第四幕 軍靴と貴族
床を叩く大きな音が、扉の向こうから聞こえてくる。間隔は一定。合間合間に、金属の擦れる耳障りな音もする。音の正体を知っているのかアトリアが、険しい顔つきで後ろへ一歩後退する。
床を叩く音が、扉の前で止まった。
一時の静寂の後でばたんと扉が開き、迷彩服を着た厳つい顔の男達が雪崩れ込んで来た。部屋に入って来た順に素早く右詰めに並び、全員が並び終えると一斉に胸を張って直立不動の姿勢を取った。
背中に背負った小銃が、薄明かりの中で鈍い光を放っている。どこの部隊かは分からないが、一目見ただけで軍人だろうと予想できる。
計六人の軍人が並び終えると、金属の擦れる音を鳴り響かせながら、長身長髪の男が部屋の中に入ってくる。
男にしては綺麗な風貌だとホシノは思った。
着ている白い軍服の袖や襟には金糸で豪華な刺繍が施されていたし、十人いれば十人が美男子と言うであろう整った顔には薄く化粧まで塗ってある。おまけにさらりとした金髪を腰まで伸ばして悠々と歩いているのだ。遠目から見れば女性に見間違えてもおかしくない中性的な容姿だ。
「フレッド……!」
アトリアが男を睨んで言った。
ホシノは目の前の男がフレッドなのだと分かり、前のめりになって身構える。
「ここにいたのかアトリア」
フレッドが近付いてきた。歩く度に腰に携えたサーベルの豪華な装飾が擦れて耳障りな音を響かせる。
廊下から聞こえていた音と同じ音だ。側で聞くと一層喧しく、苛立ちさえ湧いてくる。
「それ以上近付かないでくれる?」
アトリアが語気を強めて言った。胸元の辺りで腕を組み目は怒気に満ちている。まるで戦の法螺が鳴った後の武人の出で立ちだ。軍人を前にしても怯まない態度にホシノは密かに感服する。
「怒らないでおくれよ。君が研究所に帰って来てくれれば、ダリウスはちゃんと解放するさ」
「当たり前じゃない。というか今すぐ解放して。流石にお坊っちゃまでも、こんなことすれば司法も黙っちゃいないわよ」
「分かっているさ。だから君を連れて、直ぐに基地に帰るつもりだ」
「分かってないわ。今すぐお父様を解放して、学園から去れって言ってるのよ!」
飛びかかりそうなアトリアを手で制して、ホシノはフレッドの視線に割り込む。
「あなたがフレッドさんですか?」
フレッドは上から下に視線を落として一瞥する。
「ふむ、君は?」
「アトリアの友人で、ソウガ=ホシノという者です」
「ソウガ=ホシノ。聞いた事のない名前だな。君のご両親は、一体何をされている方かな?」
「両親は居ません。血の繋がりはないですが、僕を拾ってくれた父は技術屋をしていました」
「ふむ、なら一般人か。礼儀を知らないのも無理はあるまい。私はフレデリック=ヴランシュバイク。栄えあるヴランシュバイク家の男子だ。これからは敬意を払って、フレッド様と呼びたまえ」
フレッドはそう言って高らかに笑う。
ヴランシュバイク家は、古くからある貴族の一族だ。現当主のデュークは赤字続きだった企業を立ち直らせて、経営者として名を売った男。今はフランクベルク州の知事を二十年勤めている。政界にも太いパイプを持ち、発言力も大きい傑物である。ホシノは貴族然とした見た目に一応敬おうと思い声に出す。
「フレッドさ――」「呼ばなくていいわよ」
アトリアの声が遮る。
「今時お家がどうかなんて、一般人には縁のない話よ。フレッドのお父様は確かに凄い人だけど、だからといって息子が偉くなるわけでもないし」
アトリアの言葉にフレッドは、両手を広げて肩を落とす。
「それは違うよアトリア。今でも家柄はステータスなんだ。貴族というだけで箔が付くし、父が経済界で成功したのも社交界の人脈があってこそだよ。当主ともなれば、それだけで四段階は昇進できる。誰だってなりたいだろ貴族に」
「貴方はもう貴族じゃないでしょ。私達親子を追いかけている暇があったら、その社交界とやらに参加すれば良いのよ」
「末子の僕じゃ大物は集まらないさ」
フレッドは苦笑いを浮かべながら視線を床に落とす。
民主化が進み階級制度はとうの昔に廃れたが、ブリターニャ島はまだ血筋を重んじる文化が色濃く残り、貴族や王族の家では兄弟同士が家督を継ぐ為に醜い覇権争いを続けている。
ゴードンから聞いた話をホシノが思い出している間に、フレッドは顔を上げた。
「僕の話はいい。それより君の本音を聞きたい。どうして研究所を去る。学校に行きながらでも、研究に携わることは出来るだろう」
「嫌よ。貴方の研究を手伝う気は無い」
頭一つ高いフレッドの顔を、アトリアは真っ直ぐ見上げて告げた。
「どうしてだい? 設備が足りないなら整えるから言ってごらん」
「設備なんてどうでもいい。被験者への態度を改めて欲しい、ジョンソンさんの監視もやめて欲しい」
「善処しよう」
「運命値の影響力を測るために、人の体に電流を流すなんてあり得ないわ」
フレッドは渋い顔をする。
「……知っていたのか」
「まだ、怪我人が出るほどの被害が出てないから黙っているけど、もし今後も続けるようなら、しかるべき場所に通報するつもりよ」
「ふふっ、怖いな。なおさら君とダリウスを隔離する必要がありそうだ」
フレッドの貴公子然としていた柔らかな顔立ちが、軍人特有の険しい顔つきに変わる。
「まさか、死人が出ているの……?」
外窓を流れ落ちる雨水が、床に怪しげな模様を描く。稲光が、押し黙ったフレッドの顔を照らした。
ふっと笑みを漏らし、フレッドは語り出す。
「いいかいアトリア。運命値はその人物が、いかに世界にとって役に立つかを表した数字なんだ。運命値の研究が進めば、もっと簡単に人間の優劣を決められる。小さい数字を示した者なんて、進化の上では邪魔なだけさ。こういった人間には、実験動物としての人生がお似合いだ」
「貴方本気でそんな事思っているの? そんな人の命を弄ぶような事を!」
アトリアの怒りがこもった言葉を、フレッドは鼻で笑う。
「思ってるさ。運命値はそこらの評価制度とは違うんだ。神が与えた価値なんだよ?運命値の低い人間が死んだ所で何が起きるわけでもないだろうし、例え反発が起きても所詮は小物の集まり、いくら騒ごうが世界に影響はない。革命の起きない、完璧な管理社会が作れるんだ。理想郷じゃないか」
フレッドはそう言って、悦に浸った顔をする。
「だからって、やっていいことと悪いことがあるわ!」
アトリアは眉を吊り上げて、フレッドの襟に掴みかかる。
「運命値が低い人間が何人死のうが構わない。それで世の中が良くなるならね」
「私は……、私はお母様やルーチェお姉様のように、不慮の事故で亡くなる人を減らしたかったから研究に携わっていたの! お父様もそうよ!! なのに貴方は、どうして!」
アトリアの瞳はうっすらと涙で潤んでいた。
ホシノはアトリアが6歳の頃に、母親を亡くしていると聞いていた。
ホシノも、ゴードンを亡くしてしまった。今更どうせれば恩返し出来るのか分からない。何をしたらよかったのか分からず、ただ残された家を守るためバイトに励んでいるだけだ。
でもアトリアは違った。大事な人の死を無駄にしまいと行動したのだ。運命値を好きにはなれないが、アトリアの思いがホシノの胸を打った。
ホシノはアトリアの肩に手を置いた。アトリアはフレッドの襟から手を離し、瞼に溜まった涙を拭う。
フレッドは自分の胸に手を置いた。
「分かる、分かるよアトリア。君も僕も、運命の正体を知ろうとしている。そして抗おうとしている。君が協力してくれれば、運命値は今よりも速い速度で解明できるだろう。そうすれば君の夢も時期に叶う。だから共に夢を追いかけよう。一緒にこの世界から、不運を根絶やしにするんだ」
フレッドは言い終わると、天井を見上げた。
目を瞑って何やら頷き、アトリアの手に腕を伸ばす。
アトリアが後ろに下がっても、お構いなしに追い掛ける。
「いやっ!」
肉を撃つ、痛烈な音が部屋の中に響いた。ホシノは一瞬何があったのか分からなかった。ただ入り口前でじっとしていた軍人達が銃の持ち手を握ったのと、アトリアが腕を振り抜いた姿勢のまま立っているのが見えた。
フレッドは赤くなった自分の腕をじっと眺めている。その姿を見て、ようやくホシノはアトリアがフレッドの手を叩き退けたのだと察した。
「協力するつもりはない。さっきの話を聞いて、貴方の本心が分かったわ。理想の社会とか大それた事を言っていたけど、運命値の高い自分が、末子でも家督を継げるように運命値の研究しているんでしょ?家督を継げなきゃ分家に回されて、貴族じゃなくなるものね。貴方は自分が貴族じゃなくなるのが嫌なのよ」
フレッドは聴き取れないほど小声で、俯きながらぶつぶつと何かを呟き始めた。
「僕の手を叩いた僕の手を叩いた僕の手を叩いた僕の手を叩いた僕の手を叩いた僕の手を叩いた……貴族である僕の手を、平民の娘がっ!」
フレッドが顔を上げる。
血の気を帯びた真っ赤な顔だ。
目をひん剥いて、アトリアを睨み付けている。
「運命値が高いから甘やかしてきたが、どうやらダリウスは自分の娘の躾けもろくに出来ていないようだな」
フレッドは携えていたサーベルに手をやった。
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