第十八幕 煙と傭兵と貴族

 廊下奥の火柱の中で、女の死体が燃えている。視線を逸らしても焦げ臭い匂いは鼻腔に纏わり付いた。

 扉の向こうに行った、あの少女は無事だろうか? ジョンソンは一抹の不安を覚えて、後を追うべきか思案する。


 よく考えれば銃一丁もない少女を、軍人がうろつく火事場に一人で行かせるのはまずい気がしてくる。

 ジョンソンはもたれていた左の壁から右の壁側に移動し、通路を観れる角度に陣取る。


 煙の中から飛び出してきた兵士が一人、アトリアが入った部屋に向かうのが見えた。

 舌打ちして発砲する。急のことだったので狙いが外れて相手に気付かれる。

 兵士が銃を構えた。すかさずジョンソンは発砲する。弾丸は兵士の体を射抜いたが、死に際に放った銃弾がジョンソンの腿を抉った。


「くっ」


 激痛が足から体全体に走る。銃弾が開けた穴から血が湧く。

 ジョンソンは上着の袖を千切り、足に結びつけた。

 後を追おうと思った矢先、よりにもよって足を怪我するとは運がない。


 痛みでイラつく思考を、息を吐いて落ち付かせる。冷静さを取り戻した頭で今後のことを考える。

 アトリアを追おうと思ったが、傷を負ってはもう追いつくことは難しい。それよりもここを死守する方が重要度は高そうだ。

 傭兵として、大人として頼まれた仕事はきっちり熟す。この場合の仕事は、ホシノとアトリアを合流させ脱出させる事にある。


「もっと貰っておけば良かったな」


 ジョンソンは金のことを考えて少しばかり後悔したが、悪い気分はしなかった。

 今できることをしよう。思い直して、ここでフレッドと対峙する事に決める。

 小銃の弾を込め直して、息を吐く。

 死ぬかもしれない、戦地に行く度に思う。この場も例外ではない。火事場で、しかも友軍がない状態なのは結構きつい。


「あいつと心中するのか」


 フレッドのことを思い出す。元依頼人ではあるがいけ好かないやつだった。

 家柄が良いだけで大した力もなく、態度だけ偉そうな奴だ。金払いが良いから文句も言わず付き合っていたが、クビになったら最早嫌悪感だけが残る。


 ジョンソンはフレッドに雇われていた日々を思い出しながら、いつもの癖で煙草を仕舞っているポケットに手を伸ばす。

 煙だらけのこんな場所でタバコを吸うのも馬鹿らしい。伸ばした手を引っ込める。


「そう言えば、嬢ちゃんに吸うなと言われてるんだな」


 ちらりとアトリアの入ったドアを見る。決意を新たにしてため息まじりに呟く。


「行くか」


 右手で小銃を構え直し、背中に仕込んでいた拳銃を左手に持つ。

 床面の新鮮な空気を吸い込み、肺を酸素で満たすと走り出す。

 濃い煙が視界を奪い、火災報知器が音を奪う。好機と見て、煙の多い位置をあえて選びながら、息をせずに足を庇いながら歩く。


 熱風が肌を焼く。熱気が眼球の水分を奪い、瞬きを繰り返さなければ目玉が沸騰しそうなほどに熱くなる。

 それでもジョンソンは歩き続ける。敵との距離を詰めることが、結果的に自分の命を救う事になると分かっていたからだ。


 煙の中に一人目の兵士を見つけた。まだこちらに気付いていないらしい。左手の拳銃で兵士の頭を撃ち抜き、先を急ぐ。


 銃声に反応したのか弾雨が飛んでくる。ジョンソンは即座に床を転がり、横に移動する。中腰になると、銃が発射された位置に向けて小銃を乱射する。兵士の悲鳴が聞こえたのを確認し、当たったのだと認識する。

 フレッドが業を煮やしたのか煙の奥の方から声を飛ばした。


「こっちに来る前に撃ち殺せ!」


 馬鹿な奴だとジョンソンは思う。腰に隠していた手榴弾を掴み、歯で信管を抜いて声がした辺りに向けて投擲する。

 何人かの悲鳴が聞こえた。投げた後、銃弾が雨の様に飛んできた。ジョンソンは少しでも弾丸を避けようと、身を低くして歩いた。


 肩に腹に銃弾が貫通する。激痛が体の節々で感じる。

 声を上げれば居場所がばれる。歯をくいしばり、悲鳴一つ上げずに走る。

 煙が少し晴れてきて、見通しが良くなった視線の先にフレッドがいた。

 いけ好かない男を目にして、ジョンソンは口角を上げる。


「よう、一人かいお坊ちゃん?」

「ジョンソン! 貴様何処だ、出てこいっ!」


 フレッドがサーベルを抜刀する。

 どんな時でも名家の証である名刀を使うのが彼の誇りだ。だからこんな時でもきっと戦闘は兵士に任せ、自分は煙の少ない所でのうのうと息をしているのだろうとジョンソンは推測していた。そしてその推測は当たっていたのだ。


 フレッドはサーベルを振りかぶって立っている。煙の中にいるジョンソンを見つけられないでいるらしい。


「お前の部下は煙の中で必死に戦っていたのに、お前ときたら煙の少ない所で綺麗な空気を吸いながら踏ん反り返っていたんだな」

「当たり前だ!従う者と従わせる者、居場所が違って当たり前だろう」

「そうだな。だからこそお前には俺は見えない」

「くっ!」


 ジョンソンは拳銃の引き金を引いた。

 銃声のした時、一瞬フレッドと目が合った。

 フレッドはサーベルを上から下に振り下ろしたが、弾丸を弾くことはできなかった。

 銃弾がフレッドの眉間を射抜く。

 フレッドが床に倒れた。頭に空いた穴から沸き続ける血液が、最早死体となった彼の周りに血の池を作る。


 ジョンソンはフレッドの死体が倒れた時に、煙の中から出てきた。

 息を大きく吸い、フレッドの死体を見る。

 剣を持って倒れる彼の姿は、ヴランシュバイク家の家柄に執着した彼に相応しい死に方だとジョンソンは思う。


 瞼が重くなるのを感じる。自分の体を見ると穴だらけで、血が湧き水の如く溢れていた。


「ちっ、下手こいたか」


 ジョンソンはそう言いながら、煙の少ない所に腰を下ろす。


「すまねーな嬢ちゃん。約束破らせてもらうぜ……」


 ポケットから煙草を取り出し、ライターで火をつける。火はタバコの先端を焦がし、赤く燃え上がらせた。


 タバコの煙を目一杯吸う。

 吸って吐いて、煙草が半分ほど減った頃には、ジョンソンは朦朧としてくる。

 白ボケていく視界の中、フレッドの死体がもそりと動き、立ち上がった。ジョンソンは舌打ちしながら意識を落とした。


 ◇


 炎が四方を囲っている。早く避難しろと急かすように、火災報知器と人々の叫喚が聞こえて来る。

 ホシノは天井にあるスプリンクラーと、壁に埋め込められたままの消火ロボットを見る。こんな時の為にある消火装置が全く起動していない。


「一体何があったんだ?」


 ホシノは脱出経路を調べる為、星屑を使って地図を広げようと想念した。星屑は火災の影響で通信が状態が悪いようで、液晶角膜に地図を広げられないでいる。ばかりか通信すらできない有様だ。


「くっ、こんな時に!」


 ホシノは奥歯を噛みしめた。煙を肺に入れない様に袖で口を抑える。


『せめて消火装置が動き出せば避難も容易になるはずだ。スピカ、何とかならない?』


 煙の中でもはっきり見えるスピカが首を横に振る。


『ネットワークが切断されてる。多分爆発の際に施設内のネットワーク設備が壊れた』

『何か方法はないの?』

『コンソールから直接指示を打てば可能。コンソールの場所は記憶してる。あの煙の向こう』


 スピカは一際煙の濃い北側の廊下を指差した。爆発が起こる前に見た記憶では、北の廊下は百メートル程の長さがある廊下だ。そのどこかの壁にコンソールは設置されているはずだ。


「行くしかないのか」


 ホシノは大きく息を吸い、肺を酸素で満たす。煙を吸わないように、姿勢を低くして火煙の中に突入する。

 細かな灰が目の中に入り、意図せず涙が零れ落ちる。煙から目を守る為、瞬きを繰り返しながら壁に沿って進んで行く。


『もう少し先』


 スピカがコンソールの詳細を指示してくれる。闇雲に探していたら多分命はなかっただろう。ホシノは前に進むことだけに集中して、火煙の熱さと戦った。


 壁を撫でていた右手が、四角い出っ張りに触れた。目を近付ける。

 コンソールだ。これを使って指示を出せば消火装置が起動できる。

 灰を払ってタッチパネルに触れる。コンソールを起動すると液晶画面にパスコードの入力画面が表示された。


「くっ」


 思いついた数字を打ち込んで見る。しかしロックは解除されない。

 息が辛くなったきた。袖を口に当てていると言っても肺に煙は入ってくる。しかも煙が持つ熱気で、喉が焼ける様に熱い。このままでは保たない。


『ソウガ、私がロックを開ける』


 スピカの提案に、ホシノは朦朧としながら返事をする。


『で、出来るの?』


『出来る。だけどリスクがある。私がこの世界に干渉した瞬間、モイラに私という存在がバレる。そしたら私はこの世界にいられなくなる。もうソウガを助けられない。勿論バレない可能性もゼロじゃない。一種の賭け』


 ロックを解除すれば消火装置は起動できる。しかしコンソールをハッキングすることで、スピカがいなくなるかもしれない。それは今後どういう結果をもたらすのか、ホシノには想像も出来ない。

 ホシノが選択に悩んでいると、煙の向こうから叫び声が聞こえた。逃げ遅れた人が、まだ何処かにいるのだ。ホシノは決心した。


『スピカ、ロックを解除して。今の解除しないと、皆んなの命が危うい』


 スピカは少しの間ホシノを見詰めた後、頷いた。


『ソウガ、もし私がいなくなった時のために言っておく。モイラは運命を操る。全部モイラのせい。自分を責めないで』

『う、うん』


 ホシノはスピカの真意が掴めなかった。しかし何となくモイラの危険さに緊張感を強めながら返事をした。

 スピカが瞬きしてコンソールに触れる。液晶画面に八桁の数字が表示される。


 ホシノはまたしても眩暈を感じる。目を瞑り真っ暗な視界の中で、スピカの声が頭の中に響いた。


『やっぱりきた。ソウガ......あとは......』


 スピカの言葉が途切れる。頭の上から雨のような飛沫が振ってくる。目を開けるとスプリンクラーが起動し、炎を消火していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る