第十一幕 風呂と裸と越在者

『かみ……さま? この世界には神様がいるの?』


 ホシノは水を払い瞼を開ける。


『神という表現は今のソウガに理解し易い言葉を選んだだけ。本来、神という言い回しは宗教的で正確では無い。正しい言い方は主観、或は越在者アプリオーン

『越在者……』

『越在者はこの世界のあらゆる物を自在に操り、思い通りに動かす。時には奇跡を、時には人を操る。この世界の越在者はモイラ。モイラは今、この世界を滅亡させる為に暗躍している』


「めつぼっ……!」


 ホシノは慌てて両手で口を塞ぐ。


『越在者が世界を初期化する方法は二つある。一つは宇宙の隅から隅まで渡り、全ての物質を手当たり次第に消滅させる方法。例え越在者であっても目に見えない、認識できないものは消去できない。現にソウガの星屑の中の電気信号でしかない私は、モイラに気が付かれていない。この方法で世界を初期化する場合、わざわざ宇宙中を回らないといけない。とてつもなく面倒で非効率。だからモイラはもう一つの方法を使おうとしている。それは天核ヌーメノンと呼ばれる、モイラですら干渉できない物質に干渉する事でこの世界を初期化する方法』


『干渉出来ないのにどうやって干渉するんの?』

『原理物質に触れられるのは、長い周期の中の一瞬、それも世界にいつの時代も一人しか現れない限られた者にしか触れられない。だから世界を初期化させないようにするには、その天核を見つけるしかない』


 ホシノは水を頭に浴びながら聞いたことを整理する。天核を見つけるしかないと言うことはまだ見つかっていない、しかも当てもないのだろう。しかし仮に自分が見つけたとして、どうすれば良いのか。スピカの真意がまだ掴めない。


 そもそも相手は神だ、越在者だ。越在者はこの世界のあらゆる物を操れるのだと言う。なら、自分が見つけた所でそれは越在者が見つけた事と同義だ。ホシノは疑問を質問に変える。


『天核をモイラって越在者から守らないといけないのは分かった。でも世界のあらゆる物を自在に操れるモイラから、どうやって守るの?そもそも天核を守れたとしても、結局モイラが非効率的なやり方で世界を初期化したら全部ご破算なんじゃないかな』


 スピカはにたりと笑う。


『そこが本題。この世界は言わば脚本のある舞台のようなもの。モイラは演出家、役者はこの世界の住人。役者は演出家からそれぞれの役割と重要度を割り振られる。その重要度がこの世界の運命値。それぞれの役者は運命値の配役通りに役を演じ、物語を刻む。でもこの世界には一人だけ運命値が与えられていない観客がいる。それがソウガ。貴方』


 ホシノは驚きで声が出そうになるのをグッと堪えた。そして肩越しにスピカを見る。


『……それってつまり、僕はこの世界の住人じゃないって事?』


 スピカは頷いた。


『ソウガは別世界人。だから運命値がゼロ。そして運命値ゼロだからこそ、運命を変える事が出来る。ソウガにはモイラを倒し、そしてモイラの代わりにこの世界の越在者になって欲しい。その手伝いのために、私はここに居る。ゼーベリオンも』


『……運命を変える』


 ホシノはスピカの言葉を噛み締めていた。

 ずっとこの世にいらない存在だと言われて生きてきた。人から不要な子、悪魔の子と罵られながら友達も恋人も作れずにいた。踏み出せなかった最大の理由――運命値ゼロ。存在することすら否定された数字にスピカは新たな意味に変えてくれた。


 運命を変えられる存在なのだ。神から見放され、存在を否定されている自分だからこそ出来る事があるのだ。異世界人であった事実よりも、自分に生きる意味があったのだと分かった事の方が何よりもホシノには驚きだった。


『世界の終わりを防ぐために、僕は生まれてきたのかな?』

『産まれるのに理由なんてない。でもソウガには他の人には出来ない力がある。これは確か』

『理由なんてない……か。そっか……そうだよね』


 スピカの言葉がホシノの心の中の空洞を埋めてくいく。養父の工房を残す為に生きる。それが存在理由だったが、もう一つ目的が出来た。それがホシノには嬉しかった。


『分かった、やってみるよ。運命を変えるなんて難しそうだけど、僕にしか出来ない事なら頑張る。いや、頑張りたい!』


 ホシノは真っ直ぐ前を見た。

 正面には湯煙で白くなった鏡があった。

 鏡の露をシャワーで流し、映った自分の顔を見る。

 濡れた黒髪に、人情味溢れる太くて薄い眉が、決意で上を向いていた。

 

『ソウガ、立派』

『本当?』


 鏡の向こうのスピカが、目をキラキラさせてホシノの下の方を見つめている。


『立派』


 ホシノは慌て前を両手で隠した。


『どこを見て言ってるのさ!』

『駆動系の熱上昇を感知、これが性的興奮?はぁ。はぁ』

「興奮しないで!」


 ホシノは思わず口から声を出して叫んでいた。

 スピカに見えないように駆け足で出入り口まで向かい、急いでドアを開ける。


「「あっ」」


 脱衣所にはアトリアが、腕に抱えた作業着とタオルを床に置いてある籠に入れようとした姿勢で立っていた。

 アトリアは驚いたように大きな瞳をさらに大きく見開いていた。目が合うとゆっくりと下の方に視線を落し、顔を真っ赤に染める。


「こ、こ、興奮なんてしないわ。お、お、おおお父様のも見たことあるし」


 両手で顔を隠し、スルスルと後ろに後退して、扉の前で後ろを向く。


「着替えとタオル置いたから、あと、その……ご、ごめんなさいっ!」


 アトリアは慌てて扉を閉めた。

 静まり返った風呂場と脱衣所にはスピカの色気のない吐息だけが響き渡り、ホシノは頭を抱えて膝をついた。


 ◇


 倉庫にあった保存食で適当に夕食を作り、食後のお茶を飲んでほっこりしているとアトリアが立ち上がった。


「ご飯も食べたし、お風呂にも入った。じゃあ行きましょうかソウガ君?」


 ホシノは何の事かと思い、首を傾げる。


「行くってどこに?」

「どこってベッドの上に決まってるじゃない」


 ホシノは思わず口に含んでいたお茶を吹いた。


「何やってるのよ。はい、布巾」


 差し出された布巾を受け取り、机の上にぶち撒けたお茶を拭きながらホシノは冷静になる。

 ベッドの上なんて言い方するから、変な想像をしてしまったが単純に睡眠を取ろういう意図で深い意味はないのかもしれない。ホシノは頭に浮かんだ想像を頭振って霧散させる。


「そうだね、そろそろ寝る時間だし」


 そう言って液晶角膜に時計を表示させる。

 現在時刻は夜の九時、普段なら寝るには早い時間だが今日は色々あった。早めに寝た方がいいだろう。


「まだ寝ないわよ?寝る前にやることがあるでしょ」


 アトリアは不思議そうに瞼を瞬きをしている。


「えっ? ベッドに行くって言うから、てっきり寝るものだと……」

「寝る以外にも、ベッドの上でやる事はあるでしょ?ソファーでも良いんだけど幅が狭くて体勢変えにくいし、ベッドだったら終わったらそのまま寝ても良いしね」


 霧散させたはずの如何わしい想像が、ホシノの中に舞い戻ってくる。


「だ、だ、駄目だよそんな。僕らはまだ出会って日が浅いっていうか……」

「時間なんて関係ないと思うわよ。やれる内にやっておかないと、後々後悔する事になるわ。私も後悔しことがあるのよ。頼んでやって貰っておいたら、あんな恥ずかしい思いをする事なんてなかったのに。まさかあんなに大きく膨れるなんて、知らなくて……」

「お、落ち着いて。落ち着いて考えよう。僕はまだ経験ないし上手くできるか不安だし、もしもの事があるかもしれない」


 アトリアは何か思いつめた表情でホシノは前に歩いてきて胸を張る。


「安心して大丈夫よ。こう見えて私は経験豊富だから、ソウガ君は横になってるだけでいいわ。後は全部、私がしてあげる。初めは刺激が強くてびっくりするだろうけど、だんだん気持ち良くなってくるわ」

「そ、そう言う事じゃなくてさ。何ていうか、ちゃんと責任を取れるようになってからでないと!」

「だから私が責任を取るんじゃない。あんな事になったのも、私のせいでもあるわけだし……」


 アトリアは肩を窄めて俯く。しゅんとしたアトリアの姿を見て、ホシノは自分がひどい思い違いをしているのだと気が付く。


「あの、アトリア?僕達、今なんの話をしてるのかな?」


 アトリアは顔を上げ、キョトンとした顔で言う。


「打ち身治療の話よ」

「ですよねー」


 経験豊富だと聞いた時は足元から崩れ落ちそうになったが、思い違いなら良かったと安堵する。けれども何処と無く残念な気もしてホシノは安心しながらも肩を落とす。

 目線の先でアトリアが下腹のあたりで組んている指が見えた。

 指が一度ぴくりと跳ねるように動き、やがてワタワタと忙しなく動き始めた。

 目線を上げるとアトリアが顔を真っ赤にしていた。ホシノと目が合うと慌てて目を逸らす。


「わ、わたし袋を取ってくるからソウガ君は先に寝室に行ってて」


 そう言ってスリッパの音を鳴らせながら、リビングを出て行く。

 もしかすると変な想像をさせてしまったかもしれない。このコテージで当分アトリアと二人で身を隠さなければならないのだ。なるべく変な想像をするのは控えよう。


 ホシノはそう思いながらコテージに一つしかない寝室に入る。寝室にはシングルサイズのベッドが一つ置いてあるだけだった。元々ダリウスが独身の頃に避暑地として利用していた場所だ。ベッドが沢山あるとは思っていなかったが、一つしかないとは思わなかった。流石に一緒に寝るわけにはいけないだろうが、予備の布団がないのも困る。


 ホシノはクローゼットを開ける。中には寝袋が一つあった。

 ほっと胸をなで下ろしていると、アトリアが桶を抱えて寝室に入ってきた。


「お待たせ。ベッドに横になって上着を脱いで」


 ホシノは言われるがまま上着を脱ぎ、ベッドに横になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る