第13話 テンチョーの大作戦
獣天使長が足を止めた扉の上には、「第四研究室」と書かれたプレートがかけられていました。
「第四?」
ガジュは長い首をひねりながら、怪訝そうな声を出しました。無理もありません。彼の記憶では、研究室は第三までしかなかったはずだからです。
第一研究室が獣天界のシステム開発、第二研究室が獣天使たちの装備開発、そして第三研究室が敵である残留思念の研究。すると、この第四研究室の中では何が行なわれているのでしょうか?
「さあ、入るわよ」
「おー」
いつもとは違い、少々微妙なテンションで応答しました。確かにここに部屋はあったけれども、ガジュが前回の地上勤務に出るまでは、ガラクタ置き場だった場所です。
獣天使長に続いて中に入ると、どうやら明かりがついていて、誰かがいるようでした。
いくつかのモニターから無数のケーブルが伸びて床を埋め尽くし、足の踏み場もありません。モニターの前にはマネキンが一体ぽつんとたたずんでいて、入り口――つまりガジュたちのほうを向いていました。だぶついた純白の袖無しチュニックを腰のベルトで締め、これまた真っ白い膝丈のズボン、足にはローマ風のサンダルと、獣天使の標準的な服を着せられています。その上から、見慣れないプロテクターのような物が装着されているのが気になりました。
モニターの前で作業をしていた一人の獣天使が、ガジュたちのほうを向いて、急いで宙返りをします。
「獣天使長さま、気づかなくて申し訳ありません」
「いいのよ、いいの。さあ、作業を続けてちょうだい。計画の中心人物を連れてきたわ」
老婦人の前でかしこまっているのは、ネコです。神秘的なブルーグレーの毛並みが美しく、胸からお腹にかけてが白い、おそらくロシアンブルーの入った雑種(ハイブリッド)。吸い込まれそうなグリーンの目に、ガジュは見覚えがありました。
「子猫ちゃん、やっほ……あれあれ、キャシーさーん?」
長く鋭い爪の並んだ前足を上げて挨拶しましたが……キャシーは視線さえ寄越しません。それなのに、ガジュは気を悪くした様子もなく、「うへへ」なんて笑いながらその場でクルクル回り、謎のステップなんか踏んでいます。
「ガジュもよ。フェレットの姿では、あれが装備できないものね」
「アレを?」獣天使長の示すマネキンを、真っ黒で艶やかな目でひとしきりみつめてから「おれが?」
とにかく指示どおり、ガジュとキャシーは天使形態になって、三人でマネキンの前に集まりました。どうやらこれが、「お願いしたいこと」に関係あるようですが――獣天界最高責任者直々の指令にしてどうも規模が控え目に思えてなりません。人数もこぢんまりとしていますよね。
第四研究室を見渡して、ガジュが早くも落ち着きをなくし始めたときです。
「毛玉作戦を決行するわ」
獣天使長が、厳かに宣言しました。
ガジュはキャシーと顔を見合わせようとしましたが、失敗です。ネコ族の研究部員は、とんがったモンロー風眼鏡の端から視線をよこしてさえくれませんでした。
「担当してもらうのは、ガジュ。キャシーはその補佐についてちょうだい」
「おお? なんだか愉快そうな作戦だナ。なにをするんだ?」
「あなたがスーパーヒーローになって地上に降り、人間たちに害を成す者共をやっつけるの」
口角の上がった楽しげな表情で、ガジュはサングラス越しに獣天使長を見つめます。目を合わせると思わず微笑んでしまいたくなるまなざしに、老婦人の品の良い面差しもいっそうほころびました。
「それって、地上任務とはチガウのかナ?」
「地上任務では、獣天使としての能力のほとんどを封印して、動物形態でしか行動できないでしょう。でも今回の作戦は、違うの。あなたは獣天使のまま地上に降りるのよ」
「このまま?」
「そう」
獣天使長が大きくうなずくと、ガジュはしばらく考えてから背中の翼を軽くはためかせ、
「……このまま?」
と、もう一度尋ねました。獣天使長は、今度は何度もうなずいてから答えます。
「そう、そのとおりよ。必要に応じて、獣天使形態も獣形態も思いのまま。状況に合わせて判断してね。もちろん、人間と話してもいいのよ。ただし」獣天使長は小さな女の子こように、茶目っ気たっぷりに微笑みます。「人間に獣天使であることがバレてはダメよ」
「おー! わかった、頑張るゾ」
「お言葉ですが、獣天使長さま」
隣から、氷のように冷たく鉛のように重たい声を発したのは、白衣姿の獣天使、キャシーです。彼女の声は、盛り上がった今の雰囲気を一瞬で打ち砕いてしまうほど強力でした。
「やはり、イタチ族を毛玉作戦の実行役にするというのは、どうも……。イヌ族が適任かと思いますし、せめてネコ族のほうがまだいくらかよろしいのではありませんか?」
「そうなのよ、キャシー。わたしたちはどの種族も、それぞれとても優れているから、選ぶのはとっても大変だったわ。最初にわたしは、獣天使全体の中から適任と思う種族をピックアップしたの。任務の内容が戦闘を避けられないものだから、肉食獣の出身がいいと考えて、まずイヌ族、ネコ族、イタチ族まで絞り込んだのよ」
キャシーは、賢そうな顔つきでうなずきました。彼女の隣に立っていると、ガジュはいかにも何も考えていないように見えてしまいます。
「イヌ族は、攻撃手段が牙しかないのが少し心許ないと思ったの。わたしたちの爪は、歩き回っていると自然に削られて丸く短くなるから、武器にはならないでしょう。万が一、牙が使い物にならなくなったときのために、もう一つくらい武器が欲しいところよね」
「でしたら、ネコ族が」
「そう、あなたたちネコ族には、鋭い牙と爪がある。それに、しなやかな肉体から繰り出される体術は、それだけでも充分な武器として通用するでしょうね」
「ええ、そうでしょうとも」
「でも、ネコ族はフィジカル面でもメンタル面でも、少し繊細なのよね。運動能力はあるけれど、体力はあまり続かないし、打たれ強さという点でも不安が残るところ。それに、けっこう怖がりさんが多いのよね」
「それは……」
うつむいて口をつぐんだキャシーが眼鏡の横から睨んでいますが、ガジュはどこ吹く風。二人のほうは見ずに、マネキンに夢中です。
「そこで、イタチ族がいいんじゃないかって思ったの。アゴの力とか、体力とか柔軟性とか、個々の能力はそれぞれイヌ族やネコ族に譲るけれど、平均的に高い能力を持っているでしょう。何より、恐れ知らずなところが、スーパーヒーローにはぴったりじゃない」
「単に、危機管理能力が欠如しているだけだと思いますが」
キャシーは、全然まったく納得できないのでした。第一、フェレットなんてマイナーすぎるというのが彼女の言い分です。イヌやネコを知らない人はほとんどいませんが、フェレットを見て「あっ、フェレットだ!」と言える人は、多めに見積もっても三人に一人がいいところでしょう。
それより何より、自分が任された鳴り物入りの「毛玉作戦」を、実行の段階になってガジュなどに台無しにされたくないのです。
「それじゃキャシー、ガジュに新アイテムの説明をしてあげてちょうだい」
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