第8話 貯めて貯めて貯めまくれ!

 カーラは、とにかく地上に行ってから自慢の鼻を駆使し、自力でひーちゃんの家に向かうつもりだったのです。もしも日本の反対にあるブラジルにでも生まれてしまったなら、太平洋を犬掻きで横断するつもりだったのでしょうか。


「絶対とは断言できないが、可能な限り戻れる方法はいくつかある」

「それは、何をすればいいの?」


 ほんわかしていてカーラの眼差しが、鋭くなりました。こうすれば、なるほどレトリバーという犬種が狩猟犬だというのもうなずけます。


「さらにフィリアをためるノダ! 二〇フィリアで生まれるときの種類、毛皮の色を選べる。五〇フィリアを追加すると、次に目的の人間――つまりソウルマスターがペットを飼いたいと思う時期を予測してもらえる。また、もう五〇フィリアで、その人間がペットとなる動物を入手するルートを逆算してもらえる」

「なんだかややこしいね」

「なに、簡単さ。二四〇フィリアをためれば、ソウルマスターがペットを買ったり拾ったりする場所、その瞬間に、その人の好みの種類、毛色の動物として現れるコトができるって寸法だ!」

「じゃあ……たとえばだけど。ひーちゃ――ソウルマスターが一年後に、野犬保護施設で犬を引き取るって予想されたら、あたしはどういうことになるの?」

「何でそんな難易度の高い設定なんだ?」ガジュはサングラスの向こうで丸い目をぱちくりさせてから、ううんと唸りました。「そうだナ……半年後くらいに転生砲に入って、まずはこれ以上ペットが増えたら飼いきれない家に飼われている母犬のお腹に入る。三ヵ月後くらいに生まれて、さらに三ヵ月後まで貰い手が見つからないという事態になり、やがて野犬保護施設に兄弟犬たちと一緒に持ち込まれるんだろうな。そこに、おまえのソウルマスターがやってくる」

「ほかの犬とか……その兄弟犬が選ばれちゃうってことはー?」


 さきほどまでの表情はどこへやら。気弱な顔つきになったカーラは、恐る恐る先輩獣天使に尋ねます。


「それはナイ。だが、直前でまったく関係ない人間にもらわれる確率はゼロではないし、おまえのアピールがたりなければ別の犬が選ばれるダロウ。あくまで、最高のお膳立てができるというだけで、地上に降りてからは自分自身の努力がモノを言う」

「なんだか、無事に地上勤務まで行き着いても、ひーちゃんに会える気がしないよー」


 カーラが肩を落とすと、金色の巻き毛までしおしおと元気がなくなっていくように見えます。重力に逆らって跳ねていたはずのアンテナまでが、顔の前に垂れ下がります。

 ウニとスノーは心配そうに顔を見合わせました。それからすぐ、何かを思いついて手をたたいたのは、真っ白お下げのスノーでした。


「そうでしゅ、これを支給しましゅよ」カウンターの下からある物を取り出し、うなだれるカーラの視界に入るよう押しやりました。「アドベントベルの使い方は聞きましたか? これでソウルマスターしゃんの顔を眺めて、元気を出してくだしゃい」


 分厚いマニュアルの上に乗った、真っ白い端末でした。カーラの指先が触れると画面が点灯し、「獣天界へようこそ!」という一文が表示され、しばらくしてから待ち受け画面に切り替わりました。


「あっ! ひーちゃん!」


 画面いっぱいに女の子の映像が映し出されています。年のころは七、八歳くらいでしょうか。きれいに片づいた部屋の、ピンクのラグの上に体育座りをして、両膝を腕で固く抱きしめています。目は真っ赤で、ときおりしゃくり上げる声が――そう、なんと音声までもが中継されているのです――聞こえてくるではありませんか。

 カーラは急に落ち着きをなくしました。


「どうしよう……ねえ、ガジュどうしよう。ひーちゃんが、泣いてるよー」

「ウム、おまえが死んだから泣いているんだ。死んだときに悲しんでもらえるってコトは、生きていたときに愛されていたってコトだ。誇れ」

「でも……」急に涙声になって、ハシバミ色の目には大粒の涙が浮かびます。「でも……あたし、ひーちゃんを悲しませたくないよー。ねえ、あたしは今ここにいて、死んじゃってるけど全然痛くも苦しくもないから大丈夫だよって、伝えられない?」


 総務部の部屋に響くのは、鼻水をすすり上げる音ばかり。どうしたものか困り果てたガジュがウニを見れば、彼女は首を横に振って隣の経験豊かな先輩に助けを求めようとしました。


 見かけは人間でいう十代後半くらいの、あどけなさを残す少女の佇まいですが、スノーは実は、かなりのベテランです。レベルは九一。ハムスター自体の寿命が短いというのは確かにありますが、二年と計算しても、ハムスター歴一八二年です。実際には地上勤務だけではなく、こうして獣天界の任務を遂行する時間もあるので、魂としての年齢は二百歳を越えているかもしれませんね。


 だからスノーはとても温厚な性格で、見かけによらない落ち着きがあります。もしもあなたが飼っているハムスターに、一度も威嚇したり噛みついたりしたことがないと思い当たるのなら、それはもしかすると地上勤務中のスノーなのかもしれません。獣天界でも、後輩たちの面倒を見たり、相談に乗ってあげたりする機会が多いのです。


「カーラしゃん。十五年間人間と暮らしていて、わかったでしょう。彼らは、自分たちの作った言葉しか理解できないんでしゅよ」

「でも、この姿――獣天使の姿でなら、話せないかなー? 言葉、通じそうな気がするんだけど」

「この姿では、人間の前に行けないわよ。任務で地上に降りても、この姿は人間には見えないし、声も聞こえない。だから、ソウルマスターしゃんを慰めたいのなら、ガジュしゃんの言うことをよーく聞いて、早く一人前になって、あなた自身が会いに行くしかないのよ」

「あたしが……」


 カーラはアドベントベルの待ち受け画面をもう一度見つめてから、それを力強く両手で握りしめ、大切そうにお尻のポケットにしまいました。。その肩を、教導官のガジュが力強く叩きます。


「慣れれば二四〇フィリアなんて、スグ貯まる。おれが保証する。ってなワケだから――」


 ぺっぺれっぺぽっぽっぽっぽー! きゅっきゅっ!


 奇っ怪な電子音が、ガジュのお尻の辺りから聞こえてきました。


「あ。おれおれ」ポケットからアドベントベルを取り出し、画面を素早くタッチしたかと思うと、普段から口角の上がった口元でカーラにニヤリと笑いかけました。「ヨシ。おれ向きの任務が入ったから、現場へ急行するゾ。カーラ、まずは機動部隊の仕事を見せてやる」

「えっ? どこ行くのー?」

「ちょうど良かったじゃない、カーラ。一緒に行って、獣天使の戦いを見学してきてください。そうすれば、自分がどの部隊に所属したいのか、わかってくるかもしれないわよ」


 ウニに「ね?」と微笑まれ、カーラは反射的にうなずきました。


 ガジュは後輩の意志を確認しないまま、その腕をむんずとつかんで総務部を飛び出して行こうとしています。結果的にカーラは任務に同行しようと思っていたのだから、いいのですけれどね。

 空いているほうの手でアドベントベルを操作し、ポケットにしまおうとして、ガジュは画面を二度見しました。待ち受け画面は真っ暗で、日付や現在時刻が表示されている下に「圏外」とぶっきらぼうに表示されているだけです。


「なあ、アドベントベルの『圏外』って、ナンダ?」

「さあ、圏外になんて、なったことないからわかりませんね」と、ウニ。

「こないだのOSバージョンアップの不具合でしゅかね。担当は開発部隊のキャシーしゃんというネコ族の方でしゅから、あとで聞いてみるといいかもしれないわね」

「むーん。唯ちゃん、無事だよナー……」


 笑顔がデフォルトのガジュが、珍しく気がかりそうな顔をしましたが、すぐに今するべきことを思い出しました。頭の切り替えが早いのは、イタチ族の特徴です。両手でバーンと盛大に扉を開け、総務部を飛び出して行きました。

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