第2話 涙の海

「君はだあれ?」


 金色が尋ねました。


「ガジュだヨ」


 毛がボソボソで長っ細い、変な生き物が答えました。でも、金色はよく意味がわからなかったようです。


「なんだか変わった形をしているんだねー。えーと、犬かな?」

「犬じゃないヨ、おれはフェレットだ!」

「ふぇれっと……」


 金色の頭をかしげて、行き倒れていたほうが考え始めます。どうやら、その単語は記憶にあったようです。確か、ペットショップにいる小動物……とまで思い出し、もう一度その「フェレット」とやらをまじまじと見ました。


「なんかさー、大きくない?」


 ごもっともです。常識的に考えて、この金色くんと同じ大きさのフェレットなど、いるはずがありません。

 するとガジュと名乗ったフェレット、その場でばね仕掛けのオモチャみたいに飛び跳ねながら、「クククク」と笑うではありませんか。


「おれが大きいわけじゃないゾ。ココでは、みんな同じ大きさだからナ」

「えー、あたし大型犬なのに? ゴールデンレトリバーなのにー?」

「ウン。ココでは、ゴールデンレトリバーもゴールデンハムスターも、同じ大きさだヨ」

「……ええっ!」


 少し遅れて、金色の犬が大きく仰け反りました。


「そっか、おまえアレか、レベル一か」

「えー? なあに、レベル?」

「まあ、名前聞かせろヨ」

「あっ、ごめん」金色の犬は、フェレットに向かって前足を伸ばし、フセをしながらシッポを振ります。「あたしは、カーラ。子犬の頃は毛がクルクルにカールしてたから、カーラなんだって」


 今ではクルクルというよりフワフワにロールしているゴールデンレトリバーのカーラに、フェレットのガジュは頷いて見せました。


「ヨシ、じゃあカーラ、レベル四のおれが案内してやるゾ。ついて来い!」


 言うが早いか、小波を蹴立てて駆け出すガジュ――でしたが、続く足音が一向に聞こえないのに気づいて立ち止まりました。振り返れば、目印となるものが何もないので正確なことは言えないものの、カーラはさっきの位置から一歩も動いていないように見えるではありませんか。


「ドウシタ? 上に行くゾ」

「ごめんねー。せっかくだけどあたし、もう帰らなくちゃ」


 カーラのハシバミ色の瞳は、遊んでくれてありがとうと、雄弁に語っていました。

 反対に、ガジュの真っ黒な丸い目には、ごくわずかな困惑が見て取れます。いつでも微笑むように上向いている口角はそのままなのに、今は苦笑を浮かべるさまを連想させずにはいられません。


「あのな、カーラ」体ごと向き直り、言葉を探しながらゆっくりと続けます。「マダ戻れないゾ。まずは上に行かないとナ。話はそれからだ」

「ううん、ダメだよー。だって、ひーちゃんも、ひーちゃんのママもパパも、おばあちゃんも、あたしが急にいなくなって心配してるよ。それに、みんなのお家を守るのが、あたしの仕事なんだ」

「フム。察するにひーちゃんというのが、おまえのソウルマスターだナ」

「そうる……何?」

「ソウルマスター。つまり、なんだその……一番大事な人間?」


 カーラは今度は正確に、口の中で「ソウルマスター」とつぶやいてから、とてもしっくりくるのを感じてうなずきました。


「うん! ソウルマスターのひーちゃんのところに、帰るよー」

「カーラは慌てん坊だナ。ココは一方通行だから、一度上に行かないとドコへも行けないんだヨ」

「えー、そうなんだ。でもおかしいな、あたしさっきまで、ひーちゃんたちとお家にいたんだよー」


 その場で回りながら、他に何も見えない海を懸命に見回すカーラ。ガジュはそれを、ヒマワリのような笑顔で見守ってから、こう言いました。


「落ち着いて聞けヨ。おれたちもう、死んでるんだ」


 ガジュに負けず劣らず素敵なスマイルだったカーラが、一瞬で無表情になります。でも、それもそうですよね。いきなり自分は死んでいるなんて言われれば、誰だって平常心ではいられません。そして普通は、彼女のように取り乱します。


「死んだはずないよ。だって、あたしはここでこうしているじゃない。ねー、意地悪しないで、どこから帰れるのか教えてよー」

「考えてみろヨ、小動物と大型犬が同じ大きさなんて、オカシイだろ? それにココだってヘンだゾ。濡れた毛皮が乾きかけているのに、全然寒くない。チガウか?」

「そう……だけど、でもダメだよそんなの! だって、死ぬなんて思わなかったから、ひーちゃんにさよならも言ってないんだ。ちょっと寝るつもりだったのに、ひどいよー! 教えてくれれば寝たりなんかしなかったのに。ずっとひーちゃんの側にいられたのに」


 それからカーラは、穏やかな表情をにわかに険しくして、すぐ下の砂を猛然と掻き始めました。


「ここが天国なら、ひーちゃんたちは下にいるよね。こうやって掘っていけば、いつか会えるよねー」

「あのな、カーラ」掻いたそばから砂が崩れて穴を埋めてしまうのも構わず、前足を一心不乱に動かし続ける金色のイヌの肩を、長い爪の並ぶガジュの黒い前足が、慰めるようにたたきます。「ソウルマスターには、必ずまた会えるヨ。でも、今スグじゃない。穴掘りはおれも得意だが、おまえに協力してココを掘っても、今までいた世界には戻れないんだ」

「なんでー。ここはどこなのー?」


 カーラは顔を涙でくしゃくしゃにして、ついでに鼻水まで垂らしながらガジュを見上げました。ようやく、少し落ち着いたようですね。

 安心したガジュは、今度こそ口角を上げてニッコリしました。口元からは肉食獣の証である鋭い牙が覗きますが、タヌキのような顔の隈取りが、恐ろしげなイメージをものの見事に吹き飛ばしています。


「ココは、ミドル・シー、涙の海、永遠の浜……呼び名はイロイロあるが、天国の玄関口みたいなところだ。知ってるか? この水な、涙でできているらしいゾ。涙には免疫作用があるから、悪い魂はこれ以上先には進めないんだとサ」

「うーん」とカーラ、チョコレート色の鼻を動かして、海を匂ってから言いました。「本当だ! これ、海じゃないし汗でもないね。泣きべそかいたひーちゃんの匂いがするよー」

「さすがイヌ族だナ。匂いで成分までわかるのか」

「これくらい、簡単だよー。あとね、転んで泣いたときと悲しくて泣いたときで、涙の匂いも違うんだよー。ちなみにこれ、悲しい涙の匂いだね」


 ふさふさ飾り毛の立派な胸をそびやかして、ゴールデンレトリバーは得意げです。つい今まで泣きべそをかいていたなんて、信じられませんね。


「それで、あたしどうすればいいのー?」

「ようし、それじゃ羽出せ、羽!」

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