第七幕 卵と傭兵と雨
「ねぇソウガ君、ここ操縦席じゃない? これ動かせるのかも」
アトリアが部屋の中央にある座席に手を置いて言う。
スピカにペースを狂わされたが、今は追われている。ホシノは気を改めて操縦席に座る。
スピカはホシノの左側に立ち、アトリアは右側の予備の椅子に座る。
正面モニターには三葉館の外壁と、壁が壊れた学部長室の室内が映っていた。
赤い顔をしたフレッドがこちらに向けてサーベルの先端を向けると、軍人達が銃を発砲する。
闇雲に撃っているのか、牽制だろう。小銃では神霊の相手にならない。
ホシノは視点を移動させてモニターの隅を見る。
《ZEBERION》ホシノが付けた機体の名前が表示されていた。
名前の下には見慣れたグラフが表示されている。心拍数と体温。ホシノの鼓動に合わせて変化している。
他にも《
「遷移確率って何だろう?」
アトリアとスピカに尋ねるつもりで口に出した。
「さぁ、聞いたことないわ」
アトリアが先に応えると、警報が鳴る。
『ソウガ、敵』
三葉館の屋根を飛び越えて、一体の神霊がゼーベリオンの背後に着地する。
その名はレグルス――。獅子をモチーフに作られた神霊で、重厚かつ躍動感に溢れるフォルムは神霊屈指の反応速度とタフさを兼ね備えている。
今は格納されていて見えないが、
機動性が売りの神霊だ。追いかけっこでは分が悪い、逃げるのは難しいだろう。ホシノは自分の知識を振り返り、額に汗を垂らす。
モニターではフレッドがレグルスに向けて何か叫んでいる。音声を拾う。
「そいつを捕まえろジョンソン!報酬は弾む」
ホシノは背後を確認する。視線に合わせてゼーベリオンが時計回りに反転する。
レグルスが両手を広げてゆっくりと近づいて来ていた。恐らくゼーベリオンを抱き込んで、押さえ込もうという目論みだろう。
ホシノの頭に昨日見たジョンソンの姿が過ぎる。
何度か軍人と神霊戦をした事があるが、ジョンソンのような落着きのあるタイプは決まって強かった。しかも今は実戦で、圧倒的に向こうの方が経験値は上だ。意表を突くしか活路はない。ホシノはそう思い、ゼーベリオンに腕を出すよう想念する。
落下していた時は無我夢中で腕を出したようだが、今度は意識して想念する。
想念に応えてゼーベリオンの表面から腕が生えた。生えた腕の感覚をそのままレグリスに向けて放ち、拳を打ち込む。
腕が伸び、拳は雨を弾きながらレグルスに迫る。
レグルスは突然現れた腕に驚いた様子で足踏みしていた。
ホシノはその隙にもう一本腕を生やして、二発目をレグルスに向けて打ち込む。
一発目より早い速度で打ち出した拳は、泥水を割りながら地面スレスレを駆ける。
レグルスは一発目の拳を、体を傾ける事で容易く避けた。ホシノは避けられると読んでいた。だから避ける位置を予測して二発目を打ち込んだ。レグルスの顎に向かった拳をアッパーカットの要領で下から突き上げる。
レグルスは頭部をこちらに向けたまま、死角から向かって来る拳に左手で掌底を打ち込む。
ゼーベリオンの腕は衝撃で飛ばされ、揺れながら泥水の上に着水した。
二本の腕を殻に引き戻しながらホシノは思う。
拳に重さが乗ってない。拳の速度は早かったが、重量感がまるでなく、パンチとしては使い物にならなかった。
『何か武器はないの?』
『まだ羽化してないから無い。腕や足を作っても、張りぼて』
『羽化? どうやったら羽化できるの?』
『それはソウガ次第。私には分からない』
『僕次第って……』
自分次第で変化する神霊、そんな神霊をホシノは聞いたことが無かった。一体どういう仕組みなのか無意識に考えるが、頭を振るって雑念を振り払う。
例えどんな神霊であっても、使える武器が今ないなら同じだ。負けたらアトリア諸共終わり。だから負ける分けにはいかない。
武器がないのは正直辛い。しかし、だからと言って戦えない分けではないと考え直す。
『なるほど、だったら……』
ホシノは息を吐き、一度頭の中を空にする。解放された思考に必要な動作だけを鮮明に思い浮かべて、雑念は息に変えて吐き出す。そして胸の内に闘志を燃やして体を奮いおこす。頭はクリアに、体には熱を滾らせて思考を加速させる。
『ソウガ凄い、綺麗な想念。こんなの滅多にない』
「ごめん、ちょっと黙ってて……」
頭に言葉を溜め込まないように、口に出してスピカを制す。
視界の隅でアトリアが頷いていたが、それも気に止めない。
ホシノが意識を向けるのは、ただの一点、モニターに映るレグルスの頭部のみ。
言い知れぬ視線を感じたジョンソンは眉間に皺を寄せた。
閉鎖された操縦席を覗ける者などいない。だから気のせいだ。錯覚だ。分かっていても気には留めておく。
戦場では何が起こるか分からない。だから要らない事は即忘れる。阿保はそこで必要な事まで忘れてしまうが、ジョンソンは違った。行雲流水の如く、起きた事にその都度対処する。そうすれば結果は勝手に付いてくる。それがジョンソンの持論だ。
勝つ時は勝つ、負ける時は負ける。負ける時に勝とうとするから負けるのだ。負ける時は逃げれば良い。そういう気持ちでいれば時々勝てる。ジョンソンは普段通り気楽に想念を飛ばし、卵に近付く。
一瞬、なぜ卵が? と疑問が湧いたが、微笑に変えて霧散させる。
卵の前に立ち、抱き締めようと想念を送る。レグルスの両腕が動き、腕の割には大きな手が卵に迫る。
卵がくくっと後ろに傾き、両腕が空を抱き締めた。
ジョンソンは舌打ちして、左右の腕で掴もうと想念を送る。
向かってくる腕を、卵はひょいひょいと左右に揺れて躱す。
ジョンソンは苛ついた。こいつは一体何がしたいのか。何で反撃しないのか。仮に反撃の意思がないなら、素直に掴まれば良いのだ。時間稼ぎをした所で得するのはこっちのはず。ジョンソンは思ったが、苛つきを微笑に変えて霧散させる。
しかし腹は立つから次は本気で行こう。そう決めて、レグルスの左腕をゆっくりと動かした。
雨がレグルスの腕に降り注ぎ、川のように流れていた。ジョンソンは卵まで後半分という所で、左腕を急加速させる。
左拳は雨を弾きながら卵へ向かう。ジョンソンはまさに卵を砕こうかという間際で、左拳を寸止めする。
レグルスの左腕に流れていた雨水が宙を舞う。モニター越しに飛沫が上がるのをみていたジョンソンは、飛沫の後ろに見える卵目掛けて右拳を高速で撃ち出す。
所謂フェイントの要領で放たれた拳が、宙を舞う雨水を押しのけ飛散させる。雨水が雨粒に姿を変える様を見ながら、ジョンソンは勝利を確信した。
鋼鉄の拳が卵にぶち当たる直前、卵が雨を振り払いながら高速で回転し始めた。凄まじい速度で打ち込まれるレグルスの右フックを表面で受け流して、自分の速度に還元し回転しながら前進する。
レグルスの左腕を掠めながら更に回転速度を上げ、雨粒に、そしてその背後にいるレグルスに迫る。
水飛沫をあげて卵が迫ってくるのをジョンソンはモニター越しに見ていた。
逃げようと思った時には既に遅く、機体が大きく揺さぶられる。
衝撃と痛みでジョンソンは呼吸を乱す。乱れた呼吸が脈拍を不規則に変え、操縦席に警報を鳴らした。
「くっ!」
ジョンソンは思わずレグルスを後ろに跳躍させ、回転する卵と距離を取った。距離を取って直ぐに後悔する。あのまま抱き込んでいれば相手に活路はなかった。それを予想外な動きに翻弄され焦って選択を誤った。ジョンソンは舌打ちする。
さっきとまるで動きが違う。反応速度が早い。先読みが上手い。そもそも卵という形が意味不明すぎて、動きが全く読めない。何なんだアレは。神霊なのか。神霊な分けないだろ。何であんな形なんだ。ジョンソンは頭の中で湧き上がる雑念に笑みを浮かべた。
もう良い、割る。なるべく傷付けないように確保するつもりだったが、本気で割ってやる。着地点を決めて、それに向けて全ての雑念を闘志に変える。
ジョンソンはレグルスの背中に付いたブースターに火を灯す。
噴出口から吹き出る熱が、雨水を蒸発させて辺りに濃霧を発生させる。
「せいやぁぁぁぁぁっ!!」
レグルスは卵に向かって突進した。ブースターが背中が推す。凄まじい圧がジョンソンの体を圧迫する。
両手の甲に隠していた鉤爪を剥き出し、卵に向けて猛進する。右腕を横に払い、左腕を縦に振り下ろす。卵を鉤爪の軌道の檻に閉じ込めるイメージで想念を練ろうとしたまさにその時、卵がゆらりと縦に半回転してレグルスの懐に入り込む。
「しまっ……」
ジョンソンが言い切る前に、卵は表面から生えた二本の腕で屈伸しレグルスの顎目掛けて跳躍する。
正面モニターが真っ白の物体で覆い尽くされると、操縦室は赤く染まり警報を鳴らしながら大きく揺さぶられた。
ジョンソンは揺さぶられながら、悔しさで拳を強く握り締める。
レグリスのメインモニターの位置を理解した上での攻撃だった。相手は初手から顎だけを狙っていた。こっちの特徴を把握した上で反撃していたのだ。
今にして思えば足代わりに腕を使えるなら、逃げる事だって出来たはすだ。しかしそうしなかったのは、レグリスの機動力には勝てないと分かっていたからだ。自分は動かずにこっちが仕掛るのを待っていたのだ。気が付いた所で既に遅い。とジョンソンは後悔する。
センサーが友軍の到着を知らせた。ジョンソンはそれでもこれは負け戦だな、と思いながら微笑を浮かべた。
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