急章 卵が孵るその日まで
第二十二幕 涙と後悔
放たれる銃弾。舞い上がる白鳥。赤く染まる雪。鮮烈な映像がフラッシュバックする。
ホシノは叫びながら跳ね起きた。背中にベットリとした汗が沸き、服に張り付いていた。荒い息で呼吸を繰り返していると、だんだんと意識がはっきりとしてくる。夢を見ていたのだと気付いたのは、呼吸が落ち着いた後だった。
額から湧いた汗が布団の上に落ちる。下ろしたてのパリッとした肌触りのシーツに、汗が滲む。汗が滲んだ形が、雪に滲んだ血を思い起こさせた。
ホシノは何かに刺されたような痛みを感じた。同時に息苦しさも感じて、心臓のある左胸を押さえた。掌に生の鼓動を感じる。心臓の鼓動が生きているのだという実感を与えると共に、失ったものをホシノの脳裏に突きつけてくる。
――アトリアの死体。
息のしていない、壊れた人形のようだった。
冷たくなって動かなくなり、挙げ句の果てに粉々になって消えた。
大切なものを失った事実が、ゆっくりとホシノを
弱々しく指折り数えてみる。
アトリア、ダリウス、ゴードン、ゴードン技師店。自分にとって大切なものが、今はもう存在しない。
もう悲しくはなかった。ただ酷い絶望感に襲われ、今すぐに死んでしまいたいと思った。
重い瞼で辺りを見る。ホシノが寝ていた部屋は、隅に長方形の切れ目が入った壁があるくらいで、窓もカーテンもない真っ白な部屋だった。
気分が沈んでいるホシノには、部屋の白さは眩し過ぎた。一度瞼を閉じて闇を感じてから、ゆっくりと目を慣らしていく。
改めて部屋を見渡す。見覚えのない場所だった。元の世界が崩壊していくのを自分の目で見ていたホシノとって、真っ白な部屋は天国かはたまた地獄の待合室のように思えた。
死後の世界など信じてはいないが、現に自分はここにいる。ここがどこか分からないなら、確かめなければいけない。
ホシノはベッドから降りて部屋の中を回る。何かないか調べながら壁沿いを進み、部屋を一周する。
回ってはみたものの、何も見つからない。
もういいや――。
諦めてベッドに戻ろうとした時、部屋の隅にある長方形の切れ目が壁に飲み込まれる形で開いた。
切れ目はどうやらドアだったようで、ホシノはドアの方を凝視した。一体何が現れるのか。天使か悪魔かどちらだろう。考えて、どちらでもいいかと思い直し、重い瞼でドアを見る。
ドアの奥から銀の髪がちらりと見える。遅れてスピカが顔を出す。
スピカはホシノの顔を見るなり、二度瞬きして部屋の中に入ってくる。無表情だが、心なしか嬉しそうな顔つきだ。
「ソウガ起きた」
スピカは体に密着するスーツを着ていた。なだらかな胸の膨らみと、小さくても張りのある尻。幼いながらも蠱惑的な輪郭にホシノは一瞬どきりとした。
今は興奮したい気分じゃない。思いながらも、心に反して体は熱くなる。目を逸らしたいのに、スピカの体に視線は釘付けになる。
体つきは変わらないのに、今までよりも色気を感じる。スーツを着ているからだけではない、より肉感が増した印象だ。何故そう思うのか、原因が何かまでは思いつかない。
スピカはホシノの微妙な表情の変化から心情を見抜いたのか説明する。
「私は今までの私じゃない。三次元。実体のある
誇らしそうな顔をした後、スピカはホシノの手を握る。柔らかい掌の感触がホシノの手を包み込んだ。強く握るとお互いの肌が食い込むような感覚がする。
「――っ、ソウガ痛い」
「ごめん」
スピカは慌てて手を離すと、自慢げに胸を張る。
「ちゃんと感度も付いてる。試しにおっぱい揉んでみる?」
「遠慮しておくよ」
ホシノは否定した。如何わしいことをしたい気分ではなかったし、体が怠惰を求めていた。
ホシノは半目になってベッドに戻る。
ベッドに入るなり布団を頭の先まで被る。体全体を暗闇が覆った。
スピカの足音が近付いてきて、ベッドの前で止まる。左耳の辺りからスピカの息遣いが聞こえてきた。
「ソウガ、元気ない。窓を開けないから陰気になる」
「窓?」
布団から顔を出す。すぐ左にスピカの顔があった。柔らかそうな濡れた唇の隙間から、湿った息を吐いている。ホシノはどきりと心臓が脈打ち、慌てて反対側に顔を向けた。目だけ動かして部屋を見渡す。部屋はさっき確認した時と変わらず殺風景で何もない。
「窓なんてないじゃないか」
「想念を使えば開く。でもソウガは今、星屑を付けてない。忘れてた。だから私がやる」
ホシノは星屑のがあるはずの首筋に手をやる。いつもは虫に刺されたように膨らんでいる皮膚が平らだった。
ぼんやりとした思考でホシノは思い出す。世界が壊れる時、自分の服も光の粒子になっていた。もしかすると、その時に星屑も消えたのかもしれない。
スピカは部屋の左側をじっと見詰めている。想念を送っているのだろうと思った時には、部屋の壁が天井に向けて持ち上がっていた。
左の壁が全て天井に飲み込まれると、透明な板の向こうに九本の光柱が聳える宇宙が見えた。
ホシノの記憶では、つい先ほどまで浮かんでいた場所だ。しかしさっき見た柱は計十本。柱が一本足りない。
「ここはビナー宇宙。ソウガからすれば他世界に位置する」
スピカがまるでホシノの心を読んだかの如く言った。
「た、せかい?」
ホシノは当惑する。しかし直ぐにダリウスの言っていた言葉を思い出す。終末の巫女が他世界に転移した、という話。あの時は半信半疑だったが、光柱が聳える宇宙を見た今なら信じられる。
ダリウスの言葉が本当なら、終末の巫女はこの世界に転移したのだろうか。
頭に思ったことを知らないうちに言葉にしていたようで、スピカが補足する。
「終末の巫女はここにはいない。多分、また別の世界」
スピカは窓から見える光柱を指差す。
「世界は十本の光の柱から出来ている。ここから見えるあの柱。あの柱の一本の中に、ソウガの知ってる宇宙が沢山ある。細い糸が編まれて太い糸になってるイメージ。細い糸を
ホシノは頭で整理した。スピカが言うには目の前にある光柱は大きな宇宙、
ホシノはここに来る前に見た灰色の柱のことを思い出す。柱の中には確かに細い糸のようなものがあり、自分はそこから出てきた。
あの柱の中にある一本の糸が自分の世界で、本来自分の世界以外では存在を許されないらしい。では何で自分はここに居るのか。ホシノは疑問を質問に変える。
「僕は現にここにいる。別の世界の人間でも存在してるじゃないか」
「ソウガは特別。あらゆる世界を渡り歩ける力がある」
ホシノは特別と言われて、一瞬胸が躍った気がした。しかし思い直して、直ぐに気分は沈んでいった。特別な自分でも、アトリアや世界を救えなかったのだ。
才能があると言われても、素直に喜べない。
自分の無能ぶりに呆れて、ホシノは布団の中に潜り込んだ
「普通は
スピカが何か言った。けれどホシノは聞こえないふりをした。
今は誰とも話したい気分にはなかったし、褒められても気分が滅入るだけだった。
布団の中で蹲り、スピカの言葉を全て無視する。しばらくするとスピカが部屋を出て行った。
静寂が部屋を包んだ。その静寂がより心を冷たくしていく。ホシノは温もりを求めるようにして布団を体に巻きつけて、遣り切れない溜息を吐きながら一人涙にくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます