第三十七幕 入学と入寮

 落ち着いた色の照明が、木造の講堂内を厳かな雰囲気に包み込んでいた。

 一階と二階に分かれてずらりと並ぶワイン色の座席には、まだ着慣れない制服を身に纏った少年少女達が膝を合わせて座っている。


 ここはキャパ三千を誇るソードブリッジ大講堂。座席に座っているのは今年の新入生だ。

 彼らが熱視線を注ぐのは、壇上で説明される学園案内と学園長の長話。どの顔も緊張した面持ちだが、瞳には希望の光が宿っていた。


 合計2814組の瞳の中に、ホシノの双眸もある。他の生徒と同様に希望を宿してはいるが、その顔は緊張に震えていた。

 ホシノにとって初めての入学式。これから始まる学園生活を想像するだけで、不安も押し寄せてくる。


 勉強、友情、時に恋。綿飴のように膨れ上がる明日への憂いを、期待を込めて噛みしめる。甘い理想がホシノの頭の中で弾けた。

 聞いていた様で、まるで聞いていなかった学園長の話も終わり、今日の式典は終了した。


 入学式だからといって特別なイベントがあるわけでも無い。ただ学園長の言葉を聞き、単位シートの書き方を教わる。それがブリターニャ式の入学式だ。

 面白味のない式ではあるが、式典としてはこんなものだろう。とホシノは思う。

 何せこれから、新入生歓迎週間フレッシャーズウィークと呼ばれる祭りが一週間も続くのだ。初めの式は慎ましいくらいが丁度いい。


 ホシノはそっと瞼を閉じて、入学できた喜びに浸った。

 耳を澄ませば講堂から出て行く人の群れから、賑やかな談笑が聞こてくる。恋に友情に先手を打とうとするアクティブな新入生が、もう既にグループを作ろうと目当ての人に声を掛けていた。


 その中には聞き慣れた声もある。

 アトリアの声だ。

 それは街路で演奏されるフルートの音色のように、誰もが押し黙り耳を傾けてしまいそうな澄んだ声をしていた。

 何を喋っているのかまでは聞き取れないが、何かを断っているようだ。


 しばらくするとアトリアの声と気配が近付いてきて、ホシノの前で止まる。


「話長かったね」


 ホシノは瞼を開けて声の主人を確認する。制服を身に纏ったアトリアが、微笑を浮かべて立っていた。


「そうだね。ほとんど内容覚えてないよ」


 ぐっと伸びをしながらホシノは応えた。


「ふふっ。学園長の長話を聞くと、入学したんだなぁって感じがしない?」


「そういうものなの?僕は学校に入ること自体が初めてだから、全部に実感があるよ」


「学園長の長話は、どこの学校にもありがちなことよ。きっと世界中の人がネガティヴな意味で共感してくれる思う。なのにあれって、何で短くしようと思わないのかしらね」


「さぁ、何でだろうね。何にせよ、僕は月並みな洗礼を受けたってことか」


 クスクスと笑うアトリアの声を聞きながら、ホシノは座席から立ち上がる。

 周囲を見渡すと、さっきアトリアの声が聞こえた辺りにいた数人の生徒が、ホシノを見詰めていた。これまた意外そうな顔で目を見開いているものだから、出入り口に向けて歩いている生徒もわざわざ足を止めてホシノを見た。


 釣られて一人、また一人と足を止めて振り返る。いつの間にか注目の的となったホシノは、居た堪れない気持ちになってアトリアをチラリと見た。


「出ましょっか」


 アトリアは涼しい顔で言った。

 周りの目など特に気にするそぶりもなく、出口へと向かうアトリア。その泰然とした歩みは周囲を釘付けにし、自然と生徒達が道を譲る。凱旋する騎士のような背中を追って、ホシノも講堂を後にした。




 太陽が空の頂点に近付き、暖かい光に払われた影が建物の隅でじっと夜を待つ正午頃。早めの昼食を終えたホシノとアトリアは、ソードブリッジ北西に位置するトリニティ学寮カレッジの前に立っていた。


 象牙色のどっしりとした壁の二棟の建物。青煉瓦の屋根が男子寮で、赤煉瓦の屋根が女子寮だ。どちらの屋根も青空の下でより彩度を際立たせ、芝生の緑と合間って風景画のように見る人を楽しませる。


 このトリニティ学寮で、これから暮らすのだ。ホシノは男子寮の正面に立ち、その美しさを見て感慨に耽っていた。


「ほらソウガ君、荷物が届いているわよ」


 アトリアが男子寮の前に積まれた段ボールの一つを指差して言った。段ボールに印字されたバーコードに目の焦点をやると、液晶角膜にホシノの名前が表示された。発送元はベルナール邸。昨日ホシノが送った荷物で間違いないだろう。


「良かった、ちゃんと届いていたね」


 ホシノが段ボールに駆け寄る。隣に立つアトリアは腰に手をやって、周りの段ボールの山を見ながら首を傾げていた。


「荷物、これだけしか無いの?」


 言われてホシノは周囲を見渡す。ホシノ達と同じように、自分の荷物を確認している新入生が何人かいた。新入生の足元には、彼らの物と思われる段ボールが最低三つは置いてある。入寮となれば、普通それぐらいの量の荷物になるのだろう。

 ホシノの段ボールは一つだけ。確かに少ないのかもしれない。


「そもそも、この世界には僕の物があんまりないからね」


「不便じゃない?私の場合はリアの物があるから良いけど」


「元々それほど自分のものを持っていたわけじゃないから特に困らないけど、着替えが無いのは辛いかな。ダリウスさんの古着を着回すだけじゃ、サイズ的にも合わないし」


 ホシノは、ここ二日間ダリウスの古着を着ていた。サイズ的には一回り大きく不恰好ではあったが、ベルナール邸を出る機会もなかったので外見を気にする必要はなく、部屋着としては着れていた。


 けれどこれからは学寮生活が始まる。ダボダボな服を着て同級生に変な目で見られるのは出来れば避けたい。


「それなら、今度いっしよに買いに行きましょう。私もリアと好みが違うから自分の服が欲しいって思ってた所なのよ」


 アトリアが顔を明るくして両掌を合わせる。


「でも、僕お金ないよ」


「私も無いわ。その辺りはお父様にお願いするしかないわね」


「何だか頼り過ぎていて申し訳なくなってきたよ」


 ホシノは肩を落として背中を丸める。


「良いのよ。お父様なんて普段神霊のことばかり考えてるんだから、こういう時に一肌脱いで貰わないと」


 三日前に会って以降、ダリウスは一度も家には帰ってこなかった。以前の世界同様、どうやらずっとソードブリッジで考古学や神霊の研究をしているらしい。

 世界が変わっても仕事ばかりに精を出す父親に、アトリアは呆れていた。


 自分で言ったことは納得して、うんうんと頷くアトリアを見ながら、ホシノは少し嬉しい気持ちがした。

 前の世界とこの世界のダリウス。二人共血は通っているが、アトリアが今の世界のダリウスを自分の父親と認められないのではないかと不安だったが、どうやらその不安は杞憂に終わったらしい。


 口を尖らせながらダリウスの悪態を吐くアトリアの姿は、以前の世界と何も変わらない。ホシノは温かい気分になって、しばらくアトリアを見詰めていた。


「今日は私も入寮準備があるから、買い物の件は明後日にしましょう。明後日といえば学力テストの日だし、ちゃんと勉強もしておかないとね」


 顔の辺りで軽く手を振り、女子寮の方向に歩き出したアトリア。その背中をしばらく見送った後、ホシノは自分の荷物を運ぼうと中腰になった。


 段ボールを抱え持ち上げようとしたその時、背中を何かが叩いた。振り向くと、さっき講堂でアトリアに声を掛けていた男子生徒の一人が立っていた。


 中肉中背の体が太陽の光を遮り、屈んだホシノを覆うようにして影が差した。

 逆光の中まず目にとまったのは、男子生徒の瞳だ。くっきりとした眉は斜め上を向き、目尻のつり上がった茶色い瞳から鋭い眼光を飛ばしている。

 つり目の瞳によくに似合うライトブラウンの短髪は、栗のように先を立てていて触れるとチクリと痛そうだ。


 男子生徒は口をへの字に曲げて、ホシノを見下しながら言う。


「邪魔だ。どけよ」

「あっ、うん」


 その気迫に押されて、ホシノは横に移動する。

 男子生徒はホシノの段ボールの隣にあった段ボールを抱えると、男子寮に向かっていった。


『態度悪い。妬み、嫉妬』


 スピカがホシノの隣に現れる。


『見てたんだ』


『ソウガのことはいつも見ている。あいつが講堂でソウガを睨んでいたのも知ってる』


『そっか……』


 ホシノは寮の中に入る男子生徒の背中を見ていると、自然と口角が上がるのが分かった。

 彼の態度は確かに悪い。しかしそれ以上に彼が声を掛けてくれた事がホシノには嬉しかった。


 今まで向こうから話しかけてくれたのは、アトリアとダリウス、そしてゴードンくらいしかない。それもモイラの意図が絡んでのことだ。

 けれど彼は違う。モイラ亡き今、彼は明確に自分の意思でホシノに声を掛けたのだ。

 態度は悪かったかもしれないが、それでも自分を認めてくれているようでホシノは嬉しかった。


『ソウガ、どうして笑ってるの?』


 スピカが不思議そうに首を傾げている。

 ホシノはホクホクした顔で自分の荷物を持ち上げ、その理由を歩きながら説明した。

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