第二十九幕 羽化と飛翔

 ――パキリパキリ。

 卵が割れる音が鳴る。

 卵の殻にヒビが入り、自らを抑制してた壁が割れていく。

 閉じた世界から開けた明日へ。夢に向けて手を伸ばすようにして、卵の中から左腕がゆっくりと外に出る。

 既に出ていた右腕と新たに現れた左腕が、邪魔な殻を掴み取り、自ら剥がす。

 ――パキリパキリ。

 夜の闇の中で、快活な音が鳴り響く。

 全ての殻が剥がれた時、卵の中から白い神霊が現れた。


 ――神と霊。その名にふさわしい神々しい姿。無駄の一切無い流動的な外装が、月の光を受けて照り返る。白い外装から覗くのは、皮膚のように滑らかな内部フレーム。ホシノの鼓動に合わせて、膨張と収縮を繰り返している。

 まるで生き物の風貌。ホシノは思い、子供の頃に読んだ英雄譚に登場する雄々しい騎士の姿を思い起こさせた。

 ゼーベリオンの内部フレームが収縮する度に、熱排出口から熱気が吹き出す。その熱さは生命の息吹と同じような力強さで、ホシノの胸を熱く焦がす。


『羽化した。これで本領発揮』


 スピカがどこか嬉々とした声で言う。


〈神霊が来たからといって、どうなるものでもあるまい〉


 ハダルが腕を上げた。閃光を放つ動作だ。せめてリアやアトリアに被害が及ばないようにしたい。ホシノは身構える。


『ソウガ!願って』


 ホシノはスピカの声を聞いて二つのことが頭に浮かんだ。願うとはなんなのか。願ってどうなるのか。だか一瞬にして迷いを断ち切り上書きする。モイラの攻撃を凌げ。とホシノは強く願う。


天啓装置サブジェクトプログラムの起動確認。発動する』


 ハダルの指から閃光が放たれた。その最中、ホシノの願いに応え、ゼーベリオンから銀色の光が放たれる。

 閃光と銀の光が空中で激突する。


 銀の光の正体は絶対零度の寒気。高密度のエネルギー体だった閃光は、銀の光により冷却され、その活動を萎縮させる。


 閃光は直ちに凍りづけにされた。行き場を失ったエネルギーと共に、風に生まれ変わり辺りに暴風を巻き上げた。


 絶対零度の冷たさに、周囲に浮遊していた水の雫が雪の結晶に変えられる。月の光に当てられてキラキラと輝く雪の欠片は、風と共に踊り、吹雪となって空へと消えた。


 願っただけで、閃光を風に変えられた。一体何が起きたのか、ホシノには分からなかった。だが願いがそのまま実現したような、そんな気がした。


天啓処理サブジェクトプログラムは操縦者の願いを叶えるプログラム。ソウガの願いを、ゼーベリオンは必ず叶えてくれる。ソウガ、願って。強く、鮮明に』


 願いを叶えるプログラム。どうすればそんなことが可能なのかホシノには分からない。けれど今、この力を使えばモイラと対等に戦えることは確かだ。


 武器が欲しい。瞼を閉じてホシノは願う。なるべく鮮烈なイメージを頭に描く。

 ハダルを撃ち抜く銃。

 瞼を開けてイメージをより確かなものにする為に、右手で手銃の形を作る。


 翡翠のついた首飾りが仕舞ってあるポケットから、銀の光が漏れている。銀の光はもう一筋、リアが抱えている天核ヌーメノンからも漏れている。


 二筋の光はゼーベリオンの右手に四角い結晶を幾つも作る。結晶は結合し合い、銃身の長い小銃ライフルへと形を変えた。

 ホシノは閃光をかき消されて動揺しているハダルを睨む。

 手銃の先をハダルに向ける。親指で照準を定め、強い意志を持って言葉を放つ。


「撃て」


 言葉と共に人差し指を上げる。

 ゼーベリオンの右手のライフルから、眩しい光が発射された。吹き荒ぶ吹雪をものともせず、ハダルに向かって直進する。


 眩しい光はハダルの肩を射抜く。


〈ぐおぉぉぉっ!!〉


 モイラの叫びが辺りに響いた。


 行ける。ホシノは隙と見て攻勢を仕掛けた。

 ゼーベリオンはホシノの指示を受けて駆け出した。一歩駆ける毎に、ホシノの行く手を遮っていた瓦礫を踏みつけにして土に埋める。

 五歩駆けた辺りで、モイラの懐に入る。グッと屈伸すると、ハダルの鳩尾に拳を突き上げる。


 その瞬間ホシノは願いを上書きする。想像するは、子供の頃に軍の演習場で目にしたミサイルの爆発。その爆発を何十倍にも高めるイメージを頭中に描く。都市を丸ごと破壊できるほどの衝撃と熱気が頭の中を駆け巡る。

 願いは脊髄を通り、星屑を介してゼーベリオンに送られる。

 ゼーベリオンの拳がハダルに当たった瞬間に、銀の光が瞬いた。


 弾道ミサイル百本分の閃光が、ハダルの腹を直撃する。


「ぐおぉぉぉぉぉっ!」


 ハダルの足が浮き上がる。ばかりか勢いを押し殺せず、吹雪を押しのけながら上空へと吹き飛ばされた。


《ソウガ乗って!》


 スピカの声が飛んできた。

 ホシノはゼーベリオンを自分の前に跪かせると、足を伝ってお腹の辺りにある操縦室に乗り込んだ。

 操縦席に座り正面を見据えた時、出入り口の枠の向こうに天核を抱いたリアの姿が見えた。


『ソウガ君。あれは一体なに? 今なにが起こってるの?』


 天核の中からアトリアの声がする。聞くだけで、心が癒やされ、力が沸く。この声を今度こそ守る。ホシノの戦意は更に高まる。


「帰って来たら、必ず説明するよ」


 アトリアはしばらく何か考えるようにして黙った後、返事をする。


『約束よ。絶対帰っきてね』


 ホシノは頷いた。操縦室のハッチを閉めて、ゼーベリオンを浮上させる。

 モニターに映るリアの髪が、風に煽られ激しく踊る。幼いながらも美しい姿を目に焼き付けながら、決意を新たにして空へ舞いがる。


 ゼーベリオンが、天を衝く矢の如く飛翔する。

 足下のアトロポス遺跡が小指ほどのサイズになった時、光の大群が空から降ってきた。

 光の正体は無数の槍。追尾してくる光の槍だ。

 千本はくだらないだろう数を避けるのは難しい。別の方法を模索する。


 光る槍ぶつけ合わせて相殺させる。言葉にすれば簡単だが、全ての正確な位置を頭で把握しなければ出来そうにない。まさに絶技。しかしホシノは自分なら出来ると信じた。


 溢れる自信が、心を強くする。

 元より、一本たりとも槍を地上に向かわせるつもりはない。

 決めたとなれば、即座に集中する。


 息を止め、余分なエネルギーを目に集中させる。時が止まる感覚。無数の槍がホシノの網膜に映り込んだ。


 左端の一本をまず捉える。丸と三角が組み合わさった照準が、光る槍を収めた。

 同じ仕方で左から右に目を動かす。モニターに映る槍の全てを照準に収まる。

 その数ざっと千と二百。全ての動きを看破する。


 脳が動きの処理に追いつこうと必死で稼働しているのが額の熱から把握できる。

 槍の挙動を逃さぬように、意識の檻に閉じ込める。頑丈な錠を閉めてから、ふっと息を吐く。吐くと同時に声を飛ばす。


「スピカ!」

『了解』


 ゼーベリオンを中心に銀の衝撃波が放たれる。降り注ぐ弓矢のように並んでいた槍は、衝撃波に当てられて、針箱を床に落としたようにその矛先を不揃いにする。


 再び動き出す槍。互いが互いを貫き、巨大な幾何学模様のアートと化す。接触すれば爆発するという自身のプログラムに忠実に、紅蓮の炎を生じさせながら爆発する。


 烈風がゼーベリオンの進行を阻むようにして吹く。正面モニターを黒炎が覆い、熱の感覚が星屑を介してホシノは頭に伝わった。


 灼熱の煉獄。しかし、これを越えねば明日はない。

 風に逆らうようにして、ゼーベリオンを飛翔させた。


 生物を想起させるゼーベリオンの内部フレームが、ホシノの呼吸に合わせて脈動する。

 飛ぶことが楽しいというなら、それは自分も同じ。ホシノは語りかけるようにして想念を飛ばした。


 背中にある噴出口が、勢いを増した気がする。反して倍加した重圧が、ホシノの体にのし掛かる。

 潰れそうに重たい。しかし星屑から伝わってくる空をかち割る快感が、体に痛みを鈍化させた。


 モニターに映る遷移確率は、六割を超える。

 ホシノは急ぐ。けれど焦りはない。空は青さを増し、星の輝きが鮮やかさを増す。


 体が少し軽くなる。むしろ上昇すればする程に、体が浮き上がっていく。

 大気圏を抜けたのだ。ホシノがそう思った時、正面モニターにハダルの姿が見えた。

 ホシノは息を飲み、苛烈な視線をモイラに向けた。

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