第二十三幕 大いに眠れ

 明かりのない部屋の天井をじっと見つめる。元々真っ白だった部屋が、電気を消すだけで暗黒に沈む。たった一つの行動が、周囲を闇に染めるのだ。


 ホシノは天井を見つめながら、自分の過ちを振り返っていた。ダリウスに追い詰められた時、生き延びることを諦めた。そのせいでアトリアは飛び込んで来て、撃たれたのだ。自分がもしあの時、諦めずに逃げていたら、アトリアは撃たれずに済んだかもしれない。そう思うと自分の喉を掻きむしりたい衝動に駆られる。


 喉に手をやってみる。自分を傷付けることで二人が帰ってくる分けではないと気付くと、虚しさで涙が流れた。


 部屋の暗黒を払うように光が差す。涙で歪んだ視界の中で、屈折した光が煌々とホシノの瞳を刺激した。ホシノは一瞬眩しくなり、目を細めた。

 だんだんと目が慣れて、涙が乾き、歪んだ視界が矯正されていく。

 辺りの輪郭が分かるくらいに視界が通るようになると、部屋の扉が開いているのが見えた。一筋の光芒が闇を二つに分かち、ホシノのいるベッドへと伸びている。光の中に影が一つ。逆光を受けて輪郭を輝かせながら立つスピカの姿があった。


「ソウガ、起きてる?」


 銀色に輝くスピカの髪が、逆光を受けて眩しく煌めく。

 ホシノはあまりの美しさに動揺し、返事をするのが少し遅れた。


「うん」

「入っていい?」


 ホシノを渋った。今は誰とも会話したい気分ではない。

 何も言わずに布団の中に潜りしばらく待つ。扉が閉まる音がして、ホシノはホッと一息吐く。


「電気、つけていい?」


 直ぐ近くで声がした。ホシノが驚いて布団から顔を出すと、スピカらしい人影が闇の中で薄っすら見えた。

 ホシノはびくりと肩を震わせた。咄嗟に上半身を起こす。

 丁度ホシノが起き上がったとき、ベッドの足元灯が淡い光を点した。


 橙色の優しい光を受けて、ネグリジェを着たスピカが闇の中から浮かび上がる。

 光沢のある黒のネグリジェが、スピカの幼い体を妖艶に包み込んでいる。


 スピカの姿を見て、ホシノの鼓動は跳ね上がる。短い裾から見える柔そうな腿。なだらかな胸元と桃に色づく鎖骨。ただ美しいだけでなく、下品な想像を容易に湧き上がらせる程、肢体の滑らかさがより蠱惑的に強調されていた。


 スピカはベッドの上に乗り、ホシノの正面に立つ。甘い匂いがホシノの鼻孔を擽った。

 ホシノの前にあるネグリジェの裾が、スピカが呼吸する度にゆらゆら揺れて白い腿を露わになる。


「ソウガ元気ない。元気出して欲しい。私で元気になって」


 スピカはネグリジェの肩紐を外した。紐一本が外れただけで、ホシノは体が熱く疼くのを感じた。スピカが体を寄せてくる。甘い匂いが強くなる。

 シルク製の薄い生地が、スピカの控えめな乳房の輪郭に沿って変形する。

 ホシノの下腹部が熱くなるのを感じた。情欲を持ってスピカを押し倒すのは容易だ。しかし貞操意識が情欲に打ち勝ち、近付くスピカを制止する。


「だ、駄目だよ。こんな時に」

「こんな時ってどんな時?」


 スピカは首を傾げる。後れ髪が鎖骨をさらりと撫でる。


「アトリアやダリウスさんが亡くなった時だよ」

「こんな時じゃなかったら良いの?」

「そういうわけじゃなくて、そもそもこういうのは、好き同士がやることで……」

「私はソウガが好き。ソウガは嫌い?」

「嫌いじゃないけど」


 寧ろスピカは可愛いし好感が持てる。だが、ここで好きと言ったら取り返しのつかないことになりそうで、ホシノは言葉を飲み込む。


「ソウガに元気を出して欲しい。好きじゃなくてもいい。元気になってくれたらいい」


 スピカはホシノの頭を両手で抱擁し、自分の腹に押し当てる。柔らかい肌の弾力を感じる。

 離れなければならないと思ったが、不思議と力が入らない。


「この世界の私は実体がある人造人間アンドロイド。ちゃんとソウガを悦ばせる機能がついてる」

「悦ばせるって、そんなの駄目だよ。僕はそんなことで元気にならない」

「どうしたら元気になるの?」


 ホシノは黙った。どうすれば自分は元気になるのか自分でも分からなかった。


 沈黙が回答であると捉えたのかスピカは続ける。


「ソウガ、自分を責めないで。あれは全部モイラのせい」

「分かってる、けど……」

「あの時何をやっても、きっとはアトリアは死んだ。ダリウスも……。ソウガがダリウスに撃たれなかったのが、唯一の救い」

「僕は救われたなんて思ってない」


 現にこんなに苦しいのだ。あの時死んでおけばよかったと嫌でも思ってしまう。


「ソウガは勘違いしてる。この場合の救われたのは精神的なものではない。実際に可能性が生まれたという意味」

「……可能性が生まれた?」


 ホシノはスピカの言っていることの意味が理解出来なかった。スピカの腹から離れ、スピカの顔を見上げる。

 ベットの足元灯は部屋を僅かに照らし、闇を隅に追いやっていた。


「元々世界が崩壊するのは想定内。モイラから超在者の座を奪うには、一度世界を崩壊させ、このビナー宇宙に来る必要があった。モイラは世界の主観。その中にいるだけでは、主観の座を奪うのは難しい。一度世界から離れ、外側からまた入り込む必要があった」


 ホシノは混乱する。スピカが言おうとしていることの意味が理解できないのだ。


「つまりどういうことなの?」


 スピカはホシノの目をじっと見詰めながら言った。

 ホシノはゴクリと唾を飲む。一瞬の時間が永遠にも感じられた。


「アトリアもダリウスも世界も、蘇らせる方法がある」


 スピカの言葉に、ホシノは重かった瞼が軽くなるのを感じた。


 ◇


 スピカに連れてこられたのは、中央にカプセルの置かれた、それ以外は何もない部屋だった。スピカはカプセルの前に立って言う。


「これは人工冬眠用のカプセル。ソウガにはこれを使って、十年近く眠ってもらう」


 ホシノは首を傾げる。こんなカプセルで寝ただけで本当に世界が元通りになるのだろうか? 疑問を口にしていたようで、スピカは頷いた。


「理論を説明すると厄介、概要だけ話す。コクマ宇宙とビナー宇宙では時間の流れ方が逆方向。だからビナー宇宙で十年過ごせば、コクマ宇宙では十年前に戻ることになる。この原理を使って過去に戻り、天核ヌーメノンを埋め込まれる前のアトリアを救い、モイラを倒す」


「……過去に戻れる?」

「正確には過去の世界をソウガの主観で再構成する。普通こんなこと出来ない。ソウガが特殊だから出来る。でもこうやって過去に戻るやり方は、あんまり乱用しない方がいい」


 ホシノは考える。自分のどんな特殊性で世界を再構成できるのか分からない。けれど過去の世界を再構成して、天核ヌーメノンを埋め込まれる前のアトリアを救えば、世界の崩壊も結果的に防げるはずだ。

 ついでにダリウスの前に現れたというモイラを倒せば、世界は将来的にも救われるだろう。


 けれど仮に作戦が成功しても、その世界は自分の知ってる世界とは違うのではなかろうか。天核ヌーメノンが埋め込まれないアトリアは、運命値が跳ね上がることはない。ならばアトリアは運命値研究所には行かずに、フレッドとも出会うことはないのかもしれない。

 世界の再構成とは、ホシノの知る未来とは異なる世界が産まれるということだ。何より、その世界のアトリアやダリウスは、自分の知っている二人とは違う。


「当然二人はソウガとの記憶を無くす。ソウガの知ってる世界じゃなくなる。それでも、この作戦が上手くいけば二人は生き返る。どうする、ソウガ?」

「どうすると聞かれても答えは一つだよ……」


 ホシノはこの話を聞いた時から決めていた。例え自分の知る世界ではない、別の世界になるのだとしても、何もやらないより、やれるだけのことをやりたい。


「行くよ、過去に。そしてモイラを倒す」


 ホシノは自分の目の前で拳を握りしめ、強い口調でそう言った。

 その姿を見て、スピカは大きき頷いた。そしてカプセルの横の台から何かを取り、ホシノに差し出す。


「これ。ソウガ専用」


 スピカの掌の上には星屑と液晶角膜があった。

 世界が消滅した時に、二つとも失っていた。

 ホシノは星屑を首筋に埋め込んで、液晶角膜を瞳に取り付ける。

 星屑の起動を確認した液晶角膜が、中央に接続完了の文字を表示した。


 ホシノはカプセルに寝転がる。寝た姿勢のままスピカを見上げる。


「元気を出させるって、コレのことだったんだね。僕はてっきり変なことをするもんだと……」

 スピカが真面目な顔で応える。

「もしソウガが可能性を提示してもやる気にならなかったら、アドレナリンを分泌させるために交尾するつもりだった」

「えっ?」


 カプセルの蓋が閉まる。

 ホシノは頭の中が戸惑いでいっぱいになった。しかしカプセルの中で蒸気が噴出されると、急に眠気が襲ってきて、耐えられず意識を落とした。

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