第三幕 通信と悪い予感
どんよりとした雲を背景に、灰色の館が建っている。上から見ると三ツ葉の形をしているので、
主に職員が利用する建物で、応接室や会議室もこの中にあった。利用目的からして堅苦しい建物だが、空の色と合いまって印象は更に重たい。
二人が玄関口に駆け込んだ時には、雨は本格的に降り始めていた。駆け込むのが少し遅ければ、びしょ濡れになっていただろう。
ホシノは頭頂部に付いた雨粒を手で払い、廊下に上がった。アトリアも安堵の息を吐いて後に続く。
廊下では数人の職員が、焦り顔で走っていた。
職員が走っている姿は、三葉館ではあまり見かけない光景だ。ホシノは不思議に思いながら正面の階段を上り、四階廊下に足を踏み入れる。
廊下の右側に並ぶ窓が、強風に煽られて軋んでいた。窓の反対側に並ぶ扉には、一枚一枚表札が貼られている。どの表札にもトリニティに在籍する教師の名前が書かれていた。
ソードブリッジ学園では職員室というモノがない。代わりに教師一人一人に部屋が与えられている。どの時間帯も何処かしらの部屋から漏れた声が廊下に聞こえて来るのが常だ。
しかし今日は不思議と静まり返っている。玄関口で見た焦り顔の職員もそうだが、今日の三葉館は何かおかしい。何度か学部長室を訪れた事のあるホシノは、廊下の静けさに不安を抱く。
「おかしいなぁ」
ホシノの言葉にアトリアは首を捻る。
「アトリアは、この廊下をあんまり通った事はないの?」
「廊下どころか、校舎に入ったのは今日が初めてよ。お父様の仕事の邪魔をしたくないし行かないようにしていたの」
「じゃあダリウスさんの部屋に行ったのは、今朝が初めて?」
「ええ。留守だったからすぐに部屋を出たけど」
学部長室が見えてきた。廊下の突き当たりにある部屋で、三つ葉でいう所の真ん中の葉先に位置している。
背後にいたアトリアが歩みを早めてホシノと並ぶ。ローファーが大理石で出来た廊下を叩き、小気味の良い音を鳴らす。
ドアの前に立ち、木製のドアをノックして反応を待つ。ドアの向こうからは、物音一つ聞こえて来ない。
「失礼します」
ドアノブを回して部屋の中に入った。
部屋の中は明かりが点いていなかった。念のため想念で照明を点けて、部屋の中を見渡してみる。
青絨毯が敷かれた部屋の中は事務机とソファー、隅には観葉植物が置かれていた。学部長室だけあって高級感があり、執務室に近い内装である。
アトリアは部屋を見渡して、ダリウスがいないか確かめている。
「留守のようね」
「仕方ない。ダリウスさんが帰ってくるまで、中で待っていよう」
ホシノは部屋の北側にあるコの字に置かれたソファーに座り、昼食の入った籠を机の上に乗せた。
アトリアは床と睨めっこしながら部屋を隈無く歩き回り、首飾りが落ちていないか探している。しかし見つからないようで残念そうに眉根を下げている。
「もしかすると、ダリウスさんが拾ってくれているのかもしれないよ。もう一度連絡してみたら?」
アトリアは立ち止まり、壁を見詰める。ダリウスに念話を送っているのだろう、傍から見るとただぼーっとしているようだなとホシノは思う。
「繋がらないわ」
「まだ会議中なのかな?」
「そうだとしたら、何度も連絡するのは悪いわね。お父様が居ない間に部屋を引っかき回すのも気が引けるし、帰ってくるのを待ちましょう」
雨が激しく窓を叩いていた。窓を流れる雨水で、外の風景は歪んで見える。
「この雨じゃ、外にも行けないしね。先にお昼を食べましょうか」
アトリアはホシノの向かい側に座る。
昨日徹夜して作ったサンドウィッチを頬張りながらダリウスが来るのを待った。
厚い雲の切れ間から稲光が明滅する。
周囲に雷鳴が鳴響き、何度光ったか指で数えられなくなった頃、一際眩しい光と共に、一本の光の柱が大地に落ちた。
けたたましい轟音が鳴り響き、部屋の明かりがぷつりと消える。
何処かに、雷が落ちたのだろう。配電施設がやられていれば、復旧には少し時間が掛りそうだ。とホシノは推察する。
ホシノは驚いて部屋を見渡す。普段よりも光度の落ちる予備照明が、絨毯の模様が分かる程度に部屋を明るくする。
アトリアが両耳を手で塞いで、肩を震わせていた。男子学生を投げ飛ばすことは出来ても、雷は怖いのだろう。ホシノは黙って立ち上がり、アトリアの隣に座る。そして少しでも安心させようと、アトリアの足に左手を置いた。アトリアは、弱々しく笑みを浮かべ「ありがとう」と呟いてからホシノの左手を右手で握りしめた。
稲光が三度光った頃には、雷鳴も遠のいた。
アトリアが眉を上げ、左手を首筋にやる。
「お父様?」
ダリウスから連絡が来たようだ。ホシノは咄嗟にアトリアから手を離す。
「はい。今はソウガ君と一緒に居ます。彼にも聞こえるように、念話チャットに切り替えますね」
念話チャットは、複数人と同時に念話できるアプリのことだ。アトリアから招待が来たアプリは通信相手の心理状態を顔マークで表してくれる若者に人気のアプリで、チャットが開かれるなりホシノの液晶角膜にダリウスからの通信を知らせるアイコンが表示された。
ダリウスの顔マークは、額から汗を垂らして目を渦巻きにしている。相手が混乱している事を表す顔マークだ。ホシノはダリウスの状況を心配しながら、チャットに参加する。
始めに聞こえたのは、砂嵐が巻き上げられるようなノイズの音だった。ノイズの間から微かにダリウスの念話が聞こえてくる。
『終……せ…者…フレッ……? だ…彼……命値は……はず、終わ……る……運命値……な……ず』
内容の殆どが、ノイズに紛れて聴き取れなかった。
念話は、様々な雑念がノイズとなって聞こえてくる。相手が興奮していたり動揺している時ほど、ノイズの量は多くなる。
『モイ……本…り…、ア……アが……ば…界は……る…か?』
ダリウスの顔マークはころころと表情を変えた。焦り、怒り、哀しみ、様々な表情が落ち着きもなく切り替わる。ホシノはここまで乱れた念話を、ダリウスからの受けた経験がなかった。普段から落ち着きのあるダリウスが酷く動揺している。良からぬ事が起きたのだろうとホシノは感じ取った。
「ダリウスさん?」
慎重に念話を送る。呼び掛けた後もノイズは続いたが、次第に緩まり、鮮明にダリウスの声が聞こえるようになる。
『ホシノ君か』
顔のマークは、再び動揺を表したマークに切り替わっていた。気を鎮めさせるために、一拍置いてから返答する。
「はい」
「そうか……」
安堵の声が聞こえてきた。幾らか落ち着きを取り戻した様子で、顔のマークも困った顔に切り替わる。
「何かあったんですか?」
「ああ、それがだな。昼間会議室に軍人達が乗り込んで来て、アトリアを出せと言ってきた。指揮を執っていたのはフレッドという軍人で、私とは少々因縁がある男なんだ」
ジョンソンが言っていた強行手段という言葉がホシノの脳裏に過ぎる。
ホシノはアトリアのほうを見る。アトリアは一瞬眉間に皺を寄せたが、その後何か決心したように眉を立てる。
「実は私の運命値は平均より凄く高いの。産まれた時はそうでもなかったんだけど、9年前に測り直したら凄く増えてて、そのせいで子供の頃から教会に持て
『昨日、ジョンソンが来てたのか』
「はい。その場に僕もいたんですが、ジョンソンさんは強行手段に出るから気を付けろと言ってました」
『そうだったのか。なら、ジョンソンが言っていた強行手段というのが、今日のこれのことか』
「恐らくそうだと思います」
『私は今、学園の上役達と一緒に会議室に閉じ込められている。フレッドは今頃学園中を隈なく捜索して、アトリアを探しているだろう。彼に見つかる前に、学校から逃げなさい。ソードブリッジの北にある森に、発掘調査で使っていた小屋がある。そこなら見つかる心配もないし、身を隠すには最適だろう』
「でも、明日は入寮式よ。その次の日は入学式。身を隠せ何て……」
アトリアが、沈痛な面持ちで伝えた。
『フレッドは、運命値研究所所長としてではなく、軍人としてやって来たんだ。軍施設に送られ出もしたら、一生外に出られない。お前はそれでも良いのか?』
アトリアはきつく唇を結んだ。ホシノは念話チャットのアトリアの顔マークが一瞬頭の火山を噴火させた後、涙を流しているのが見えた。
「……分かりました。でも、絶対に学校に帰ってきます」
アトリアはそう言った。
ホシノは自分の袖を見る。自分の袖をアトリアが指で摘まんでいた。アトリアの気持ちの全てを理解する事は出来なかったが、袖を引っ張る弱い力がホシノに決意をさせる。
「僕も協力します」
ダリウスの顔マークは、口を三日月型に曲げて嬉しそうな顔をした。
『助かる。一先ずアトリアを連れて、小屋まで向かってくれ。小屋の位置はメールで送る。こちらは監視の目も厳しい。あまり連絡を取れそうにないが、宜しく頼む』
そう言って、ダリウスは通信を切った。
受信したメールを開けて、ホシノは小屋の場所を確認する。小屋はソードブリッジの駅から五駅離れた、ブランドンという町の森の中にあった。
歩いて行くには骨が折れる。電車に行くのが一番早いが、星屑を使って運賃を支払えば記録が残り製造番号から何処で下車したか軍なら簡単に調べられるだろう。
公共機関は使えない。ばかりか、パン一切れ買うにしても、星屑を介さずに購入しなければならない。電子金は使えないのだ。
「現金持ってる?」
「持ってないわ」
「そうだよね。今時、現金を持ち歩いている方が、珍しいもんね」
電子金が使えないとなると、移動手段は限られる。
「車を使えればいいのだけど、お父様の車は、フレッドの部下に見張られていると思うし」
「家に業務用の車はあるけど、取りに行くにしては遠方だし」
「私の自転車で行く? 二人乗りだから速度は落ちるけど、二時間くらいで着けるんじゃないかしら」
「結構遠いよ」
「ほとんど平地だから大丈夫。ソウガ君、体重何キロあるの?」
「五十キロ」
「二人合わせて百は超えないから、フレームも保ちそう」
「アトリアが自転車に乗ってることを知っている人なら、駐輪場にも見張りを置いてるんじゃないかな」
「それも大丈夫。いつもは正門前の駐輪場に停めてるけど、今日は制服を買った講堂近くの駐輪場に停めてるの。多分見張りは居ないと思う」
「僕、自転車こいだことないよ」
「ソウガ君は後ろに乗って。私がこぐわ」
アトリアは、紙袋の中に入っている制服を、未練深そうに机の上に置いて立ち上がった。その時、廊下の方から足音が聞こえてきた。
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