第二十四幕 目覚めと出撃
瞼を開けた瞬間に、躑躅色の瞳が瞬きするのが見えた。角膜にぽかんとしたホシノの顔が映っている。目と目がひっつきそうな程に近い距離。スピカの瞳だと分かるまで、混乱して呆然とする。
しばらくして理解が及ぶと、ホシノは寝返りを打って飛び起きた。
「何やってるのさ!」
スピカは唇に指をやって、ぱちくりと一度瞬きする。
「無事に解凍できたか観察してた。唇の感触、調べたかった。残念」
「そういうのは良いから……」
ホシノは動揺が治るのを待ってから、スピカの姿を見る。スピカはビナー宇宙で初めて会ったときに身に付けていたスーツを着ていた。
最後に見た時と服装が変わっている。ホシノは少なからず時間が経過したのだと合点がいった。
「ここはもう十年後なの?」
スピカがコクリと頷いた。
「ソウガは十年寝てた。変なとこない?」
ホシノはベットから降りて、軽く柔軟してみる。ちょっと体がだるいくらいで、特に異常は無い。
「成功」
「これからどうやってコクマ宇宙に行くの?またあの宇宙を通るの?」
「あの宇宙? 何のことか分からないけど違う。今回は協力者に頼んである」
「協力者?」
スピカは部屋の入り口に顔を向けた。ホシノもつられて確認する。
入り口付近の壁に寄りかかるようにして、黒いコートを着た全身黒ずくめの人物が立っていた。体格的に男であろう、細身ではあるががっしりとしている。顔には烏の仮面。不気味な格好だが、見たただけで射竦められるような凄みを放っている。
ホシノは男の放つ異質な雰囲気に肩が震えた。
「カラス、もう来てたの?」
スピカが男を見て言う。
「ああ、今さっき着いたばかりだ」
「じゃあ少し休んでからにする?」
「滞在時間に限りはある。やるならさっさと始めるぞ」
カラスは感情の読めない声で喋ると、ひらりとコートを翻し部屋を後にする。
ホシノはスピカの後について行き、部屋を出る。
真っ白な廊下をしばらく歩き、格納庫と書かれた大きな扉の中に入る。
格納庫は、他の部屋と似たような、真っ白で何もないけれど大きな部屋だった。
部屋の中央にカラスがいた。白い部屋の中で、黒一色のカラスだけが異物のように浮かんで見える。
カラスは右手を前に突き出して、静かに言う。
「――コール。アルギエバ」
カラスの声に応える形で、黒塗りの神霊が突如としてカラスの後ろに現れた。
華奢なフレームと刃を思わせる外装。ホシノの知る神霊とはその源流からして異なるような、生物を思わせる不思議な形をしている。
アルギエバに見惚れていと、ホシノの隣までスピカが歩いてきた。ホシノの方を向くと真剣な口調で話し始める。
「過去に戻れると言ってもチャンスは一回。前回モイラがソウガを見逃したのは、世界崩壊の引き金に使うため。今度はソウガを中心に世界は再構成される。つまりソウガが死ねば世界も終わる。モイラは今度こそ、ソウガを殺して世界を終わらせようとするはず。ミスは許されない」
自分を中心に世界が出来る。説明されても理解が及ばないが、ホシノはたった一回のチャンスを絶対に無駄にしないと決める。
「分かった」
決意を持って返事をする。今度こそ皆を救うのだ。そう決めて、拳を強く握りしめた。
「用意はいいな」
カラスの言葉にホシノは深く頷いた。
カラスはホシノの首肯を見て、アルギエバに指示を出す。
「
ホシノは眩暈に似た、風景が歪むような感覚がした。モイラが世界に対して干渉する時に感じる眩暈と同じものだ。
眩暈が治まると、格納庫の奥に雷のような亀裂が生じた。亀裂が開き、沈んだ紫色の穴が空く。
「あの向こうは、アトロポス遺跡と繋がってる」
スピカが穴を指差して言う。
ホシノは頭が混乱した。一体何をしたら時間の流れが異なる世界との道が開けるのか。カラスは
今はアトリアと、世界を救うことに集中するのだ。
ホシノは気持ちを切り替えて、一歩、また一歩と亀裂の中に入っていった。
穴の中は光を通わせた血管のような管が輝いていた。血管の隙間から見える空間は真っ暗だが、目を細めてみれば糸のように細い線が縦に走っている。
もしかするとあの線一本一本が糸宇宙なのかもしれない。ホシノは考えながら歩く。
光の血管が壁となって出来た一本道を行く。奥の方には柔らかい光が見える。
前を歩くスピカの虚像が、光を浴びてその輪郭を輝かせた。
二百メートルほど歩いただろうか。磯の香りがホシノの鼻腔を擽った。続いて廊下の奥から波の音が聞こえ、夕日の光が見え始める。
この先には海があるのか。ホシノは推測して、歩く速度を早めた。
出口の穴から夕陽に染まる広い海が望めた。
トンネルの外に出る。ホシノが出た瞬間に背中の方で何が閉じる音がする。
振り向いて確認すると、トンネルの出口は消えていた。
もう後戻りはもうできない。スピカと目線で会話する。
ホシノは正面に向き直り、雄大な海を望む。
夕陽に色付く広い海が、波の揺らめきで輝いていた。
帰ってこれた。と、ホシノは思う。一時はもう二度と見ることはないだろうと思っていた、雄大な大自然の光景。
磯の匂い。カラリとした風の肌触り。波の音。体全身が喜びに湧いているようで、目頭が熱くなった。
ホシノはしばし時を忘れ、その光景を見詰めていた。
「あら、あなたも夕日を見に来たの?」
右の方から声がした。ホシノは声のした方を向く。
肩のあたりまで髪を伸ばした女性が、笑みを浮かべて立っていた。黒曜石のように真っ黒な髪が夕日を受けて栗色に色づく。肌はきめ細かく、スラリとした体は出るところは出ている理想的な体型だ。
ホシノは女性にどこか見覚えがあった。具体的にどこで会ったのか思い出せないが、彼女の放つ雰囲気と優しそうな物腰は、ホシノに言い知れぬ懐かしさを感じさせた。
女性は返事がないことに首を傾げ、何かはたと気がついた様子で手を叩いた。
「私はルーシェ=グロッソよ。アトロポス遺跡で調査をしている考古学者」
言い終わるルーシェはにこやかな笑みをホシノに向けた。ルーシェの笑顔に、ホシノは体から余分な力が失われていくのを感じた。
「ソウガ=ホシノです。技術屋の卵です」
「あら技術屋の方でしたか。いつもお世話になっております」
ルーシェはそう言って頭を下げる。そして続ける。
「息抜きがてら、私もよくここによく来るんですよ。綺麗ですよね、夕日……」
「はい」
夕日が水平線に差し掛かる。あたりが一際明るくなる。空を見上げれば三匹の海鳥が夕陽に向かって飛んでいた。大きな海鳥の間に守られるように飛んでいる小さい海鳥。どこに巣があるのだろうか。ホシノは三匹の海鳥を見て思う。
夕日が半分ほど水平線に隠れた時、スピカの声がした。
『ソウガ、そろそろ』
スピカがホシノの横に立っていた。
ホシノは自分の目的を改めて思い出す。
アトリアに埋め込まれる前に、
「あら、もうお帰り?」
「はい。
「それなら中央にあるテントに行かれるといいですよ。案内してくれます。途中までなら私が案内しましょう」
ルーシェはホシノの横を通り過ぎて先を行く。ホシノはルーシェの後について行った。
空では海鳥が泣き、ヤシの木が夕日を受けて長い影を伸ばしている。
夕焼けは何故こんなに郷愁を誘うのか。ホシノは不思議に思いながら、前を歩くルーシェの背中を見詰めていた。
道なりに進み、やがて一本の道は二つに別れた。右側は変わらずヤシの実が長い影を伸ばしている道。左側は鬱蒼とした木々が枝葉を伸ばしている獣道だ。
「私はこっちに用があるの」
ルーシェは鬱蒼とした木々の茂りを指差す。
ホシノは左の道がどこに続いているのか気になった。辛うじて舗装されているものの、先が全く見えずどうなっているのか想像もできない。
ホシノの顔を見てルーシェは笑う。
「大丈夫ですよ。この道の先に仲間がいるから、ちっとも怖くないわ。貴方は安心して自分の道を進んで下さい」
深い緑の中に消えていくルーシェを、ホシノは見えなくなるまで見詰めていた。
ルーシェが見えなくなると、ホシノは自分の道である右側の道を進む。舗装された道は歩きやすかったが、途中小川に差し掛かり、道が途絶えた。ホシノは慎重に、そして勇気を出して石伝いに小川を渡る。小川を渡ってしばらくすると、森の奥に石造りの建物の屋根が見えた。
「あれがアトロポス遺跡」
ホシノは独り言ちる。テレビで何度か見たことのある遺跡だった。
あそこにある
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