第十六幕 実験と歯車

 頭の中で昨晩聞いた交響曲が鳴っている。まるで成功を祝う前奏曲のように思えて、フレッドは悪い気分ではなかった。

 隣の実験室にいるホシノのつむじを窓越しに見下ろす。

 運命研究所の実験室は黒を基調とした無機質な内装で、ホシノの周りを囲むように積まれた紙袋以外は何もない。


 そのホシノは周囲の紙袋を破り、中にある小麦粉を宙に撒いている。

 運命値ゼロのホシノは本来なら如何なる物体にも干渉出来ない。しかしそんな理屈など御構い無しに撒かれていく小麦粉が黒い部屋を白く塗りつぶしていく。フレッドは部屋の変化を目にして笑みを浮かべながらオフィスチェアに腰掛ける。


 正面では運命値研究所のスタッフが、自分達の席に座って隣室から送られてくる貴重なデータを液晶角膜で確認し、想念を使って解析していた。

 眼球と口だけを動かしているように見える彼らの仕事ぶりを、飛び交う言葉に耳を澄ませることでフレッドは想像する。


 実験室の中にあるセンサーが、観測した小麦粉の動きをこの部屋にいるスタッフに送る。スタッフは送られてきたデータを元に、ホシノが与える影響力を他の人間と比較する事で具体的な違いを見つけようとしているのだ。


 飛び交う言葉を聞く限り、小麦の動きにおかしな所はないらしい。

 フレッドは三十分前に行ったポーカーの実験を思い出す。

 ホシノのカードの引きに、おかしな偏りは観測できなかった。ポーカーの上手い下手はあるものの、いわゆる普通の勝率と引きの良さだった。


 けれども試合後に測定したスタッフの運命値が、ポーカーをする直前からわずかな変化があった。

 ホシノは運命を変える力があるのかもしれない。フレッドはそう思い、思い付いたと同時にほくそ笑む。


 彼を使えば研究成果を上げなくても貴族になれる。例えばホシノに兄を暗殺させれば、それだけで明日から自分が家督を継ぐことになるだろう。

 こんな簡単で月並みな解決策を聡明な自分が何故思い付かなかったのか不思議で仕方なかった。しかしこれこそがホシノの影響力なのだと思うと、フレッドは愉快で堪らなくなり声を出して笑う。


 自分は今、運命を変えるカードを手にしている。最早運命値や爵位などはおまけのような物だ。ホシノさえいれば、自分の思うように世界を動かすことも夢ではない。

 ポケットから懐中時計を取り出す。時刻は十一時を回った所だ。

 懐中時計を耳に当てる。歯車が回る音とスタッフの声が合わさり、美しい重奏となってフレッドの耳を擽った。


 自分を賞賛する旋律のような音に酔いしれながら、オフィスチェアの座面を上げる。

 いつもより高い位置から見下ろす部屋の様子は、自分の野心を体現したかのように感じられフレッドは静かに歓喜に震えた。


 実験室を再び見下ろすと、見通しが悪くなるほどに小麦粉が舞っていた。

 これ以上ホシノを粉まみれしては、身体に悪い。ホシノに死なれては困るフレッドは想念を飛ばす。


『ありがとうホシノ君、もう良いよ。そろそろ昼だから休憩を取りたまえ』


 ホシノが咽せながら小麦粉の煙霧の中から出て来た。


『大丈夫かい?』

『はい、何とか』


 ホシノは髪や顔についた小麦の粒を払い、頭上にいるフレッドに向かって頭を下げる。そして粉っぽさから逃げるようにして実験室を後にした。


 廊下に出ると食堂に向かって歩く。


『ソウガ、もうこんなところにいる必要ない。早く抜け出すべき』


 後ろからスピカが想念を飛ばしてきた。肩越しにスピカを見て、再び前を向く。


『それは出来ないよスピカ。僕が抜け出したらアトリアはまた狙われるじゃないか』

『コテージの時は仕方なかった。ああでもしないと二人共捕まっていたし、逃げ場もなかった。でも、今はゼーベリオンも呼べる。ここにいる理由がない』


『アトリアを助けるっていう理由があるよ。アトリアは明日からダリウスさんと一緒に寮で暮らすんだ。ようやく一緒に暮らせるようになったんだよ。沢山良い思い出を作って欲しいじゃないか。その点僕は一人だから養父さんの工房さえ守れたらそれでいいし、一番いい形に収まったんだ』


『ソウガには天核を探す使命がある。アトリアの為にここに残っても、天核がモイラに干渉されたら世界は終わる。アトリアも死ぬ。ソウガはそれで良いの?』


 ホシノは足を止める。

 スピカの言う通りモイラが世界が終わらそうとしているなら、今すぐにでも天核を探すべきだ。それは理解できる。けれどアトリアを助けようと昨日決めたばかりだ。ここを抜け出すことは、その決意を曲げることに繋がる。


『せめて何処に天核がありそうか検討付かないかな?それなら空いた時間に探しに行くことは出来るし』


 後ろを振り向きスピカを見る。

 スピカは言いにくそうに口を紡ぎ、やがて説明する。


『ゼーベリオンの動力は天素インフラトンと呼ばれるエネルギー。天素はあらゆるエネルギーの中で最も質の高いとされ、天核から漏れでるエネルギー』


 スピカはホシノが首に掛けた首飾りを指差す。


『天素はその首飾りの翡翠に溜まる。ソウガと出会った時、ゼーベリオンを顕現出来たのはその翡翠に天素が溜まっていたから』

『つまりこの首飾りの近くに天核があったって事か』

『多分そう。そして首飾りはずっとアトリアが持っていた。だからアトリアの近くに天核はあるはず』

『じゃあアトリアに聞けば良いんだね。でも、何か連絡し辛いね……』


 コテージではホシノが犠牲になる形でアトリアと別れた。今更連絡するのは気がひける。

 連絡したとしてもアトリアには天核やモイラの事を話してはいけないので、上手くはぐらかしながら聞き出さなくてはならない。

 ホシノは上手く聞けるか不安だった。


『ソウガ、あんまりアトリアと親密にならない方が良い』

『どうして?』

『それは……』


 突然、地響きがしたかと思うと、照明が落ちて緊急用の赤い照明が灯る。

 動揺しているとホシノは眩暈を覚える。


『因果干渉。モイラが何かしようとしてる』


 ホシノは目を閉じて眩暈をやり過ごす。

 目覚めた時には変わらず緊急用の赤い照明の中で廊下に立っていた。


「あれ?さっきと変わってない」そう思った時、足元が大きく振動した。かと思うと何処からか轟音が聞こえ、次の瞬間さっきまでいた実験室の壁が爆煙によって吹き飛ばされた。


 爆風が廊下に抜き抜け、ホシノの体は宙に浮く。黒煙に押されて廊下の曲がり角の壁に背中を打ち付けた。

 激痛が衝撃に乗って体に走る。床に倒れたホシノは、痛みで顔を歪めながらゆっくり立ち上がる。


「一体なんだ」


 廊下は炎と煙に包まれ、煩いぐらいに警報が鳴っていた。



 窓から季節外れの雪が見えた。

 研究所の一室に閉じ込められていたダリウスは、険しい顔で外の雪を見詰めていた。

 背後にいる自分を見張っている研究員は雪を目にして口笛を鳴らしている。

 呑気なものだ。この雪の意味もろくに知らないのだろう。とダリウスは思う。


 やがて大きな音と共に辺りの明かりが消えた。連鎖するようにして轟音がなり、地響きと火災報知器のけたたましい音が鳴った。

 ダリウスを見張っていた見張り役も、慌てて避難しに行く。


 閉じ込められていたドアの鍵が開いている。電気が断たれたせいで、ロックも解除されたのだろう。

 ダリウスは部屋を出る。辺りに人気が無いのを確認し、落ち着いた足取りで廊下を進む。

 遠くの方で煙の匂いが流れてくる。昔、発掘場の近くの森の中でテロリストと軍の衝突があった。その時と同じ煙の匂いだ。


 煙と炎の匂いの中で、微かに香る血と肉の焼ける香り。ここは死地だ。人が何人も死ぬだろう。死者の中に自分の娘がいない事をダリウスは祈る。


「まぁ、そう簡単に殺さないだろうが……」


 アトリアがこんな所に来るはずがない。と思いながらも、奴なら運命を変えてでも危険な場所に連れて来るかもしれないと思い直す。

 アトリアだけは救わなければ。そのためには不安分子を除去しなくてはならない。


 ダリウスは胸が痛くなるのを感じた。

 それでも自分がやらねばならないのだと言い聞かせ、一歩一歩と煙に向かって進む。

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