第十九幕 思い出と悲しい真実

 夕焼け色に染まる芝生の上に子供用の自転車ごと横に倒れる。立ち上がって、またサドルに跨りペダルをこぐ。

 専属のメイドが心配そうに私を見ている。心配されるとこっちが不安になってくる。なるべく気にしないようにしてこぎ出す。


 ペダルを踏むと車輪が回り、前に進む。風景が少しずつ変わってきて心地い風が吹く。

 ただ車輪を回しているだけなのに、そこから生まれるものがこんなにも多様なのだ思うと楽しくて仕方がない。注意が逸れると真っ直ぐ進むという当たり前の作業に躓き、バランスを崩してまた転ぶ。その繰り返し。


 三回転んだ時、膝が擦りむけた。皮がささくれみたいに剥けて、砂が傷口に染みて痛い。補助輪なしでこぐんだと誓った手前、絶対に泣かないと決めたプライドのようなものが、その時壊れた気がした。


 瞼に涙がたまり、零れ落ちそうになる。


「アトリア、痛くないように魔法をかけてあげる」


 真っ黒な綺麗なショートヘアの、ルーシェ姉さんが私の隣に来て、東洋に伝わる痛み止めの魔法を掛けてくれた。


 聞きなれない言葉が気になったのか、はたまた本当に魔法だったのか、痛みは不思議と飛んでいった。


「私が後ろでずっと支えていてあげるから、アトリアは前だけを向いて進みなさい。振り向いては駄目よ」


 私は頷いた。ルーシェ姉さんがフレームを握ったのを見て、安心して前を見る。

 誰かが自分を支えてくれる。そう思っていると気が楽だ。そして力も湧いてくる。


 太陽が何時もより近くにある様に思えた。「夕焼けは一番太陽が近くにあるのよ」とルーシェ姉さんが説明してくれた。

 太陽の根元まで行こう。そう決めて、ペダルをこぐ。


 自転車は前に進む。前進しようと意思を持ってペダルを踏む度に、当たり前のことだけれども進んでいく。踏み出せばきっと変われるのだ。自転車が教えてくれているようだ。


 途中まで重かった自転車の後ろの方が、十メートルほど進んだくらいで軽くなるのを感じた。ルーシェ姉さんの息遣いも、それと同じくして遠ざかる。


 私は自転車をこぐ。もう転ばない様に真っ直ぐに。膝の痛みは感じない。ルーシェ姉さんの暖かさが、痛みを忘れさせてくれたから。


 私は魔法を掛けてくれたお礼に、ルーシェ姉さんに歌のプレゼントをしようと思った。色んな詩を参考にして、皆んなに協力して貰えば、きっと素敵な歌が出来るだろう。


 余計な事を考えたせいか、自転車のタイヤが小刻みに左右に揺れ始める。これは転ぶ前兆だな。と私は思う。ルーシェ姉さんに、また痛くなくなる魔法を掛けたもらおうと思いながら天を仰いだ。


 ◇


 夢から覚める。だいたい六歳くらいの時の記憶だろうか。朧げながらもアトリアは思い出す。


 辺りを見渡す。気を失っている間に火は鎮火したようだ。部屋は水浸しで、消化ロボットが灰を集めていた。


 通信不良だった星屑がネットワークに接続し、研究所の地図を液晶角膜に表示する。

 意識がはっきりしてくると、早くホシノを見つけなければと焦りばかりが生じる。

 もう大切な人を失いたくない。夢を見て改めてアトリアは思う。

 大切さのベクトルがどこに向いているのかまでは、今のアトリアには分からない。けれど大切だと認識すると、不思議とやる気と勇気が湧いてきた。


 ホシノを助けるためにここに来たのだ。傷だらけになりながら、フレッドから助けてくれたホシノの背中を思い出すと胸が熱くなる。そっと胸元に手をやって、動悸が収まるのを待った。


 動悸が収まると駆け足で部屋を出る。

 道なりに進んで角を曲がると、長い廊下が伸びていた。その先に、見知った背中を見つける。さっき胸を熱くさせたばかりの背中だ。


「ソウガ君!」


 呼びかけても返事はない。

 よく見ると誰かと対峙している。


 父、ダリウスだ。ダリウスは両手で銃を握り、銃口をホシノに向けている。

 アトリアは状況が掴めなかった。しかし理由はどうでも良かった。大切な人が大切な人と殺しあうなんて馬鹿げた状況を止めなくてはならない。瞬時にそう思った。


 ◇


 鼻から息をして口から出す。新鮮な空気が肺を満たす。何度か深呼吸していると、肉の焼けた異臭が鼻腔に纏わり付いた。臭いの元が頭に浮かぶ。ホシノは気持ち悪なり小さく嘔吐いた。


 早くここから出よう、そう決めて一歩踏み込む。自分のものとは違う足音が、背後から聞こえた。


 生存者がいるのだろうか? そう思って振り返る。

 足音の主はダリウスだった。ホシノはほっと胸を撫で下ろす。学園で捕まって以降、ずっとここに幽閉されていたのだろう。


 声を掛けようとした時、ホシノの頭に不安が芽吹いた。ダリウスが、コテージの場所をフレッドに漏らしたのではなかろうか。疑いが、一歩後ろに後退させる。

 頭を振って不安を払いのける。ダリウスがフレッドに漏らしたのだとしても、アトリアを思ってのことだろう。責めることなど出来ない。ホシノは退いた足を前に出し、ダリウスに駆け寄る。


「ダリウスさん、無事だったんですね!」


 ダリウスもゆっくりとホシノに近付いて来て、二人は廊下の真ん中あたりで合流した。向き合う姿勢でダリウスが尋ねてくる。


「アトリアはいないのか?」

「アトリアならコテージで別れましたよ。僕は彼女の代わりにここに連れてこられたんです」

「そうか。なら都合がいい」


 ダリウスは懐から銃を取り出してホシノに向けた。

 黒光りする銃口を目にした時、ホシノは唖然とした。一体なぜダリウスに銃口を向けられているのか? 状況と理由が全く理解できない。


「だ、ダリウスさん。冗談はやめて下さい。危ないですよ」

「冗談で本物の銃を人に向けたりせんよ。悪いが私は本気なんだ。君には、ここで死んでもらう」


 ホシノはダリウスが今まで見たことのないくらいに、冷たい視線を向けていることに気が付いた。背中から嫌な汗が沸いた。


「僕を……殺す?どうして、何でですかダリウスさん!?」


 ホシノは動揺を抑えながら、ダリウスを刺激しないようにゆっくりと尋ねた。


「アトリアを殺せるのが君だけだからだ」

「僕、だけ……?」


 言ってホシノはスピカが言っていたことを思い出す。

 運命値ゼロのホシノは、モイラの紡ぐ運命に干渉できる。モイラの脚本にないことを実行出来るということだ。

 当然出来ることの中には、アトリアの殺害も含まれているだろう。しかしホシノはそんなこと考えたこともなかった。


「僕はアトリアを殺したりなんてしませんよ」


 ホシノは自信を持って言えた。


「君がどう思おうと、モイラの紡ぐ運命には逆らえない。それは例え君であってもな」

「モイラ!? どうしてその名をダリウスのさんが?」

「考古学をかじった者なら誰でも知ってるさ。まぁ、私の場合は事情が違うがね」


 何処かから、風が吹き入る音が鳴る。焼けた匂いを乗せた風が、ダリウスの髪を揺らす。

 ダリウスは鼻で息を吸い、風の匂いを嗅ぐと言葉を零す。


「あの時もこんな匂いがしていた。全ての始まりである、アトロポス遺跡……」


 ダリウスは銃の照準をホシノから逸らさないように、目線はそのままに話し始めた。


「事故のあったあの日、我々は遺跡の奥で世界の要と記されていた天核なるものを見つけた。それに触れようとした時、黒い神霊が現れ遺跡を攻撃した。黒い神霊を止めるため、数万キロ先の研究室から、一瞬にしてハダルやってきたのは驚いたよ。ハダルは黒い神霊を追い払った後、私のところにやって来た。操縦室から出て来たのは黒い影の塊のようなものだ。そいつが私に言うのだ」


〈我は神、モイラなり。賊の侵入により終末の巫女が異世界に転移した。我は計画を変える。お前の娘に天核は埋め込む。さすればお前の娘は今後何があってもこの世界の理の中で死ぬ事はないだろう。しかし、我の運命よりも外側にいるものが現れた時、貴様の娘は死ぬ運命にある〉


 ダリウスは語り終えるとすっと息を吐いた。

 一呼吸置いても、銃口がホシノから外れることは無い。


「アトリアの体にこの世界の要である天核が隠してある。アトリアが死ねば世界は滅ぶ。事実アトリアの運命値はその日から跳ね上がった。私は悟ったよ、モイラの言うことは本当だろうと。


 私は長年モイラの言う運命の外側にいる者を探していた。何せその者は娘を殺して、世界を滅ぼす役割を持っているのだからな。何としても見つけ出す必要があった。それが、こんな近くにいたとはな……」


 ダリウスは両手で銃のグリップを握った。


「ホシノ君、アトリアに干渉できるのは、世界を壊せるのは、今はもう君しかいない。だからここで死んでくれ。どうかアトリアと世界のために死んでくれ!」


 ダリウスの必死の顔を見て、ホシノは胸をナイフで刺された様な痛みを覚えた。

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