第28話 行くぞセリアン・アッシュ!

「がんばってー!」


 両手でメガホンを作った女の子が、頬を赤く染めて懸命に応援してくれます。すると、隣にいたイガグリ頭の男の子も、負けじと声を張り上げます。


「ファイトー!」

「がんばれー!」


 子どもたちの声に励まされ、セリアン・アッシュの足が再び動き始めます。今にもガードレールから身を投げ出そうとしていたバスは、ゆっくりと、でも確実に道へ戻りつつありました。一歩下がるたびに、次の一歩が軽くなるように感じられます。

 額から流れ出る汗が目に入ってしみますが、サングラスのおかげで目を閉じていても、それほど子どもたちを不安にさせずに済みそうです。もう何分もの間、力を込め続けている全身の筋肉――特に腕と脚と背中から腰にかけてがこわばって、多少気持ち悪くなりかけますが、ぐっと我慢。痛いとか苦しいなどという感情は、自分を励ますかけ声に変えて吐き出します。


「うりゃー!」


 動きとしてはあまりにも地味な、それでいて真剣勝負のバスとの格闘は、五分後、セリアン・アッシュの勝利で決着しました。バンパーからそっと手を離すと、大きなバネがきしむような音がします。どうやら、後輪が正しく地面に接して、サスペンションに圧力がかかったみたいですね。

 わーっという歓声や拍手などが車内から聞こえてきて、セリアン・アッシュは満足げにうなずきました。


「さあみんな、出てきても大丈夫だヨ」


 構造が複雑でどう開けるものやらさっぱりわからないドアを力ずくで押し開くと、大人の女の人を先頭にして、体操着姿の子どもたちが次々に降りてきました。

 サングラスをかけた変な鎧のお兄さん――子どもたちの目に、セリアン・アッシュはそう映ったかもしれませんね。女の子たちは怖がるようなそぶりを見せましたが、男の子たちは大絶賛です。「かっけー」なんて言って、プロテクター部分をつつきにくる子もいます。


 全員バスから降りるのを確認してから、女の人が改めてセリアン・アッシュに向き直りました。


「本当に助かりました。一時はもうだめかと……」そして命の恩人の奇妙ないでたちと、何より頭上十センチに浮かぶ金の輪っかと翼をまじまじと見つめながら続けます。「あのう、警察か消防の方です……よね?」


 視界のすみでキャシーが「ちょっと待って」と、適切な回答を考えてくれていますが、セリアン・アッシュは腰に手を当てた仁王立ちのまま朗らかに答えました。


「イイエ。おれはスーパーヒーローだヨ!」


 子どもたちの中から、「おーっ!」と声が上がります。気をよくした自称スーパーヒーローは、マント代わりの翼を大きく広げ、得意げなポーズなんかを決め始めました。


「泣く子も黙る正義の味方、毛玉戦隊セリアンズ! ピンチのときには呼んでほしいゾ。速攻で駆けつけられるって、なんかエライヒトが言ってたから! お友だちにも教えてあげてくれよナ」

「ああ、もう……」キャシーは頭を抱えて、カーラに心配されています。

「そういえば、運転手さんはドコ行っちゃったんだ?」

「それなんですが……」


 運転手の話になると、女の人の言葉に歯切れが悪くなりました。きっと、警察沙汰になって裁判かなんかが起こって、証人喚問とかいうのをされたり、最悪の場合は自分が被告になっちゃったりするかもしれないのを心配しているのでしょう。無理もありません。

 こういうときは弁護士がつくまで黙秘権を行使するものなのだとキャシーが説明してくれますが、セリアン・アッシュにはよくわかりませんでした。


 でも、女の人は覚悟を決めたようです。サングラスにやや危険な香りを感じるものの、セリアン・アッシュの表情からは、決して悪いようにはされないと確信できたからでしょう。


「信じられないでしょうが、消えたんです。突然。わたしは生徒たちのほうを向いて一緒に歌をうたっていたから、その瞬間は見ていません。でも、いきなりぶつかったような衝撃があって、そのときにはすでに、バスはガードレールを突き破っていて……。運転席は無人でした。わたし運転はできませんが、何とかブレーキっぽいのを探してどうにかバスが止まったって状況なんですけど……あの、言ってることわかります?」

「ウン、ワカッタ!」


 元気いっぱいに叫びながらバスに乗り込んで見ると、運転席の窓は閉まっているし、シートベルトが金具に留まった状態でシートにいびつな半円を描いています。この状況に、セリアン・アッシュは覚えがありました。

 そこにいたはずの人が、直前の状況そのままに消え失せてしまったかのような……そう、唯ちゃんの家が火事になってしまった経緯そのままではありませんか。


「それじゃ、あとは人間のやり方でうまいことやってクダサイ! おれは、次の事件現場に行かないといけないからネ」

「はい、ありがとうございました」

「ありがと!」「あーりーがーとーっ!」「サンキュー!」


 感謝の言葉の大合唱に送られながら、セリアン・アッシュはバスが作ったガードレールの隙間からダッシュで飛び出しました。背後では、女の人と子どもたちの「キャーッ!」という悲鳴が聞こえてきます。でも、スーパーヒーローの体が山の斜面に沿って滑空し、やがて翼を開いてフワリと浮き上がると、再び拍手と大歓声に取って代わりました。


 事故現場となった小高い山の裏側で、セリアン・アッシュはキャシーやカーラと合流しました。そこにはもう一人、事故の通報者の獣天使がいます。


「ダメもとで救援出したんだけどさあ、やってみるもんだよねえ。まさか、ぼくら獣天使が救助できるとは思わなかったなあ。獣天使長様の、新プロジェクトだったっけ? すごいもんだねえ」


 おしゃれな口ひげを生やした、イヌ族シュナウザーの獣天使です。セリアン・アッシュにバトンタッチするまでバスを支えて力尽き、墜落したところをカーラにナイスキャッチされ、緊急活性薬「マックステンションZ」を振りかけられて意識を取り戻しました。今は少しヘロヘロしていますが、どうにか自力で獣天界へ戻れるでしょう。


「ウン。まだテスト段階だけど、いい感じだったらバリエーション展開するらしいヨ」

「へえ、そうなのかあ。じゃあさあ、たとえば銀行強盗とか誘拐事件なんかを目撃しちゃった場合も、救援要請していいのかね?」


 シュナウザー氏が尋ねるのに、セリアン・アッシュはうなずきながら答えます。


「たぶん、大丈夫だと思うゾ。そういうのはたいてい、悪い残留思念に取り憑かれた人間が引き起こすものだから、まあ、本来おれたちの分野だ。遠慮なく呼んでくれ!」


 そこへ、キャシーの緊張した声が割って入りました。


「お話し中ごめんなさい。ガジュ、一刻を争う救援要請よ。子どもが川でおぼれてる。ついてきて!」

「おお! 行くゾ」

「待ってー。ガジュ、怪我はしてないよねー?」


 弾丸のように飛び去っていくキャシーをセリアン・アッシュが追い、やや遅れてカーラがついていくのを、シュナウザーの獣天使は手を振って見送りました。

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