじゃなくてレトリバーの話でしゅよ」

「ありましたー!」


 ウニはスノーのほうに、大きな帳簿を押しやります。スノーの喋り方に、ひーちゃんのおばあちゃんを思い出して、カーラは少し懐かしい気分になりました。新人獣天使の穏やかな眼差しを受けながら、ネズミ族の二人の女の子たちは、帳簿を指さしてあれこれと相談を始めます。


「あらあら、十五歳で大往生したのね。いいでしゅねー」

「特技は……フリスビーの空中キャッチと、かくれんぼ、それからピアノに合わせて歌うこと、ですって。万能選手だったんですね!」


 ウニが目を合わせてにっこりしてくれたので、カーラもつられます。いろいろと混乱することばかりでしたが、少しだけ気持ちが落ち着いてきました。やっぱり、女の子の笑顔って、偉大です。

 カーラはますます、笑顔の修行を頑張ろうと心に誓いました。


「しゅると、猟兵部隊でも救護部隊 レスキューチームでも、聖歌隊 クワイアだっていけちゃいましゅね。もちろん、機動部隊 ライオットチームでもいいのよ。どこがいいかしら」

「カーラは、どんな仕事がしたいんですか?」

「えっ? あの、戦うのはこわいから、それ以外ならなんでもいいんですけど……」

「あらら? ガジュ、だめじゃありませんか、レベル一の人にいろいろと教えてあげなきゃ。教導官 アグレッサーでしょう?」


 いつの間にか、あさっての方向を向いてイチニ、サンシと変な運動を始めていたサングラスの男が、「お?」と言って振り返ります。どうやら、カーラたちのことなど完全に忘れていたっぽい表情です。彼はカーラよりも先輩なのに、相当落ち着きがないようですね。


「いや、そんなご大層なモンじゃないゾ。ただ、中の海で金色の海藻みたいにモワモワしてたから、ちょっと声をかけただけだ!」

「レベル一を連れてきたなら、立派な教導官です。おめでとうございます! 一〇フィリアが加算されます」


 少しだけなじるような表情から、なめらかに笑みへと移り、最後は満面の微笑み。ウニがコンビニでレジのお姉さんをしたら、きっとひーちゃんのお父さんは鼻の下を伸ばして通い詰めるに違いない――カーラはそう思いました。


 ガジュはまたも「おお?」なんていいつつポケットからアドベントベルを引っ張り出し、画面を操作すると「うは!」と仰け反ったではありませんか。


「繰り越した端数と併せて、いきなり一八フィリアか! ヨシ、後輩ヨ。あとでメシをごちそうしてあげよう」

「ごはん! そういえば、お腹減ったねー」


 しっぽがあれば間違いなくブンブン振っている表情で、後輩が顔を輝かせています。お散歩とご飯というのはしばしば議論されますが、イヌ族にとっては優劣をつけるのが困難なほど楽しみなものですから、無理もありません。


「じゃ、ついでですから教導官として、カーラにまずフィリアのことから教えてあげてください」

「おー」


 ウニに促され、ガジュは痒くもないのにしきりにほっぺたを掻きながら視線をさまよわせました。サングラスに目の表情を遮られ、それでも口元は笑っているため、何かを企んでいるようにも見えます。


「さっき、おれたち獣天使が、人間の友だちだってコトは教えたよナ?」

「うんうん」

「むかしむかし自然界の中で、人間が独立を宣言した。おれたちの先祖はそれぞれ、人間に味方するコトに決めて、自然界から去った。人間の友だちとして、互いに利害を分かち合う関係になったわけだ。これがいわゆる、友愛ってヤツだナ」


 その言語が何だかとても暖かくて、カーラは質問ではなく口の中で小さく「友愛」とつぶやきました。ひーちゃんも、ひーちゃんのお父さんとお母さんも、自分のことを友だちだと思っていてくれたのでしょうか? 自分は、ひーちゃんたちにとって、いい友だちでいられたでしょうか? カーラは、やり残したことが多いような気がしてきます。


「だから、おれたち獣天使が通貨として利用する『徳』の単位は『フィリア』――友愛だ。ココでは、いろいろな行動に対して、報酬としてフィリアがたまっていく。それで好きな飯を食ったり、気に入った人間に幸運をプレゼントしたりできる。で、一〇〇フィリアたまると、みんなダイスキ地上勤務を申請できるノダ」

「地上勤務って、あたしが今までしてたことだよねー?」

「そのとおり。地上にそれぞれイヌやネコとして生まれて人間と友情を育むのが地上勤務だ!」


 その瞬間、カーラのハシバミ色の瞳から、迷いが完全に消え去りました。もう、ぐずぐずと死ぬ前のことを考えている場合ではないと気づいたのです。


「じゃあ、早く一〇〇フィリアためなきゃ! どうすればいいのー?」

「マア落ち着け」ユニオンジャックをはためかせ、今にも総務部から飛び出していこうとする獣天使を、サングラスの獣天使は押しとどめました。「一〇〇フィリアでできるのは、本当に『地上勤務を申請する』だけだゾ。生まれる場所も、種類も毛皮の色も選べない。それじゃ飼われたい人間――ソウルマスターに再会できるかどうか、わかったもんじゃない」


 意味ありげなガジュの言葉に、カーラは体を向き直らせて大きく目を開きました。


「ひーちゃんの元に戻れる方法が、あるのー?」

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