第十五幕 雪と寒さと煙草と孤独

 呼ばれた気がして振り返る。

 窓や扉が開けっぱなしのコテージから、風が通り抜ける音だった。

 アトリアは息を吐くと共に笑う。

 静けさで胸が痛かった。


 昨日まであのコテージの中で一緒に談笑していた少年。襲われそうになった自分を身をていして助け、不思議な神霊を自在に操り、面白くもない昔話に耳を傾けてくれた、ソウガ=ホシノはここにはいない。


 ヘリの爆音はコテージで過ごした暖かな音の記憶を吹き飛ばしながら、南西の空に消えて行った。

 耳に残るのは風の音だけ。いつもこうだとアトリアは思う。


 ルーチェの時も、思い返せば母の時もこうだった気がする。静寂はいつも不幸を運んでくる。無くしたものの大切さは、無くした後に無音と共にやって来るのだ。


 また自分は失ってしまうのか――。

 森をすり抜けてきた風が髪を揺らす。風に乗った雪の一片ひとひらが頬に引っ付く。水に変わる前に制服の袖で拭う。

 涙など、流してたまるものか。


 アトリアは振り返る。コテージに入り、冷蔵庫の中から適当な食料を取り出して作業用の野暮ったいリュックに詰め込む。


 ホシノは自分を救ってくれた恩人であり、学園で初め出来た友達だ。

 ルーチェがいなくなった時、大切な人を二度と失わないように、自分の出来る事をしようと決めた。だから泣いている暇はない。


 リュックを背負って歩き出す。

 コテージを出て、森の出口に向けて進む。昨晩通った道という事もあり、思っていたよりも早く森の外へ出られた。


 しかし問題はここからだとアトリアは考える。


 ホシノが連れて行かれる時、兵士達はアトリアにはまるで興味がない様子だった。ホシノを狙ったのはフレッドが標的に変えたからだ。だからといってわざわざアトリアを見逃す理由もない。連れて行く余裕はあったはずだ。でも見逃した。何故か。


 フレッドは去り際「君には触れてはいけない約束なんだ」と言っていたのを思い出す。

 こんなに早く潜伏先がバレたのは父が口を割ったからだとアトリアは見抜く。あの堅物の父の事だ、乱暴な手段では口は割らない。きっとホシノと引き換えに自分を見逃す交渉でも持ちかけられたのだろう。


 それならもう父の助力は乞えないな。そう思い、アトリアは肩を落とす。

 自分の力でホシノを助けなければいけない。だが、自分に一体何が出来るのか。


 駅へと続く車道の隅を歩きながら、自分の手を広げて見る。

 思ったよりも掌は小さく、指は細い。こんな手で軍隊相手に戦えるとはアトリアには到底思えなかった。

 運命値は高い、でもそれだけだ。ホシノの様に神霊を上手に操れるわけでもない。


 ふと、連れて行かれる直前のホシノの悲しそうな顔が目に浮かんだ。自分の運命値を知られて落ち込んだのだろう。


 運命値ゼロなどあり得るかどうかアトリアには分からない。けれど運命値の大小で周りの人の接し方がどれ程大きく変わるのか、どれほど多くの人から偏見の眼差しを向けられるのか、アトリアの知っている。

 だからこそ見捨ててはおけない。


 雪風が頬を打ち、寒さでくしゃみが出る。「寒いね」と声を掛けてくれる友はいない。その事実がアトリアの体から温もりを奪っていく。


「居てもいなくても良いなんて、そんな分けない。隣にいてよソウガ君」


 自分の体を抱き締めて温もりを逃さない様にして歩く。


 しばらく車道の隅を歩いていると、後ろからクラクションの音が鳴った。

 振り向くと黒塗りのシックな車の窓から、見知った男が顔を出していた。


 ジョンソンだ。アトリアは無意識に眉を顰めた。


「そう怖い顔をするな。俺はもうクビになった身だ。お前を捕まえる理由はない」

「私を捕まえるっていうことは、今朝の件には関わってないんですね」

「今朝の件?何だそれ」


 ジョンソンがアトリアの横に車を着けながら尋ねる。


 アトリアは今朝の事を話すべきか少し躊躇した。けれど直ぐに今の自分だけではホシノを救う事は不可能だと考え直して決断する。


 電子マネーの残高を確認する。チャージしてある金額では到底賄えそうにないので、貯金も含めて算出する。

 傭兵一人分を雇うのはどれだけの依頼料が必要なのか相場は分からなかったが、有り金全部を出す気で頼む。


「ジョンソンさんにお願いがあります」


 ジョンソンの顔付きが険しいものに変わる。


「それは依頼か?」


 アトリアは頷く。


「乗れ」


 助手席のドアが開いた。アトリアは車の中に入り革張りの助手席に腰掛ける。


 ジョンソンの車は雑多に物が散らばっていた。グローブボックスからは水着の女性がいやらしいポーズを決めている雑誌の表紙がはみ出ているし、コインケースにはどきついピンク色の名刺と輪の様なものが入った袋が幾つか詰まっている。


 アトリアは袋の中には何が入っているのか不思議に思い顔を寄せる。


「バカ、女子高生がジロジロ見るもんじゃねぇ」


 ジョンソンが慌ててコインケースの蓋を閉じた。


「一応確認しますけど、変な薬じゃないですよね」

「違う。これはあれだ、コインケースに入れておいたら男の金運が良くなる御守りだ」

「ふーん、金運ですか、それならもしかすると効果があったかもですね」


 アトリアは事の次第を説明し、ついでに有り金全部をジョンソンの液晶角膜に提示する。


「運命値研究所に連れさらわれた、友人を助けて欲しいんです」

「そいつは、昨日卵に乗ってた奴か?」

「はい。二日前、並木道でジョンソンさんも会っているはずです」

「ああ、あの影の薄そうな坊主か。あの坊主があの卵にねぇ」


 ジョンソンはニヤリと口角を上げて、ポケットの中から煙草を取り出し火をつける。そして煙草の箱とライターをコンソールボックスに置いた。

 アトリアはジョンソンの仕草をじっと見詰めてから問い掛ける。


「それで受けてくれますか?」


 ジョンソンはたっぷりと煙を吸い、吐き出す。肺を満たす、全ての煙を吐き出すのにしばらく時間が掛かった。


「いいぜ、乗った」

「交渉成立ですね」


 アトリアは胸を撫で下ろす。ジョンソンはやり手の傭兵で、かつフレッドに雇われていただけあって運命値研究所の内装にも詳しいだろう。これでホシノの件に関しては首の皮一枚繋がった。後は目下の問題を片付けなければならない。


 アトリアはコンソールボックスの煙草とライターを掴み上げる。

 ぽかんとした顔で見詰めてくるジョンソンに、にこやかな笑顔を作って言う。


「仕事中は禁煙でお願いしますね」


 ジョンソンは顔を引きつらせながら、口だけは苦笑いを浮かべていた。

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