第十三幕 悪夢と運命値

 月明かりのない真っ直ぐな道を行く。

 冷たい風がどこからか吹いてきて、ホシノの体を吹き荒ぶ。

 これは夢なのか。ホシノは思いながら、けれど体が勝手に歩みを進める。

 しばらく歩くと、正面に明かりの点った長いトンネルが見えてきた。まるで唯一安心出来る場所であるかのような光を目にして、ホシノは眩暈で顔をしかめた。


 トンネルに入る。入ったからには出口はもう一つしかない。眩しい明かりの奥にある、入った時よりも更に深い暗闇だ。ホシノは再び闇の中に帰るのだと分かった上で光の中を進んだ。


 トンネルを抜けると、開けた場所に淡い光を放つ教会が建っていた。教会を目にした瞬間に、ホシノの肩は震える。

 ――ラケシス教会。

 ホシノにとって一番忌避すべき場所だ。自然と足が止まる。


 歩みを止めたホシノに、教会の方が迫ってくる。扉が野獣の口のよう大きく開くと、ホシノを飲み込む。

 ホシノは目を瞑り、ダンゴムシのように体を丸めて、体を食いちぎられないように、心がバラバラにならないようにひたすらに祈った。


 瞼を開ける。厳かな雰囲気に包まれていた教会堂の中にいた。

 車輪の形に並ぶ長椅子には数人の信徒が、蝋燭の薄明かりの中で祈りを捧げている。


「割振りをしますか?」


 中央にある紡錘スピンドルの近くに立つ、司祭が静かに尋ねてきた。ホシノは心で嫌がった。しかし体が勝手に頷いた。

 司祭は一度扉口を出て行くと、しばらくしてシスターに糸車のような機械を引かせながら帰って来た。

 ホシノは糸車の前に置かれた椅子に座らされ、袖を捲められて腕を露わにされる。


「では、血を頂きます」


 司祭が糸車に撒かれた細いチューブを引き出して、チューブの先端に付いた注射針をホシノの腕に刺した。僅かな痛みを感じ、ホシノは顔を顰める。

 チューブに血が通り始めると、祈りを捧げていた信徒の視線が感じられた。

 見るな!見るな!見るな!

 ホシノは心で叫びながらぎゅっと瞼を閉じた。


 しばらくすると悲鳴にも似た驚きの声が上がる。瞼を開けると糸車の上にホログラムで数字が浮かび上がっていた。


 0.00000000000000……。


 糸車は未だに数字を計測していくが、いつまでも正数を表示しない。信徒達は最早言葉も出ないようで、教会がしんと静まりかえる。


「この教会の設備では貴方の運命値を計測することはできませんでした。この数値に不服があるならば設備の整った大きい施設で計測し直すか、より一層の努力に励んで下さい。努力次第で運命値は上がることもあります。貴方次第です」


 司祭は淡々と述べ、冷たい目でホシノを見詰めた。

 司祭の言葉を聞いて、顔を赤くした一人の男が立ち上がる。


「そうだ努力をしろ!努力をして数値を少しでも上げるべきだ。悔しくはないのかね君は!」


 男は大声を出した瞬間に、ホシノよりも三倍は大きな黒炎に変わり、ホシノの周囲で揺らめいた。


 司祭が静かにして下さいと諌めるが、男の発言で他の信徒達も同じように黒炎に変わり、ホシノを囲って揺らめいた。

 炎の模様が時に嘲笑するような口に見え、時に怒りを露わにする目に見えた。


「そうだわ、懸命に一年生きていれば少しくらい運命値が上がるものよ。きっとあの子は怠惰な日々を送っているのね」

「嫌だわ。どんなに低くても九以上はある筈なのに」

「悪魔よ。悪魔に違いないわ!」

「いいえ、殺人鬼でも九以上はあるわ。きっとあの子は、神からも悪魔からも見放された不要な子なのね」

「不要な子。世の中にそんな人間がいるなんて」

「ねぇ、もうやめましょう。神が必要ないと定めた子よ。あんな子の為に祈りの時間を削るのは勿体無いわ」

「そうだな。俺も熱くなったが、彼に心を乱されてはならない」


 炎は静かになると、種火のように小さくなって侮蔑と憐れみの目でホシノを見た。やがて炎と教会は闇に溶け込むようにして消えていった。最後に残った司祭が、膝を抱えて蹲るホシノを冷たい目で見下した。しばらくすると司祭も、闇の中に消えていった。


 後に残ったのは明かりのない真っ暗闇だった。

 ホシノは膝を抱える力を強くする。そして一粒涙をこぼした。


 人は誰しも生きていれば、大なり小なり何かに影響を与えて生きている。それが歴史を変えるほどの大きい影響力であるか、ただ一人の心を僅かに変える程の影響力であるかは様々だ。


 しかしホシノは運命値ゼロ。誰の心も、世界のどこも変えることは出来ない。例え泣いている人に優しい言葉を掛けても、いくら表面上は仲良く話していても、その人にとってホシノの言葉は無価値で、ホシノが居なくても勝手に救われ、そして笑う。


 友も恋人も親も作れない。それがホシノに与えられた運命値ゼロの意味。神から、この世に居ても居なくてもどうでもいい人間だと決められた人間の運命――。


 闇の冷たさが、ホシノの体温を奪っていく。両親に捨てられた時も、こんな風に寒い夜だった気がする。ホシノは何となくそう思う。


 捨てられた日の事を詳しくは覚えていない。気付いた時には知らない場所で一人で泣いて居て、沢山人が行き交う場所だったにもかかわらず誰一人泣いているホシノに声を掛けようとはしなかった。寒い風が吹き荒ぶ中、長い間独りぼっちで泣き続けていた記憶だけはある。


「ルルルールルルー」


 悲しい気分を払おうと、ホシノは母の子守唄を口遊む。アトリアのように詩は覚えていなかったが、鼻歌だけでもいくらか気分がマシになる。

 そう言えば悲しいときはいつもこの歌を口遊んだ。


 思えば子守唄だけでなく、養父にも救われた。両親に捨てられた日に拾ってくれたのは養父だった。朧げに憶えている本当の父親と似てた養父の背中。あの背中が残した工房を守ることが、無価値な自分を拾ってくれた養父への恩返しだ。そう強く思う反面、ホシノの心に違う願いが顔を出す。


 ――ソードブリッジ学園に通いたい。養父が学んだ学舎で、友を作り、青春を謳歌し、アトリアの様な可愛い娘と仲良くなり、喧嘩をしたり認め合ったりしながら己を磨きたい。そして磨かれた技術と知識で養父の工房を継げたら、それはどんなに素敵なことか……。


 しかしホシノは理解している。学費を貯めても勉強しても、自分の真の望みは叶えられない。運命値ゼロの自分は、如何なる学園の門も叩けないのだ。

 いつの間にか闇が明るくなってきた。朝が来たのか? とホシノは思いながら、ゆっくりと瞼を開けた。

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