第二十八幕 覚醒

 星が照らす道をリアと共に歩く。

 遠くの方にはぼんやりとした光が見える。リアに手を引かれながら、前のめりになって光の方に進む。ホシノは転ばないように注意しながら、地に足をつけてしっかりと歩いた。


 獣道を抜けると、瓦礫の散乱した広場に出た。よく見ると瓦礫には象形文字や壁画が描いてある。この場所はアトロポス遺跡の跡だろう。


 ホシノは知らなかったが、ホシノとモイラが去った後、地下に溜まったガスが火種に引火して大規模な爆発が起きていた。死者はいなかったものの、十数人の怪我人が出た大規模な事故となっていた。

 ホシノはTVで見た事故の状況と全く同じものを目の当たりにし、呆然とした。


「あれっ!」


 リアが瓦礫の奥にある淡い光を指差した。もう少しで光に届く。興奮したのか、リアがホシノを置いて駆け出した。


 ホシノはリアの後を追う。しかし子供しか通れないような瓦礫の間をすり抜け、すいすい進むリアには追いつけそうにない。

 ホシノは瓦礫が散乱しているところはなるべく迂回して、リアを追いかけた。


 しばらく歩くと道が途絶えた。正面には自分の背丈よりも三倍はある、元は遺跡の壁だろう大きな瓦礫。ホシノは突起に手を掛けて、腕の力で瓦礫を登る。時には隙間に足を入れ、休みながらも確実に登る。


 瓦礫の壁を乗り越えても、また別の壁が道を塞ぐ。


 尖った石で腕を切る――痛い。

 瓦礫が崩れ落ち、尻餅を付く――苦しい。


 何度も諦めそうになりながらも、登っては落ちるを繰り返す。いつの間にか、両手両足が泥だらけになっていた。けれど不思議と辛くはない。淡い光と星のお陰で、足元が見えるからだろう。


 月は変わらず美しく、星は煌々と夜空を照らす。足元が見える。前が見える。当たり前のことだが、今のホシノにとってただの光が勇気になった。


「お兄ちゃん、はやくー」


 リアの声がした。

 声は正面の高い瓦礫の向こうから聞こえてくる。ホシノは瓦礫に手を掛ける。登る為の筋道を、月の光が教えてくれる。


 銀鱗の粉が零れた道を、確かめながら登る。

 頂点に到達すると、真下に手を振るリアが見えた。ホシノは今度は慎重に降りて、最後は壁を蹴って跳躍するとリアの隣に着地する。


 顔を上げる。

 正面の台に、淡い光を放つ光球が乗っていた。

 一体これはなんだろう。そう思ってすぐに答えに辿り着く。


「まさか、これが天核ヌーメノン?」


 思わず声が漏れた。隣にいるリアが首を傾げる。

 天核ヌーメノンの放つ光は、まるで呼吸するように強さを変える。光が一層強くなり周囲が一度明るくなると、光の中から声がした。


「ソウ……ガ…クン?」


 ホシノはリアを見る。自分が発したのではないと首を横に振っている。


「私、なんで……。ひゃっ! なにこれ、私の体が」


 声は天核ヌーメノンの方から聞こえてくる。

 リアが声に反応し、天核ヌーメノンに駆け寄る。台に乗った天核ヌーメノンを指の先で突く。


「ひゃん! ちょっとやめて、擽ったいわ」


 声には聞き覚えがあった。ホシノが再び耳にしたいと焦がれていた声だ。間違うはずもない。ホシノは天核ヌーメノンに近付いて、表面を撫で回す。つるつるとした手触りと、生暖かさが掌に伝わってくる。


「はぁん! やだっ……やめてったら!」


 ホシノは慌てて手を離す。やはりこの声はアトリアの声だ。


「アトリア……なの?」


 背中にいたリアが寄ってきた。自分が呼ばれたと思ったのだろう。自分のことではないと察すると、ホシノの腕に抱きつく。


「そうよ。今は何故かこんな姿だけど、確かに私はアトリアよ」

「本当にアトリアなの?」


 ホシノは自分でも気付かぬ内に声が大きくなっていた。


「そうよ。体が軽くなったと思ったら、気が付いたらこの中にいたの」


 ホシノは胸の奥から嬉しさが込み上げてくるのを感じた。体が浮き上がるような感覚がして、感激のあまりじっとしていられず、天核ヌーメノンを抱きしめる。


「ひゃっ、ソウガ君!」


 アトリアの高い声が、ホシノの耳の側で鳴る。声の響きが心地よく、ホシノは天核ヌーメノンに頬摺りする。


 アトリアが生きていた。胸の中で想いが湧き上がる。

 身体はないが、そんなことは些細なことだ。声が聞こえる。反応がある。自分のことを知ってくれている。それだけでホシノは、天にも昇る心地だった。


 しばらく喜びに浸っていると、はたと気が付き天核ヌーメノンを台に置く。

 自分が天核に触れれば世界が終わる。嬉しさのあまり、大事なことを忘れていた。

 しかし、世界が崩壊するような兆候はなく、触ることでは干渉は起きないらしい。


「そっ、ソウガ君のエッチ! スケベ! 変態! 手足がなくても、ちゃんと感じるんだからね!」


 アトリアが声を飛ばす。ホシノは声がすること自体が嬉しくて、再び天核ヌーメノンを抱き締めようと手を伸ばす。


「駄目だよ。次はリアの番」


 既での所でリアが天核ヌーメノンを奪い、両手に持った。腕全体で抱えるようにして、抱き締める。


「なにこれ、あったかーい」


 リアは心地の良さそうな顔で頬を緩ませる。


「ちょっと、擽ったいわ。この子は一体誰? 何故だか見覚えがあるんだけど」

「十年前のアトリアだよ。ここはアトロポス遺跡のあるクリスマフ島」

「えっ!? どういうこと、十年前って一体?」


 アトリアの驚く声の合間に、空を割る矢のような音が響く。上空から何かがこちらに近付いている。ホシノは瞬時に音の主を頭に描いた。


 月が雲に隠れ、大地に影が落ちる。

 闇が支配する視界の中で、天核ヌーメノンの輝きだけがほんのりと辺りを照らしていた。


 ――瞬間、轟音と共に巨大な影が瓦礫の上に着地した。着地した衝撃で粉塵が宙を舞う。

 闇と粉塵に包まれた視界の向こう、鮮血を思わせる赤い光がホシノを捉えた。

 ハダルの頭部カメラだ。ホシノは身震いする。


〈まさか木星まで飛ばされるとは思わなかった。だが無駄な悪足掻きだったな〉


 突然現れた巨大な神霊に驚いて、リアがホシノの背中に隠れた。小さな指がホシノの袖を握る。

 背中には淡い光の暖かさと、リアの息遣い。ホシノは震える足に活を入れ、一歩ハダルににじり寄る。


〈神霊もないお前に何が出来る〉


 足の震えが大きくなる。自分よりも何十倍も大きな神霊相手だ。生身では相手にもならないだろう。しかも相手はハダル。その力は、神霊の中でも群を抜いている。

 心臓が恐怖で早鐘を打っている。肩が震え、背中から嫌な汗が湧く。

 けれど、絶対にここを退くわけにはいかない。折角また出会えたのだ。二度と手放してやるものか。強い意志で震える足を何とか押さえ込む。


 ホシノは腕を広げて言う。


「ここは通さない」


 声は思いの外通った。なんだ出来るじゃないか。ホシノは心の中で思った。

 ハダルの頭部カメラの光が、ホシノをじっと見つめてくる。冷徹な輝きはホシノを嘲笑しているようだ。


 しかしホシノは屈しない。もう二度とアトリアを死なせるつもりはなかった。


 月が雲から顔を出し、辺りに光が降り注ぐ。

 光を受けて辺りが見えるようになると、ホシノは決意を持って天を仰いだ。


 寒天の夜に星の光が燃えていた。


 夜空が明るいのは、自ら輝く星のお陰だ。養父がそう言っていたのを思い出す。

 きっと地上も同じように、自らの意思で動いている人が、星となって明日を明るく照らしているのだろう。


 思えば自分は、自ら輝くことを知らない星のようだ。とホシノは自らを評した。

 両親がいないことを理由に、ゴードンが死んだことを理由に、自分のやりたいことを諦めていた。――学校へ行きたい。当たり前の願いを、運命値やお金を理由に諦めていたのだ。


 あの星はどれも諦めの悪い光だ。いくら周りが闇に包まれようとも、無関係に輝いている。

 ならば自分も、諦めの悪い星になりたい。ホシノは夜空を見上げて心から願う。


 転移して直ぐにゼーベリオンを呼び出すのは不可能。隕石に二回当たることと同じくらいの奇跡だ。そうスピカは言っていた。

 奇跡の確率が如何程か、ホシノには分からない。第一相手は、奇跡を操るモイラときている。神の助けなど当てにはならない。


 奇跡などきっと起きない。けれど叶えたい願いがある。例え不可能だとしても、自らの意思を持って、願いは叶えなければいけないのだ。ホシノは背筋をピンと立てて夜空を睨む。


 満天の星の向こう、柱宇宙マルチバースの彼方にゼーベリオンはいるはずだ。自分の念が届くかどうか不確かだが、諦めないと今決めたばかり。不可能という言葉を、決意によって振り払う。

 願いは叶えるためにある。叶わなければ叶うまで、何度でも叫ぶまで。


 ホシノは息を吸った。脳に酸素が行き届き、思考をクリアにして願いをより鮮明にした。活性化した脳細胞ニューロンがホシノの願いに反応し、星屑に指示を出す。

 ホシノは天を睨む。もう二度と自らを卑下しないように、自分の願いに貪欲に生きていける人間となる為に。

 腹の底から意思が沸く。込み上がってきた声の塊を投げ出し、星屑に乗せて天高く高らかに咆哮を上げる。


「こぉぉぉぉいっ! ゼーベリォォォォォォン!!」


 ホシノの咆哮は想念に乗り、夜の闇を掻き分けた。重力の鎖をものともせずに大気圏を脱すると、鍛え抜かれた槍の如く星々輝く宇宙そらを突く。思いは光を超え、無限の世界を渡る卵へ届く。


〈最後の悪あがきか、良いだろう。引導を渡してやる〉


 ハダルが腕を振りかぶった。手を横に振り払い、ホシノを叩き飛ばそうとする算段だろう。ホシノは奇跡を信じ、カッと目を開いて切迫する腕を睨んだ。


 ホシノの意思に呼応するように、風を押しのける音が鳴る。

 その刹那、轟音と共にホシノの前に巨大な卵が現れた。


 迫り来るハダルの腕を、卵から飛び出した腕が叩き返す。体勢を崩したハダルは、仰け反る形で後退した。


『ソウガ、凄い!奇跡』


 ゼーベリオンの中からスピカの声が聞こえる。

 ここからが本当の戦いだ。ホシノは真っ直ぐハダルを睨んだ。

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