第八幕 瞠目と似合いの制服

 ホシノは敵の増援をモニターで確認した。

 数にして五体。一個小隊の数だ。

 流石にこの数を相手にするのは無理だ。悔しさで顔を歪める。


『遷移確率80%を超えました。三分後に、量子系遷移デコヒーレンスを開始します』


 操縦室にアナウンスが響く。

 アトリアが驚いて肩を跳ねさせるのが見えた。

 ホシノがモニターを見ると、遷移確率が83.68%を表示していた。


『ソウガ、もう遊んでる暇はない。飛んで』


 スピカの唐突な言葉に驚いて、ホシノは瞼を瞬かせる。


『飛ぶ?』

『そう、飛ぶの。でないと捕まる』


 モニターではロス、グリーゼ等の軍用神霊がゼーベリオンを取り囲っていた。


『ジャンプじゃないんだよね』


 スピカはこくりと頷いた。

 ホシノは瞼を閉じた。ゼーベリオンは実際に飛べるのか、どういう仕組みで飛べるのか疑問は湧く。だが今は逃げる事に集中すると、さっき決めたばかりだ。だから今は信じて想念するしかない。


 警報が鳴っている。多分敵が接近しているのだろう。聴覚を閉ざす事など出来ないので、意識を研ぎ澄ます事で遮断する。


 閉じた世界でホシノはイメージする。幼い頃ゴードンの仕事の邪魔にならないように、一人で遊園地に行った記憶。遊園地で乗ったジェットコースター。長い坂をゆっくりと上昇し、機体が頂点に辿り着いてゆっくりと下降し始めた時の感覚。身体ばかりか中身までも浮かび上がる様な、ふわふわした奇妙な感覚。あれは自分の体が軽くなったのではなく、外側の負荷がなくなる事で軽さを感じたのだ。


 間違えてはいけない。変わるべきは自分ではなく世界。普段の感覚から無重力下で感じた感覚を差し引きし、自分に掛かる負荷だけを頭の中から払拭する。

 隣でアトリアが「ひゃっ」と、しゃくりのような声を上げる。

 ホシノは目を開けた。

 正面モニターには同じ目線の位置に、瞠目するフレッドの顔があった。


 フレッドは空へと浮かび上がる巨大な卵を呆然と眺めていた。

 物体が空を浮かんでいる。何が起きているかは分かるが、その理由が分からない。

 一体どうすれば空を浮かべるのか、自分の天才的な頭脳と深い知識を振り絞って考えてみたが推論しか出せない。誰か分かる奴は居ないのかと思って横を向くが、部下達は揃って低能そうな顔で口を開けている。


 星屑がフレッドの思考に応えてweb上の情報を掻き集めて液晶角膜に表示する。けれど全てコミックの世界の話だ。自分は今、現実を目にしているのだ。

 卵が自分の目線の上まで浮かび上がる。卵の真下には砂や小石が連なって浮かんでいた。柔らかな風がフレッドの整えた髪を揺らす。


 ホシノはフレッドの髪が揺れるのをモニターで確認して、外で風が吹いているのだと悟った。

 ゼーベリオンは、三葉館が見渡せるほどの高い位置まで上昇している。


「凄いよ、ソウガ君!私達飛んでるよ、浮いてるよ!」


 アトリアが隣ではしゃいでいる。

 ホシノと目が合うと、ハッとした顔をして両手で口を抑える。スピカを制すつもりで出した言葉を、自分に言われたものだと勘違いして今の今まで黙っていたのだろう。


「もう、喋って大丈夫だよ。相談もあるし。このままブラントンに真っ直ぐ向かうと目的地に到着出来るかもしれないけど、跡を追われると思うんだ。一旦逆方向に向かって飛んで、迂回してブラントンに向かう事にするけど、良い?」


「良いと思うわ」


 アトリアが頷いた時、操縦室が赤い照明に切り替わる。


『遷移確率九一%を超えました。一分後に、量子系遷移を開始します』


 アナウンスを聞いたアトリアは表情を険しくさせ、ホシノの液晶角膜に地図を送る。地図に示された位置には、貨物車両の停車駅があった。


「時間がないみたいだから、ここに行きましょう。途中で神霊が止まったら小屋まで徒歩で行かないといけないし」


 ホシノは頷いて急いで想念を飛ばす。


 ゼーベリオンが急加速した。雨を押し退けながら高速で空を駆ける。モニターの隅で遷移確率が刻々と数値を上げている。ホシノの焦りが心拍数を跳ね上げ、脈拍を乱す。ゼーベリオンはソードブリッジの街をぐるりと迂回する。焦りが想念を乱し操縦室に警報を鳴らす。もう少し!ホシノが思った時、アナウンスが響く。


『遷移確率が百%を超えました。本機は本世界線より転移します』

『ソウガ、止まって!』


 スピカの言葉でゼーベリオンを急停止させる。

 正面のモニターに小さな穴が空いた。紙を燃やしたように穴は広がり、燃やしたところから光の粒を舞い上がらせる。


 体が軽くなった。尻で感じていた座席の感覚が無くなる。背中から倒れて天を仰ぐ。天井は既に無くなっていて、雨雲に向かって光の粒子が舞い上がっていた。

 体に重さを感じない。自分は落ちているのだ。とホシノは思った。


 横を向くと光を背景に、両腕で大事そうに紙袋を抱えたアトリアがいた。長い金髪がフワフワと空中で広がっている。

 背中に打つような傷みが走る。地面に落下したのだ。ゼーベリオンが消える間際、飛行高度を建物の二階くらいに下げておいた。大怪我ではないが、それなりに痛い。


 背中を擦りながら上半身を起こす。地面には野草が一面に生え、正面の背の高い藪の中から小川の音が聴こえる。後ろを向けば麦畑が広がり、畑の前には用具入れと思われる小屋が見えた。

 頭の上に葉っぱを乗せたアトリアが身を起こした。フレッドに破かれたままの服が落下の影響で更に乱れ、柔肌が露わになっている。ホシノはゴクリと喉を鳴らす。


 アトリアがこちらを向いた。ホシノは急いで目を逸らす。

 しばらくして横目でアトリアの様子を伺うと、半泣きの顔で真っ赤になりながら、ぐぬ〜っという効果音が似合いそうな目つきでホシノを睨んでいた。


「ソウガ君のエッチ!」


 アトリアは紙袋を抱いて立ち上がり、小屋の裏側へと走って行った。

 ホシノは肩を落として溜息を吐く。

 隣にスピカが現れた。ドレスの中ほどを掴んで、ゆっくりとたくし上げている。


『ソウガ、性的に興奮したいなら私でして』

『話をややこしくしないで』


 ホシノはスピカを見ないようにして、手を突き出す事で制した。


『所でゼーベリオンは、壊れたの?光の粒子になって消えちゃったけど』

『壊れていない。この世界に存在する事がしばらく出来なくなっただけ。丸一日経てば呼べる、多分……』


『多分って、曖昧な言い方だね』

『来るか来ないかは確率。丸一日経てばほぼ確実に来るけど、消えて直ぐに呼んでも来ない。無理。この世界の感覚で説明するなら、隕石が二回同じ人に当たる確率に近い。奇跡』


 ホシノは頭の中でその確率を計算しようとしてみたが、やめておいた。そもそも隕石が当たる確率が天文学的なので、数字のゼロがいくつあっても足りないだろう。


『確率、世界……。スピカ、ゼーベリオンは…』

「お待たせ」


 アトリアが小屋の方から帰って来た。

 破れていた服を着替え、ソードブリッジの制服をばっちりと着こなしいる。

 模範的な位置で揺れるスカートの裾。今年の一年生に与えられた赤色のスカーフが可愛らしく胸元を彩る。アトリアの清純さと制服の清らかさがお互いの長所を引き立てている。


「凄く似合ってるよ」

「ほんと?良かった……」


 アトリアは頬を朱に染める。


「そうだ……」


 ホシノは思い出してズボンのポケットから、首飾りを取り出した。


「見つけてくれたの?」

「うん。学部長室の机の下で拾ったんだ。ここに書かれていた文字を読んだら、ゼーベリオンが現れたんだ」

「そうなんだ、不思議ね。なら、その首飾りは落ち着くまでソウガ君が持っておいて。その方がいざと言う時、ゼーベリオンを呼べるかもしれないし」

「大事なものなんじゃないの?」

「良いのよ。なくなった分けじゃないから」

「分かったよ」


 ホシノは取り出した首飾りを元のポケットに仕舞う。


「貨物駅は近いわね。いきましょう」


 アトリアが小川の流れの方向に歩き出した。

 ホシノも歩き出し、ふと空を見上げる。

 雨はいつの間にか止んでいた。黒々とした雨雲は東方へと流れていたが、灰色の雲はまだ田園風景の果てまで続いていた。

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